「はい。去年の冬くらいからハマってるらしいですよ。そのためにわざわざホームベーカリーまで買っちゃったって」

『……そうなんだ。善三さんも大変だな』

 電話の向こうで、純也さんが苦笑いしている。
 ホームベーカリーは決して安い買いものではないので、ねだられた善三さんに男同士の身として同情しているらしい。

「そうですね。――あ、多恵さんとお話しますか?」

『うん、代わってもらえるかな?』

「はーい。ちょっと待って。スピーカーにしますね」

 愛美は笑って答えながら、スマホの通話画面のスピーカーボタンをタップして、作業台の上に置いた。これで、手を放していて(ハンズフリーで)も話ができる。

「坊っちゃん、多恵です。お元気そうで安心いたしました」

『うん、元気だよ。そっちは楽しそうだね。僕も混ぜてほしいくらいだ。東京はすっかり猛暑でね。ホント参ってるよ』

「愛美ですけど。純也さん、こっちにはいつごろ来られそうですか? 十日前にメッセージ送ったのに、既読スルーされちゃってるから」

 愛美はちょっと口を尖らせて彼に訊ねた。まだ付き合ってもいないのに(と、愛美本人は思っている)、これじゃ彼氏に知らん顔されている彼女みたいだ。

『あー、ゴメン! 仕事に忙殺されてて、ついうっかり返信するの忘れてたんだ。明日から休暇を取ったから、明日の……そうだな、午後にはそっちに着くと思う。ドライブがてら、車で行くから』

「分かりました。坊っちゃん、こちらではゆっくりおできになるんですか?」とは、多恵さんの言葉。

『さあ、どうだろう? それはそっちに着き次第かな。でも、愛美ちゃんもいるならすぐに東京に帰っちゃうのはもったいないな』

 つまり、純也さんはできるだけ長い時間を愛美と一緒に過ごしたいということだろうか。

「……そんな、もったいないお言葉です。じゃあ明日、お待ちしてますね。失礼しまーす」

 愛美は通話終了のボタンを押した後も、ドキドキしていた。

(明日、純也さんがこの家に来る……)