――苦しい、消えたい。でも、守りたい。
 その感情には、覚えがある。
 たしか、おばあちゃんが死んだとき。葬儀を終えて家に帰ってからも、待っていたのはそれまでとなに一つ変わらない、"いつもの"空間で。
 その中に遺された愛おしい記憶の残滓(ざんし)を見て、もう二度とあの声も姿も、ここには戻らないのだと痛感させられた。

 どんなに願おうと、どんなに求めようと。私の存在するこの世界は、あの大切な温もりを失ったまま。
 逃れられない苦しさに、いっそ息を止めてしまいたかったけれど、私の手元にはずっと持ち続けると誓った"お守り"があったから。
 指先をショルダーバッグに滑らせる。触れた鈴が、微かにりんと囁いた気がした。

「あなた、お爺さんが大好きなのね」

 涙を落とす声が、ピタリと止んだ。私は言葉を重ねる。

「私もね、すごく大好きな人を亡くしたの。その人と過ごした場所って、離れがたいの、わかる。温かい過去の残り香に浸っていられるし、その人がいたっていう、証明になるから」

 けれど、と。
 私は傍らに置いていた、この家をひっそりと見守っていた絵へと視線を滑らせた。

「愛おしければ愛おしいほど、寂しくなるのよね。だってその人を想うたびに、"もういない"って、再確認させられるんだもの。苦しくなる一方よ」

 顔を戻し、そっと少年の指先に触れる。
 拒絶のないことを確認して、力いっぱい握りしめた。

「けどね。私達は、生きているの。無理やりにでも前を向いて、自分の足で踏ん張るしかないのよ。縋りたい過去は、思い出にしなくちゃ。あなたが本当に守らないといけないのは、この"家"じゃなくて、あなたの"これから"でしょう?」

「っ、僕の、これから……?」

「私はね、いつか大好きな人とまた会えたら、"ちゃんと頑張ったよ"って笑って言いたいの。だから今を全力で楽しもうって決めてる。私の大好きな人は、私の笑った顔が好きな人だったから」

 おばあちゃんが亡くなってから暫くの間、休日は決まっておばあちゃんの家に行った。
 両親には遺品整理と言っていたけど、本当は、ただ寂しさを紛らわせたい一心で。
 そうして一人、耐えがたい喪失感を埋めようとしていた、ある日のことだった。
 寝室の戸棚に隠すようにして収められた、一冊のアルバムを見つけた。

『これ……』

 初めて見る、羽ばたく白い鳥が描かれた表紙。明らかに絵本とは違うそれに興味を惹かれ手に取ると、ずっしりとした重みが掌を沈ませた。
 床に置いて、表紙を開く。刹那、息が止まった。

 ――私だ。