「多恵さんも、元気そうだね。急な頼みをしてすまないね。僕の部屋は空いてるかな?」

「はい、もちろんでございます! いつ坊っちゃんがいらっしゃってもいいように、ずっとそのままにしてございますよ。さあさ、坊っちゃん! お上がり下さいまし!」

 多恵さんはもみ手しながら、純也さんを家の中へと促した。

「……どうでもいいけど。多恵さん、僕のことを『坊っちゃん』って呼ぶの、いい加減やめてくれないかな? もう三十なんだけど」

 純也さんは困惑気味に、多恵さんに物申していた。
 いくら相手が元家政婦さんでも、アラサーの男性が「坊っちゃん」呼ばわりされるのは恥ずかしいんだろう。

「何をおっしゃいます! 私と夫にとっては、坊っちゃんはいつまでも坊っちゃんのままですよ。ええ、私はやめませんよ! いくら坊っちゃんのお願いでも」

「……ダメだこりゃ」

 やめるどころか、多恵さんの「坊っちゃん」呼びは余計にひどくなっている。もう意地なのかもしれない。

「多恵さんはきっと、いくつになっても純也さんが可愛くて仕方ないんですね。ほら、お子さんいらっしゃらないでしょ? だから純也さんのこと、自分の息子さんみたいに思ってるんですよ」

「はあ。そんなモンかね」

 愛美の意見に、純也さんは困ったように肩をすくめてみせた。
 善三さんと多恵さんの夫婦に子供がいないことは、愛美も去年の夏休みに聞いていた。それも、本人から聞くのは忍びなくて、佳織さんから聞き出したのだ。――多恵さんは昔、病気によって子供ができない体になってしまったんだ、と。
 だから余計に、昔自分がお世話をしていた、我が子くらいの年頃の純也さんのことを今でも息子のように思っているんだろう。

「純也さん、暑かったでしょ? お部屋に上がる前に、ダイニングで冷たいものでもどうですか? っていっても麦茶しかないですけど」

「悪いね、愛美ちゃん。ありがとう。じゃあもらおうかな」