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「――ねえ、珠莉ちゃん。純也さんのことで、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
愛美は部屋に戻ると、意を決して珠莉に声をかけた。
〝訊きたいこと〟とはもちろん、純也さんのこと。彼について訊ねるなら、彼の親戚である珠莉が一番の適任者だ。
「ええ、いいけれど。何ですの?」
「あのね、春に純也さんが寮に遊びに来た時のことなんだけど……」
あの日からずっと、珠莉と純也さんの力関係が微妙に変わったと愛美は感じていたのだ。
「わたしがインフルエンザで入院してたこと、ホントは純也さんに話してないよね? あの時は話を合わせてたみたいだけど」
「……ええ、話していないわ。だから私もあの時、おかしいなと思ったの。でも、何か事情がおありなんだと思って、とっさに話を合わせたのよ」
「やっぱり……」
(あの時の引っかかりの原因はコレだったんだ……)
愛美は合点がいった。あの時、彼女の様子がおかしかったのには、こういう事情があったらしい。
「それでね、私はピンときて、叔父さまを問いつめましたの。『愛美さんの保護者の〝おじさま〟って、純也叔父さまのことですわよね?』って。そしたら、叔父さまは渋々ですけれどお認めになりましたわ」
「そうだったんだ……」
珠莉は、叔父が愛美の〝あしながおじさん〟だということを知っていたのか……。
「だから珠莉ちゃん、あれからわたしに協力的になったんだね。ありがと」
「……愛美さんも、もしかして気づいていらっしゃるんですの? おじさまの正体に」
「うん。でもね、わたしは気づいてないフリをすることにしたの。だから純也さんの方から打ち明けてくれるまで、わたしからは訊かない」
彼は愛美を欺いていることを心苦しいと思っているだろうから。いつか良心の呵責で、打ち明けてくれる時がくるだろう。――彼はそういう人だから。
「そうですの。……まぁ、それがいいかもしれませんわね。お二人のためには」
「……うん、そうだね。珠莉ちゃん、ありがと」
愛美としては、苦しんでいる純也さんをこれ以上追い詰めるようなことはしたくなかったので、珠莉からそう言ってもらえてホッとした。
「叔父さまは、本当に分かってらっしゃらないのかしら? 愛美さんに正体を見破られていること」
「多分……ね。気づかないフリができるほど器用な人じゃないもん」
姪の珠莉よりも、恋人である愛美の方が彼の性格を熟知しているというのもおかしな話だけれど――。
「――それにしても、さやかちゃんは大変だね。二学期始まって早々、部活なんて。お昼ゴハンに間に合うように帰ってくるとは言ってたけど」
今この場に、さやかはいない。彼女が所属する陸上部はインターハイの反省会をやっているのだそう。
ミーティングだけなので練習があるわけではないけれど、二学期初日に集まらなければならないのは確かに大変である。
「その点、私たち文化部はいいですわよね。基本的に自由参加ですもの」
「うん」
文芸部も茶道部も一応、今日も活動はしているのだけれど。参加しているのはごく一部の部員だけだろう。
「……そういえば珠莉ちゃん。さやかちゃんにも話したの? 純也さんが、わたしの保護者の〝あしながおじさん〟だってこと」
「ええ、早い段階でお話ししてあるわ。でも、愛美さんご自身が気づかれるまでヒミツにしていましょうね、ということになったのよ」
「そうだったんだ……」
愛美は何だか、自分一人だけがのけ者にされたような気持ちになったけれど。それはきっと、親友二人の愛美への思いやり。彼女と純也さんの恋をそっと見守っていようという気遣いだったんだろう。
「――あ、もうすぐお昼のチャイム鳴るね。さやかちゃん、そろそろ帰ってくるかな」
キーンコーンカーンコーン ……
「ただいま! お腹すいたぁ! 二人とも、食堂行こう」
十二時のチャイムが鳴るのと、さやかが空腹を訴えながら部屋に飛び込んでくるのはほぼ同時だった――。
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それから一ヶ月。愛美たちの学校では体育祭や球技大会、文化祭などの大きな行事も終わり、二学期の中間テストを間近に控えていた。
そんなある日のこと――。
『――恐れ入ります。こちらは明見社文芸部の、〈イマジン〉編集部でございますが。相川愛美さんの携帯で間違いありませんでしょうか?』
休日の午後、さやかと珠莉と三人で、部屋でテスト勉強に励んでいた愛美のスマホに一本の電話がかかってきた。
「はい、相川ですけど。……ちょっとゴメン! 外すね」
愛美は電話に応対するために二人のルームメイトに断りを入れ、一旦自分の寝室に引っ込んだ。
「――あ、失礼しました。改めて、わたしが相川愛美です」
『この度は、〈イマジン〉の短編小説コンテストにご応募頂きましてありがとうございます。相川さんの選考結果をお伝えしたく、お電話を差し上げました』
「はい」
そういえば、そろそろ結果が出る頃だと愛美も思っていたのだ。
『厳正なる選考の結果ですね、相川さんの応募作が佳作に選ばれまして。〈イマジン〉の来月号に掲載されることが決まりました!』
「……えっ!? それホントですか?」
『はい、本当です。おめでとうございます! 相川さん、当誌から作家デビュー決定ですよ! これからも頑張って下さいね!』
「ホントなんですね!? わたしが……作家デビュー……。あの、ご連絡ありがとうございます! わたし、頑張ります! 失礼します」
興奮のあまり声が上ずって、心もち血圧も上がっているかもしれない。それでも何とか落ち着いて、愛美は通話を終えた。
「さやかちゃん、珠莉ちゃん! わたし――」
「聞こえてたよ、愛美。おめでとう!」
勉強スペースに戻ってきた彼女が口を開こうとすると、さやかがみなまで言わせずに喜びの言葉をかぶせて来た。
「愛美さん、デビュー決定おめでとう。やりましたわね」
「うんっ! 二人とも、ありがと!」
親友二人からの温かいお祝いの言葉に、愛美は胸がいっぱいになりながらお礼を言った。
「――そうだ愛美。このこと、おじさまに報告しなくていいの? おじさまも待ってるんじゃない?」
「……うん。そうだね」
さやかに訊ねられ、愛美は悩んだ。――この報告は、〝あしながおじさん〟と純也さんの両方にすべきなのか、それとも〝あしながおじさん〟だけにしてもいいのか?
(だって、結局は同じ人に報告してることになるんだもん)
両方に報告することは、愛美にしてみれば二度手間でしかない。けれど、どちらか一方だけに知らせれば、彼は「もしかして、自分の正体がバレているんじゃないか」と感づくかもしれない。
(どうしようかな……)
「愛美さん。純也叔父さまには私からお知らせしておきますわ。だから、あなたはおじさまにだけお知らせしたらどうかしら?」
悩む愛美に、珠莉が助け船を出してくれた。
「姪の私が知らせても、純也叔父さまは不思議に思われないわ。お二人とも回りくどいのが嫌いなのは分かっておりますけど、そうした方がいいと思うの」
そうすれば、純也さんからはきっと後からお祝いのメッセージが来るだろう。……珠莉はそう言うのだ。
「そうだね。珠莉ちゃん、ありがと。じゃあそうしようかな」
「あたしもそれでいいと思うよ。まどろっこしいけど、仕方ないよね」
「うん」
やっぱり、さやかも珠莉が言った通り、〝あしながおじさん〟の正体を知っているらしい。
「じゃあわたし、勉強が終わったらおじさまに手紙書くね」
「うん! そうと決まれば、早く勉強終わらせよ!」
この嬉しいニュースのおかげで、この後三人の勉強が捗ったのは言うまでもない。
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『拝啓、あしながおじさん。
おじさま、ビッグニュースです! わたし、作家デビューが決まりました!
今日の午後、さやかちゃんと珠莉ちゃんと三人でテスト勉強をしてた時に、出版社の人から連絡が来たんです。わたしが応募した作品が、文芸誌の短編小説コンテストで佳作に選ばれた、って。その作品は、その文芸誌の来月号に掲載されるそうです!
この小説は、夏休みにわたしが書いた四作の中から純也さんが選んでくれた一作です。彼には本当に、感謝しかありません!
わたしとおじさま、そして純也さんの夢が早くも叶いました。しばらくは雑誌に短編が載るくらいですけど、いつかは単行本も出してもらえるように、わたし頑張ります! その時には、ぜひ買って下さいね。
短いですけど、今回はこのお知らせだけで失礼します。テストの結果、楽しみにしてて下さい。奨学生になったんですから、絶対に優秀な成績を取ってみせますよ!
十月十八日 作家デビュー決定の愛美』
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「――よし、こんなモンでいいかな。純也さんには、珠莉ちゃんが知らせてくれるって言ってたし」
これまで純也さんのことをさんざん書いてきたのに、いきなりそれをやめてしまったら、〝あしながおじさん〟も首を捻るだろう。そして、勘繰るに違いない。「もしや、自分の正体がバレてしまったのでは?」と。
だから、これでいい。――愛美は一人頷いた。
――作家デビューしてからの愛美の日常は、それまでと比べものにならないくらいめまぐるしく過ぎていった。
学校の勉強では、奨学生になった身なので成績を落とすことが許されず、中間テストでも学年で五位以内に入る成績を修めた。
――もっとも、彼女は元々勤勉で、勉強でも手を抜いたことはないのだけれど。
そして、作家デビューが決まった文芸誌〈イマジン〉では二ヶ月連続で彼女の短編作品が掲載されることになり、勉強と同時にその原稿の執筆にも追われた。
「相川先生はまだ高校生なんですから、あくまでも学業優先でいいですよ」
と担当編集者の岡部さん(ちなみに、男性である)は言ってくれたけれど、一応はプロになり、原稿料ももらう立場になったのでそれもキッチリこなさなければと真面目な愛美は思ったわけである。
純也さんからは、〝あしながおじさん〟宛てに作家デビューが決まったことを知らせる手紙を出した数日後、スマホにお祝いのメッセージが来た。
『珠莉から聞いたよ。おめでとう! 僕も嬉しいよ(≧▽≦) 頑張れ☆』
本当に珠莉が知らせてくれたのだとは思うけれど、もしかしたら手紙の返事だったのではないかと愛美は思っている。
でなければ、珠莉から知らされたその日のうちにメッセージが来なかった理由の説明がつかないから。
――そうして迎えた、高校生活二年目の十一月末。
「ねえ愛美さん、今年の冬休みは我が家にいらっしゃいよ」
愛美を家に招待してくれたのは、意外にもさやかではなく珠莉だった。
「えっ? あー、うん。わたしは別に構わないけど……」
さやかはどう思うのだろう? 去年の冬がすごく楽しかったから、今年の冬も愛美と一緒に過ごすのを楽しみにしてくれているかもしれないのに。
「ああ、ウチのことなら気にしないでいいよ。愛美がいない時でもあんまり変わんないから。っていうか、やっぱ埼玉より東京の方がいいっしょ?」
さやかは意味深なことを言った。〝東京〟で思い浮かぶ人といえば……。
(もしかして、純也さんも東京にいるから、ってこと?)
彼も一応は東京出身だし、現住所も東京都内だ。もしかしたら、今年の冬は実家に帰ってくるかもしれない。
もちろん、愛美の勘繰りすぎという可能性もあるけれど……。
「――っていうか、珠莉ちゃん。純也さんって実家にはほとんど寄りつかないって去年言ってたよね? 親戚との関係がどうとかって」
「ええ、確かにそんなこと言いましたわね」
一年前までの彼はそうだったかもしれない。姪である珠莉のことさえ避けていたふしがある。
けれど、今年の冬はどうだろう? 珠莉との仲はそれなりによくなってきたようだし、愛美という恋人もできた。彼の心境には明らかな変化がある。
(でも、だからって親戚みんなとの関係までよくなったかっていうと……)
そこまでは、愛美にも分からない。純也さんが話そうとしないので、知る術がないのだ。
「彼、今年はどうするのかなぁ? わたしを招待することは、まだ純也さんに伝えてないよね?」
「そうねぇ、まだ。こういうことは、愛美さんからお伝えした方が純也叔父さまもお喜びになるんじゃないかしら。あなたがいらっしゃるって聞いたら、叔父さまも帰っていらっしゃるかもしれないわ」
「うん、そうだね。わたしから電話してみる」
愛美はいそいそと、スマホの履歴から純也さんの番号をリダイヤルした。
別に自分が辺唐院家の関係を修復する潤滑油になりたいとは思っていない。愛美はただ、冬休みにも大好きな純也さんに会いたいだけで……。動機としてはちょっと不純かもしれないけれど。
そして、もしも彼が本当に〝あしながおじさん〟だったとしたら、絶対に「冬休みは辺唐院家へ行くように」という指示が送られてくるはずだから。
『もしもし、愛美ちゃん。どうしたの?』
時刻は夕方五時半過ぎ。普通のお勤め人なら、帰宅途中というところだろうか。もしくは、まだ残業中か。
でも、彼は若いけれど経営者である。そもそも〝定時〟というものがあるのかどうか分からないけれど、愛美には彼が今オフィスにいるのか、自宅にいるのか、はたまた別の場所にいるのかまったくもって推測できない。
「あ……、愛美です。久しぶり。――あの、純也さんはこの冬、どうするのかなぁと思って」
『う~ん、どうしようかな。実はまだ決めてないんだ。まあ、仕事はそんなに忙しくないし。そもそも年末は接待ばっかりでね、僕もウンザリしてる』
「純也さんって、お酒飲めないんだっけ?」
『そうそう! でも、接待だから飲まないわけにもいかなくて。少しだけね』
「大人って大変なんだね……。あのね、わたし、珠莉ちゃんに招待されたの。『冬休みは我が家にいらっしゃいよ』って」
……さて、エサは撒いた(というのも失礼な言い方だと愛美は思ったけれど)。純也さんはどうするだろうか?
『えっ、珠莉が……』
「うん、そうなの。わたし、お金持ちのお屋敷に招待されるの初めてで、ものすごく緊張しちゃいそう。でも、純也さんも一緒にいてくれたら大丈夫だと思うの。だから純也さんも、たまにはご実家に帰ってこられない?」
愛美自身、言っているうちに鳥肌が立っていた。こんな媚び媚びのセリフを自分が言っているのが自分でも気持ち悪くて。
(こんなの、わたしのキャラじゃないよ……)
「ご家族とうまくいってないことは知ってます。でも、わたしのためだと思って、お願い聞いてくれないかな?」
しばらく電話口で沈黙が流れた。そして、彼の長~~~~いため息が聞こえたかと思うと、次の瞬間。
『…………分かったよ。僕も今年は実家に帰る。他でもない愛美ちゃんの頼みだからね』
「純也さん……! ありがとう!」
『ただし、親族ともうまくやっていけるかどうかは分からない。居心地が悪くなったら、すぐに出ていくかもしれないよ』
「そんな……」
『まあ、愛美ちゃんを孤立させるようなことだけはしないから。何かあったら僕が盾になってあげるから、安心してよ』
「……うん。じゃあ、失礼します」
電話を切った愛美には、ちょっと不安が残った。
「大丈夫かな……」
親族間の問題は、愛美に解決できるものじゃない。それは純也さん自身が何とかするしかないのだ。
それに、もしも愛美が施設出身だということを、あの家の人たちが悪く言ったら……?
彼はきっと、自分のことをどれだけひどくこき下ろされても何ともないと思う。けれど、自分の大事な人のことをバカにされたらガマンならないんじゃないだろうか。
(まあ、その前にわたしがブチ切れるだろうけど)
愛美はこれまで、自分の育ってきた境遇を恥じたことなんて一度もない。同情されるのもキライだけれど、バカにされるのはその何十倍もキライなのだ。
「――愛美さん、叔父さまは何とおっしゃってたの?」
珠莉の声で、愛美はハッと我に返った。――そうだ。この部屋には珠莉もさやかもいるんだった!
「ああ、うん。わたしが行くなら、たまには実家に帰ってみるよ、って」
「……そう。他には?」
「他の親族とうまくやれるかどうか分からないから、居心地が悪くなったら出ていくかも、って。でも、わたしに何かあったら盾になってくれるらしいよ」
「なるほど。……まあ、叔父さまは元々そういうクールな人だものね。でも、叔父さまがそんなことをおっしゃるようになったなんて。愛美さんのおかげでお変わりになったのかしら」
「え……」
自分が誰かを変えた。まさか、そんな影響力を自身が持っていたなんて! ――愛美は本当に驚いた。
「恋っていうのは、人をここまで強くするものなのね」
「ああ……、そういうことか」
どうやら愛美の力ではなく、恋の魔力とかいうヤツの力らしい。
「――ところで、話変わるんだけど。珠莉ちゃんのお家でもクリスマスってパーティーとかするの?」
さやかの家はアットホームで楽しくて、愛美も居心地がよかった。クリスマスパーティーも手作り感満載で、参加した子供たちもすごく楽しんでくれていた。
「ええ、もちろん。ウチは盛大に行いますわよ。社交界の面々、特に政財界の大物も多数ご招待してますし、ドレスコードもキチっとしてますの」