1、
「次の方、どうぞー」
アンナ・ボーデベルグは、右手を振りながら、努めて明るい声色で長い列の先頭に並ぶ男に声をかけた。
なぜ“努めて”なのかというと、内心は(最悪。ハズレ引いた)と思っていたからで、なぜそう思ったからというと、5秒後にアンナの目の前には座ったのは、大きなウォーハンマーを担いだ屈強な男だったからだ。
そして、アンナは、いつもどおり一呼吸して、いつもどおりのお決まりの一言で仕事にとりかかった。
「どのようなご職業への転職をご希望ですか?」

===

1年前、500年間に渡った魔王と人類の戦いが終わり、世界に平和が訪れた。
だが、突然訪れた500年ぶりの平和は、かつて行われた魔物達のいかなる侵略行動よりも、早く、大規模に、徹底的に人々の生活に変化を与えた。
魔王とともに魔王の生み出した魔物たちもすべて姿を消したことが原因で、一言でいうと「冒険業とそれに関連する産業構造が崩壊」したのだ。
細かく挙げれば枚挙に暇がないのだが、例としては“ギルドの廃業”などがその筆頭で、他にも農業、流通、不動産と、とにかく色々なところにまたたくまに影響が現れた。
さらに王国政府も、それに対応するための新法令を次から次に出したものだから、混乱はエスカレートし、皮肉なことに、王国はこの500年間でもっとも危機的な混沌に陥ったのである。

この物語は、そんな混乱を経て、ようやく少しだけ世界がバランスを取り戻しはじめた頃に出された”ある法令”に端を発する。
その法令とは、
「すべての冒険者は、すみやかに一般の職業に転職すること」だ。

===

「アンナー!こっちこっちー!」
聖殿内にある食堂、その大理石でできた壁、天井、床に大きな声が響く。ランチボックスを持ったアンナがそちらを振りむくと、一人の巫女が手を振っていた。
「おつかれ、エマ」
「おつかれさま、アンナ」
エマ・エスポワールは右手に握ったフォークで、ローストした肉を口に運びながら、左手の手振りでアンナに目の前の空いている席をすすめた。
ボーデ聖殿はお昼時で、大勢の人でごった返している。
聖殿では、転職の儀式を執行する大司祭や、アンナやエマのような窓口業務を行う巫女以外にも、求人情報を整理する事務方など、総勢200名ほどが働いていて、決まった時間にランチをとることになっていた。なのに、食堂には100席ほどしかスペースがなく、遅れてしまうと、貴重な休憩時間を席待ちに費やすことになるのだ。
アンナも以前はよく席待ちをしていたが、3か月前から聖殿で働きはじめたエマと知り合って以来、そうすることはなくなった。
エマは、どんなに難しい冒険者が相手でも、抜群のタイムマネジメント能力で必ず昼休みの5分前には仕事を終わらせて席を確保してくれる。アンナはエマのそういった天性の“生活力”にいつも感心していた。
「今日もありがと。お肉、おいしそうね」
ベジタリアンのアンナは、本心ではおいしそうとは少しも思っていないのだが、エマの肉が多めの食生活が彼女の生活力に関係していると思っていたので、彼女なりの感謝と敬意をこめて言った。
「おいしいよ。アンナも食べる? それにしても、遅かったね?」
エマが差し出したランチボックスをアンナは手で制して、自分の野菜たっぷりのランチボックスを開けながら言った。
「また脳筋系に当たっちゃったのよ」

===

「どのようなご職業への転職をご希望ですか?」
「俺の能力が生かせるような仕事を探しているのだが」アンナの問いに、ウォーハンマーを持つ男はそう答えた。
アンナは、その男が持ってきた書類に視線を落とした。
―――名前、アレクサンダー・アームストロング。ジョブ、戦士(LV 42)。装備、ウォーハンマー、etc。
「アレクサンダーのご経歴、拝見しました。どのようなスキルを持っているか伺ってよろしいでしょうか?」
男はウォーハンマーを振り回しながら、自信たっぷりにこう答えた。
「大型の魔物だろうが何だろうが、こいつの一撃で叩き潰すことが出来る!」

===

「で、どうなったの?」エマはアンナを見つめてからかうように言った。
「どうしようもないから、合う求人が出たら連絡するって言って、帰ってもらったわよ」
「あれ? でも、今日もマーブル地方の採石場から求人があったじゃない?」
アンナは、フォークに刺したカボチャを口元で止めて、エマを見つめ返して言った。
「その求人と一緒に、“一撃で石材を粉々に叩き潰してしまう人は転職させないでくれ”ってクレームも来たのよ」

===

つまり、「すべての冒険者は、速やかに一般の職業に転職すること」という法令も、この500年間でもっとも危機的な混乱をボーデ神殿にもたらしたのである。