今宵、狼神様と契約夫婦になりまして(WEB版)

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「いやー、それにしても、新山ちゃんが祓除師になるなんてねえ。しかもまだ始めたばかりなのにあの癒札の効き具合、かなり才能ある気がする」

──それこそ、琴子さんを超えるかもね。

 グラスを置いた高塔は感慨深げに呟きながら、湯葉入りだし巻き卵に箸を伸ばす。この店の看板メニューのひとつだ。

「俺、実は礼也が新山ちゃんのことを無理矢理家に連れ込んでるんじゃないかとちょっと心配してたんだよね。でも、今回の件で平気そうだなって思った」
「…………。無理矢理に連れ込んだりなんか、しない」
「そうなんだけどさ、新山ちゃんにとっては礼也って上司だろ? 提案されたら断りづらいのは事実だろ?」

 高塔の指摘に、相澤は黙り込んだ。そんな相澤を見つめ、高塔はふっと口元を緩める。

「新山ちゃんが祓除師の修行をしたいって言い出したときに、この子は礼也のことが本当に心配なんだろうなって感じた。で、この前は危険を侵してまで礼也の元に駆けつけたのを見て、確信した」

 高塔は再び酒を飲み干すと、相澤のグラスにも注ぐ。

「まあ、半妖と人間だと大変なことも多いと思うけど、あの子なら大丈夫なんじゃない? 悠翔のこともすごく可愛がっているし、そもそも礼也の両親なんて純粋な狼神と人間だったわけだし」

 相澤は徐々に満たされてゆくグラスを見つめる。
 陽茉莉との関係をはっきりさせたほうがいいというのは、相澤もずっと感じていた。

 独身の男女、しかも上司と部下が一緒に住んでいるなど、普通に考えると非常識な状況だ。もしも会社の同僚などに公になれば、相澤だけでなく陽茉莉まで立場が悪くなる。

「まだ〝清廉潔白な間柄〟なわけ? あれ聞いたとき、悪いけど大笑いした」

 その下りについては、後日笑い話として高塔から聞いた。陽茉莉が詩乃のことを相澤の恋人だと勘違いしていて、そう言ったと。

「……きちんとしないといけないって、わかってる」
「礼也と気まずくなった後に新山ちゃんの保護が必要になったら、俺が引き受けてやるから安心しろ。俺も新山ちゃんの愛妻ご飯食べたいからな」

 高塔は相澤に発破をかけるように、軽口を叩く。
 その瞬間、相澤の目付きが剣呑なものへと変わり、部屋の気温がぐっと下がった。

「心配無用だ。陽茉莉は俺が守る」

 低い声には、邪鬼と対峙するときのようなすごみがあった。完全に男として敵視されている。

「決めるのは、新山ちゃんだろ?」

 澄ました表情で片眉を上げてみせると、ガタッと相澤が立ち上がった。高塔はその後ろ姿を見送り、苦笑する。

(相変わらず、新山ちゃんのことになると余裕がなくなるよね)

 高塔からすると、相澤は赤ん坊の頃から成長を見守ってきた弟のような存在だ。すっかりと大人の男になったと思っていたが、こうしてときに余裕をなくすところを見るとついついからかいたくなる。


 店を出て、ひとり歩き始めた高塔はふと空にぽっかりと浮かんだ丸いものに気が付く。

「あれ? やばい、ちょっとやりすぎたかも……」

 今日は満月であることをすっかり失念していた。
 先ほどの高塔の挑発と酒の力も相まって、これはさぞかし力強く迫られること間違いない。

「うーん。でも、まっ、いっか」

 高塔はからりと笑っていつものような適当さで〝問題なし〟と判断する。

「もう一店舗くらい飲んでいくかなー」

 明日には、いい報告が聞けるかもしれない。
 そんな想像をしつつ、高塔は軽い足取りで夜の町へと消えていった。

◆◆    2


 リビングでテレビを見ていると、玄関の鍵が回るカチャリという音がした。

「ただいま」
「あ、礼也さん。早かったですね。お帰りなさい」

 陽茉莉は相澤に向かい、ふわりと笑いかける。
 今日は、高塔と飲みに行くから遅くなると事前に聞いていた。まだ夜の十時前なので、思ったより早い帰りだ。

「楽しかったですか?」
「うん、まあまあ」

 相澤はこくりと頷くと、じっと陽茉莉を見つめてくる。

(な、なんだろ……?)

 陽茉莉はその射貫くような視線に、一瞬ドキリとした。

「そうだ。私、礼也さんにお伝えしないといけないことがあって」

 陽茉莉は妙な緊張感を覚えてソファーの端に姿勢を正して座り直す。心臓の音を隠すように、努めて明るく話を変えた。

「伝えたいこと? 俺に?」

 相澤は首を傾げたが、話を聞こうと思ったようで、陽茉莉の横に腰を下ろした。

「はい。実は、そろそろ居候もご迷惑かと思ったので、引っ越そうかと──」



 悠翔から『そろそろお父さんが帰ってくる』と聞いたのは、二週間ほど前。そのときから、ずっと考えていた。

 悠翔のお父さんが帰ってくるなら、親子水入らずの家庭に部外者の陽茉莉がいるのは迷惑になるはずだ。ならば、その前に自分はここを出たほうがいい。

 あの事件の翌日、陽茉莉はかつて助けた犬(正確には、犬だと思い込んでいた生き物)が相澤だったのではないかと問い詰めた。
 すると、相澤はばつが悪そうにそれを認めた。相澤は最初から、陽茉莉があのとき助けてくれた少女だとわかっていたと。

 ──それを聞いて、色々と腑に落ちた。

 なぜ相澤はこんなにもよくしてくれるのだろうと、陽茉莉はずっと不思議に思っていた。明らかに、部下を心配する上司の範疇を超えている。

 もしかして、相澤は自分に特別な気持ちを持っていてくれているのではないか?

 そんなことを思ったこともあるけれど、いまいち自信が持てなかった。

 相手は仕事ができて社内女子に大人気のイケメン。対する自分は、仕事が特別できるわけでもなければ、見た目も平凡の範疇に入るだろう。

 それに何よりも、これだけ一緒に過ごしながら相澤は一度たりとも陽茉莉に手を出そうとしないし、そんな雰囲気になったこともない。それは相澤が陽茉莉を女として見ていない証拠のようにも思えた。

 だからあの日、悟ったのだ。
 相澤にとって、陽茉莉を守っているのはきっと恩返しの気持ちが強いのだろうと。


「引っ越す?」

 相澤の声が一段低いものに変わる。

「なんで?」
「悠翔君から聞いたんです。お父さんが帰ってくるって。それなら、私はお邪魔でしょうし。それに、最低限の祓除札は使えるようになったので──」
「だめだ」
「え?」

 陽茉莉は驚いて相澤を見返す。
 まさか、こんなに頭ごなしに否定されるなんて思っていなかった。むしろ、厄介ごとが減ったと喜ばれると思ったのに。

「親父は時々帰ってくる。だが、帰ってきても俺と悠翔の顔を見たら、その日のうちに次の場所に移動する。今回も同じだ」
「そうなんですか?」

 なら、親子水入らずの邪魔にはならないだろうか?
 でも……、と陽茉莉は思い直す。

「でも、礼也さんは私がずっとここにいると迷惑でしょう?」

 相澤は不機嫌そうに眉根を寄せた。

「迷惑なはずないだろう。俺にはお前が必要だ」

 陽茉莉の胸はドキンと跳ねる。