給湯室の自動販売機にお金を入れて、ボタンを押す。
 転がり落ちてきたロイヤルミルクティーの冷たい缶を手に取って、ぷすりとプルを開けた。

「……あれ? そういえば」

 高倉さんの嫌がらせが始まったのは、三日前。
 あの、妙な気配が付いてくるようになったのも、三日前。

 まさか……と疑念が浮かぶも、「なわけないか」と即座に打ち消した。
 この三日間、高倉さんはすべて私より先に帰っている。昨日なんて、このあと大手金融会社の社員と食事会なのだと皆に言いふらしていた。
 良くも悪くも分かりやすい人だから、彼女はシロだ。

(まったく、こっちもいつまで続くんだか……)

 平穏だった私の日常を返してほしい。
 はあ、と盛大に息をついて、私はチビチビと甘いミルクティーを味わった。

***

(……やっぱり、今日もきた)

 夜に沈んだ街路樹。やはり影もなく気配だけを主張する背後に、私は緊張を張り巡らせながらも小さく息を零した。
 今日は色々と疲れたから、勘弁してほしかったんだけど。

(まあ、そもそも勝手に付いてきてるんだから、最初から私の都合なんて関係ないか)

 足を止めて、振り返る。
 予想通り、誰もいない。

「……もう、なんなのよ一体」

 連日のストレスによる被害妄想だったりして? むしろ、そうだったなら、どれだけ良かったか。

(……なんかムカついてきた)

 姿もない、声もない。
 それでも明らかに"存在"のある、べったりとした不快感を放つ"コレ"は、いったい私にどうしてほしいのか。

「……ねえ、いい加減、仕事してくれない? "お守り"なんでしょ?」

 駅から手に握っていたスマホに力をこめて、音もなく揺れるだけの鈴に文句を垂れる。
 そうこうしているうちに、亀戸天神社が視界に入った。助かった。私は無意識に歩調を早める。

 昨夜気が付いたのだけど、この謎の気配は決まって亀戸天神社で消える。
 神社だから、神様の力とか?
 何はともあれ、ここに辿り着けば解放されるという事実が、今の私には何よりの救いだった。

「もう少し……っ」

 もはや駆け足と化した私のヒール音だけが、ほの暗い夜道に確実な存在を響かせる。
 階段上に佇む、立派な朱塗りの鳥居。その前に差し掛かかると、思っていた通り、すっと気配が消えた。

(……やっぱり)

 疲れた、と安堵の息をつき緊張を解いた私は、一度立ち止まって乱れた呼吸を整えようとした。途端――。

「……おい」

「!?」

 深い藍色に染まった路地に、突如響いた低い声。
 驚きに顔を跳ね上げると、鳥居の足下に腰掛けていたらしい人影がゆらりと立ち上がった。