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 玲夜はぐっすりと眠る柚子の寝顔を見ながら今日のことに思いを馳せる。
 仕事中、高道の電話が鳴ったかと思ったら、近くにいた玲夜にも聞こえるほどの声で桜子がなにやら怒っていた。
 普段声を荒げることのない桜子が珍しいと思いつつ仕事を進めていた玲夜は、漏れ聞こえてきた、柚子がミコトに叩かれたという話に思わず手を止める。
 小娘が大事な柚子に手を出すなどどうしてやろうかと考えていると、突然高道の焦った声に目を向けた。
「桜子!? 桜子、どうしたのです!?」
「高道、どうした?」
「分かりません。突然桜子の悲鳴が聞こえたきり返事がなくなってしまいまして。かすかに電話の向こうから誰かの悲鳴や騒いでいる声は聞こえてくるのですが……」
「桜子は大学だな?」
「はい」
「行くぞ」
 迷う時間などなく、玲夜はすぐに大学へ向かう決断をして動き出した。
 そして、大学へ向かう途中で柚子から電話がかかってきて、桜子の状態を知った。
 大学に着くと、柚子は青い顔をしており、玲夜を見てわずかにほっとした表情をしつつも体は強張っていた。
 血まみれの桜子の意識はなく、窓硝子の下敷きになったと説明されたが、それぐらいで鬼がここまで重傷を負うことはないと不審に思う。
 自然と玲夜と高道の顔が険しくなった。
 なにがあったのかと現場を確認したが、おかしな点は見つけられなかった。
 いや、おかしいと言えばおかしいのだ。
 なにもなく窓硝子が桜子に向けて飛んでくるはずもない。
 玲夜も、そして高道も、なに者かのあやかしの仕業を予想したのだが、霊力の残滓は見つけられなかった。
 そんな時だ、柚子が玲夜の名を叫んだのは。
 柚子は龍がいると言った。
 だが、玲夜にはなにも見えない。
 しかし、柚子の言葉を証明するように柚子の手には鎖のような赤い跡が残された。
 鬼である自分に感知することのできない存在。
 なぜ柚子にだけ見えるのかと不思議なことばかりだ。
 しかも、柚子の手を治そうとしたが治せなかったという事実。
 それはつまり玲夜の霊力では治すのには足りない、玲夜よりも霊力の強いなにかの影響を受けたということを示していた。
 屋敷に戻ってから再度治そうと試みたが駄目だった。
 だと言うのにだ、猫たちが舐めるとそれは綺麗さっぱり治った。
 猫たちが霊獣だということは玲夜も知っている。
 けれど、玲夜ですら治せない傷を治せるほどの霊力があることまでは分かっていなかった。
 思っていた以上にあの猫たちは強い力を持った霊獣なのかもしれないと玲夜は考える。
 そして、柚子が見た龍もまた玲夜以上の霊力を持っている可能性がある。
 だが、それがなんなのか龍を見ていない玲夜には判断ができない。
 分かるのは一龍斎になにかヒントがあるのではないかという可能性だ。
 一応今回のことは父親の千夜にも報告しているが、千夜でも分からない様子。
 いったいなにが起きているのか分からず苛立ってしまう。
 そんな玲夜のもとに子鬼がトコトコとやって来た。
「どうした?」
「いってる」
「まろとみるくがいってる」
 玲夜を前にそう口にする。
 いつからか突然言葉を発するようになった子鬼たち。
 玲夜はこの子鬼たちに話をするような力は与えていなかった。
 原因は霊獣である猫たちに瀕死の状況で霊力を分け与えられたからだと思われる。
 子鬼が話ができるようになったら、今以上に柚子が構い倒すと危惧した嫉妬深い玲夜は、子鬼たちに柚子の前では話さないようにと厳命した。
 今柚子は眠っているので大丈夫だと判断したのだろう。
「どういうことだ?」
「りゅうのしわざ」
「りゅう、おなじ。まろとみるくとおなじもの」
「柚子の見た龍は霊獣だと言いたいのか?」
 こくこくと子鬼がそろって何度も頷く。
 どうも子鬼たちはまろとみるくと意思の疎通が図れるらしい。
 玲夜には猫たちの言ってることは分からない。
 きっとそれもまた猫たちから霊力を分け与えられたからと思われる。
 子鬼たちは玲夜が作った使役獣だが、すでに純粋な使役獣とは違った存在になっているように玲夜は感じていた。
 あやかしとは似て非なる存在。
 より神に近い霊獣。
 その力によるものなのだろう。
 そしてそんなまろとみるくが告げた。
 龍は自分たちと同じものだと。
「他になにか言っていたか?」
「りゅう、つかまった」
「いちりゅうさいにつかまった」
「りゅうは、にげだいの」
「どういうことだ? そしてなぜ柚子にだけ見える?」
 もう少し詳しく聞きたい玲夜だったが、子鬼たちはこてんと首を傾げてから、首を横に振った。
「わかんない」
「そこまでおしえてくれない」
「そうか……」
 玲夜は、ベッドに寝ている柚子の足下で丸くなって寝ている二匹を見る。
 そもそもなぜ霊獣などという存在が柚子に懐いたのか。そこからしておかしなことではある。
「でも、みえるりゆうはしってる」
「まろとみるくがいってた」
「ゆずつながってる」
「ゆずのせんぞしらべる」
「柚子の先祖だと?」
 子鬼たちはこくりと頷く。
「ゆずそしつあった」
「だからみえる」
「だからまろとみるくきた」
「素質?」
 もうお終いというように子鬼たちは玲夜から離れ、まろとみるくのそばに寝っ転がった。
「柚子の先祖か……」
 玲夜はスマホを取り出し、使用人頭へメールを送った。
 本当は高道にと思ったが、今は桜子のこともあるので送るわけにはいかない。
 そんなことをすれば、高道のことなので玲夜を優先させることは目に見えていたからだ。
 必要なことを送った玲夜は、柚子の髪をそっと撫でると、こめかみに優しく口付けを落とす。
「おやすみ、柚子」
 そうして、玲夜は部屋を後にした。