一龍斎ミコトとの顔合わせの日がやって来た。
玲夜は見合いのつもりはないので、特に柚子になにかを言うこともなく家を出てきた。
きっと柚子はいつも通り仕事に向かったと思っているだろう。
玲夜自身、仕事の延長線上のつもりだ。
一龍斎と悔恨を残さぬため。
そして、柚子が気にしている龍のことを確認するためでしかない。
孫娘が一目惚れしたとか、正直どうでもいい。
お見合いではないということを強調した上で、それでいいかと千夜から一龍斎に了承を得て会うこととなった。
一応付き添いで玲夜には千夜が、向こうからはミコトと一龍斎の当主である一龍斎護が来るらしい。
とある料亭にて顔合わせは行われた。
玲夜が千夜と共に着いた時にはすでに先方は先に来ていた。
時間より随分と早い。
それだけ玲夜と会うことを待ち望んでいると取るべきだろうか。
個室に案内されれば、ふたりの人物が座っていた。
柚子と同じぐらいの年頃の女性で、人間の中では容姿が整っていると言っていいだろう。
けれど、柚子という花嫁がいる玲夜には微塵も心を動かす魅力は感じられなかった。
けれど、相手の方は玲夜を見るや、恥じらいながら頬を染める。
それを見ても、玲夜には逆に不快感が襲ってくるだけだ。
「お待たせしました~」
陽気に挨拶をする千夜は誰に対しても同じ調子だ。
例え相手が一龍斎の当主だとしても。
ミコトの隣にいるアッシュグレーの髪の老年の男性が頷く。
「どうやらこちらが早く来すぎたようだ。お気になさらず」
静かで、それでいてなにごとにも動じなさそうな重たい声。
まるで動くことのない山のようにどっしりと落ち着いた肝の大きさを感じる。
千夜とはまったく逆の空気を持った人物だと感じた。
千夜と玲夜も席について改めて挨拶を交わす。
「では、改めまして。こっちが僕の息子の玲夜です」
「玲夜です」
相手が一龍斎ということもあって、玲夜も今回ばかりはきちんと相手に敬意を示し頭を下げた。
「私とははじめましてになるか。私は護。そして、隣にいるのが孫のミコトだ」
「ミコトです。今日はお会いできて本当に嬉しいです」
頬を紅潮させ、興奮を抑えきれないといった様子のミコトに玲夜軽く頭を下げた。
言葉を返すことはなかったが、ミコトはそれだけで満足そうである。
そんなミコトを玲夜失礼にならない程度に観察する。
しかし、柚子が言っていたような龍の存在は確認できなかった。
そしてミコト自身にも、なんら感じるものはなかった。
ただの普通の人間の女性。
むしろ、隣にいる護の方が只人ではない空気を発している。
「ミコトや、玲夜さんで間違いないのか?」
「はい! このお方です!」
と、ミコトは興奮気味に頷く。その眼差しは玲夜に釘付けだ。
玲夜はというと、ミコトを確認できたのですでに帰りたくなっている。
しかしあからさまに不機嫌な態度もするわけにもいかず大人しくしている。
こうした社交的なことは千夜に任せるのが無難だと分かっていた。
ニコニコとした表情を変わらず浮かべている。
「それはよかった。長らく関わりの薄かった一龍斎と鬼龍院の次代を担う者が仲良くできるなら喜ばしいことですから」
暗に、ミコトが鬼龍院に嫁に来ることはないと言っているのだが、ミコトには伝わっていないようだ。
「まあ、そんな」
千夜の裏の言葉を素直に受け止めて嬉しそうにしている。
分かっていなさそうなミコトに千夜が追い打ちを掛ける。
「玲夜の婚約者とも仲良くしてくれると嬉しいよ」
「婚約者……」
一瞬でミコトの表情が抜け落ちた。
その目にはわずかな闘志が見える。
「お祖父さま」
ミコトは隣にいる祖父の袖をツンツンと引っ張る。
すると、護はにっこりと笑みを向けてから玲夜に向き直った。
「玲夜さん。孫贔屓に思われるだろうが、ミコトは器量もよくどこへ出しても恥ずかしくない子だ。どの家に嫁いでも上手くやっていけるだろう。だからどうだろうか。ミコトとのことを考えてくれないかね?」
「私にはすでに花嫁と呼ばれる婚約者がいることは伝えていたはずですが?」
一瞬千夜を見れば、怯えるようにこくこくと小さく何度も頷いている。
自分はちゃんと言ったよと訴えているのだろう。
「その花嫁というのはしょせん庶民の出であろう? そんな娘よりミコトの方が相応しいと思わないかね?」
「思いませんね。私には柚子以上の存在などありはしませんので」
まさに一刀両断。
わずかな隙も見せぬ返しに、にこやかに話していた護の目が険しくなる。
「ミコトがその娘より劣ると?」
「考え方の違いです。あやかしにとって花嫁以上のものなどない。どんなに美しくても、どんなに器量がよかろうと、後ろに一龍斎控えていようと、花嫁を得ること以上の利にはならない」
今度こそ分かりやすく護の眉間に皺が寄る。
「鬼龍院の当主としても同じ意見か?」
「そうですね~。僕は息子の花嫁のことを自分の娘のように認めているので」
「一龍斎と手を組めば今以上の権力を手にすることができるのだぞ?」
「うちはじゅうぶん力を持ってますよ~。それはそちらが一番よく分かっているはずですよね?」
笑みを絶やさぬ千夜は、護の迫力の前でもびくともしない。
見た目だけは気弱そうな千夜が、鬼龍院の当主であることを垣間見ることができる瞬間だ。
「そもそも、花嫁ではない人間があやかしの伴侶になることはできませんので」
あやかしの世界では常識なその話を玲夜が口にすると、護はふっと鼻で笑った。
「鬼龍院の次期当主でありながら知らないようだ。我が一龍斎の直系の血を引く娘ならば、花嫁でなくともあやかしに嫁ぐことができるのだぞ」
今度は玲夜の顔が険しくなり、隣にいる千夜の顔を窺えば、否定するかと思った千夜は否定すらどころかこくりと頷いて肯定を示した。
これには玲夜も驚く。
「本当ですか?」
「そーなんだよねぇ。初代花嫁の血を引く娘は、何故かあやかしとの間にも子をなすことができるんだ」
「つまり、花嫁でないことは拒絶の理由にはならない」
初めて知ったことだったので、一瞬言葉に詰まった玲夜だったが、自身の気持ちが揺らぐことはない。
「例えそうだったとしても、柚子以外の者を私の伴侶として迎えることはない。絶対に」
そう、絶対にだ。
強い意志の籠もった眼差しを護に向ける。
護もまた玲夜の眼差しを受け止めた。
互いの視線がぶつかり合う。
先に折れたのは護の方だった。
「なるほど。噂には聞いていたが、あやかしの花嫁とは思いの外厄介なもののようだ。ミコト、帰るぞ」
「えっ、お祖父さま!?」
年齢を感じさせない動きで立ち上がる護に、ミコトは驚きを隠せていない。
そして、玲夜も、これほど簡単に納得すると思っておらず内心驚いていたが、そこはやはり一龍斎の当主。
一筋縄ではいかなかった。
「とりあえず今日はただの顔合わせだ。目的は果たした。だが、諦めたわけではない。お前は彼を望んだ。一龍斎の娘であるお前がどこの馬の骨とも知れぬ者に負けるわけがなかろう?」
「はい! そうですよね。私が願って叶わないことなんてないんですもの」
いけしゃあしゃあと、よくもまあ玲夜の前で言えたものであるが、護もミコトも願いが叶わぬとは思っていない。
「それでは失礼するよ。またお会いしよう。その時はミコトの伴侶として会いたいものだ」
「あり得ませんね。そんなこと天地がひっくり返ろうとも起こりえない」
もう玲夜一龍斎に対して敵意を隠すこともしなかった。
鋭く護を睨み付ける。
「その威勢がどこまで続くか見物ではあるな。我々には龍のご加護があるのだよ。望みが叶わぬことなどありはしない」
そう不敵に笑い、護とミコトは部屋を後にした。
ふたりの姿が見えなくなってから少しして、ダンッと玲夜机に拳を叩き付けた。
「うんうん、よく我慢したねぇ。偉い偉い」
千夜はポンポンと玲夜の肩を叩く。
「俺が柚子を手放してあの女を娶ることなどあり得ない!」
「うんうん。そうだよねぇ。……でも、なぜあそこまで自信満々なのか気になるねぇ。一龍斎の当主ともあろう者がなんの根拠もなく言うとも思えないけど……」
途端に真剣な顔をして考え込む千夜に、玲夜は自身を落ち着かせるように息を吐いてから千夜を呼ぶ。
「父さん」
「なんだい?」
「父さんは初代の花嫁のことをどこまで知っていますか?」
「なにか気になることでもあるのかい?」
少しの沈黙の後、玲夜は話すことに決めた。
自分では知らないことも当主である千夜なら知っているかもしれないと。
「柚子が先程の女がいるところに龍を見たそうです」
「龍?」
千夜が目を丸くする。
それだけ龍というものの存在は現実的なことではなかった。
「二度。それも、柚子にしか見えない龍です」
「それは変だねぇ」
「ええ。ですが柚子が嘘を吐く理由もありません。龍と言えば、一龍斎を護っていると言い伝えられている存在です。そしてその龍と言えば初代の花嫁。祖先である鬼龍院に嫁いだとされる最初の花嫁が龍の加護を得ていたという話は父さんも知っているでしょう? ですが、その花嫁のことを多くは知りません。父さんはなにかご存知なのでは?」
「初代の花嫁ねぇ……」
「父さん?」
珍しく千夜がへらへらとした顔ではなく、眉間に皺を寄せた真剣な顔をしている。
そうしてみると、やはり玲夜と似ているなと思える。
「初代の花嫁については詳しくは分からない。けれど、鬼龍院の当主に口伝で受け継がれていることがある。とてつもなく胸くその悪くなる話だよ。聞きたい?」
「はい」
柚子に関わりるかもしれないことを、玲夜が聞かないという選択肢はなかった。