……男、の人。
 夜よりも濃い、黒色の着物と髪。少し長い前髪は目にかかっていて、ぼんやりと浮かぶ顔面に月明りの影を落としている。

(うそ、まさかホントにストーカー……っ!?)

 ――声が出ない。
 なら逃げなきゃ、と脳は指示を出すのに、脚は張り付いたみたいに動かない。
 背に冷や汗が浮かぶ。

(――ヤバい)

 直感に、縋るようにして鈴を握りこめた。と、その瞬間。

「……何をしている。その鈴に"祓え"の力はないだろう。だいたい、何故さっさと処理しない」

「……へ?」

「個人的な趣向で放置しているというのなら、好きにしろ。だがな、俺を巻き込むな」

「ちょっ、ちょっと待ってよ! 急になんの話?」

 怒りの滲む声で抗議してくる男に、私は混乱したまま「すとっぷ、すとっぷー!」と静止をかけた。

「祓えの力? 個人的な趣向? ちょっと、何を話しているのかさっぱりなんだけど!」

「……は?」

「いや、は? ってソレこっちが言いたいんだけど……」

 なんなの、コイツ。
 人違い……なのだろうけど、それにしたって随分と妙すぎる。

(……念の為、不審者として警察に届けておくべき?)

 そんなことを考えていると、男が慎重な足取りで、階段を二つほど降りてきた。
 月光の影が移り、不明瞭だった男の顔が青く浮かぶ。

 ――若い。
 学生とまではいかないが、私よりいくつか下といった風貌だ。
 品よく整った顔立ちをしているけれども、眉間に刻まれた不機嫌の証が、鋭い目つきと相まって印象を最悪にしている。

 彼がもう一歩を降りると、街頭の微かな光を拾った瞳がすらりと光った。
 ……"狩る"側を彷彿させる、鋭利な目。けれどどこか不思議と、綺麗だと思ってしまうような――。

「……何も、知らないのか」

「え、と……?」

「……どうしてここに、走ってきた」

「それは、私の帰り道ってのもあるけど……数日前から、変な気配がついて来るのよ。それが、ここを通るとなくなるから……」

(って、私ったらなんで素直に話しちゃったの!)

 相手がストーカーだったら、自爆行為もいいところだ。
 慌てて「あ、あの!」と声を上げた私は、なにやら深刻そうに思案する男のうっとおしそうな視線にもめげず、

「その、ここ最近私に付いて来てたのって、実はアナタだったり……?」

「ふざけるな。どうして俺がわざわざアンタを追わなきゃならない」

 聞いているのは私なんだけど……。
 思わずついて出そうになった言葉を、私はなんとか喉元で押し留めた。
 うん、まあ、違うなーとは思ってたんだけどね。念の為よ、念の為。