「……だからですね」

 私は小さく嘆息して、顔だけで振り返る。

「私は、私のために、自分に手をかけているんです。男のためじゃありません」

 失礼しますと言い置いて、今度こそ私は会議室を出る。
 まだ腹の虫がおさまらない。このまま仕事に集中できるとも思えないし、気分転換に飲み物でも買いにいこうかな。

 自席に戻った私は疲労を落とすようにして椅子に座り、足元に置いていた鞄から財布を取り出そうとした。
 その、時だった。

「ねえ、ちょっと」

(……でた)

 席は私の斜め前。
 私より五年早く入社している高倉里沙(たかくらりさ)さんが、ふんわりとした明るい髪を指先で耳にかけて、ローズピンクの唇をニヤニヤと吊り上げた。

「柊さんってさあ、実はオトコじゃなくて、オンナが好きだったりするんでしょ」

「……今のところ、女性を恋愛対象として見たことはないですけど」

「ええー、ホントにい? だって、孝彰さんでも満足出来ないなんて、オトコに興味ないとしか思えないし」

 私に近寄るでもなく、席に座ったまま声を大にして話しかけてくるのは、言わずもがなワザとだ。
 そう、この高倉さん。
 以前、私のように孝彰さんと"お見合い"をした過去があり、本人は乗り気だったものの、一方的に「合わない」と告げられてそれっきりらしい。

 こちらの都合など一切お構いなしな部長の"朝の挨拶"によって、私が彼に会ったのだと気づかれてしまったのだ。
 そして、拒絶しているのは向こうではなく、私だということも。

(恋愛絡みは一番面倒だから気を付けてたのに!)

 どーしてくれんの部長! と脳内で胸倉を掴みつつ、私は「あははー、もしかしたら、そうなのかもしれないですねー」と愛想笑いを返しながら席を立つ。
 下手に否定するほうが、余計に絡まれるってもんだし。
 恨み溢れる鋭い双眸から逃げるようにして、フロアを後にした。

***

「……はあー、だから嫌だったのに」

 高倉さんからの、地味な嫌がらせが続いている。
 今回みたいにワザとらしく声を上げて嫌味を言ってきたり、声をかけても一度目は無視してみたり。
 基本的には関わりのない別チームだったのは不幸中の幸いだったけど、同じ部署にいる限り、今後いつ組むかもわからない。

(私にどうしろって言うのよ……)

 わかってる。
 高倉さんは、私が孝彰さんに気に入れたという事実が許せないのだ。
 つまり、打開策はない。
 このまま彼女の気が晴れるまで、出来るだけ刺激しないよう耐えるしか道はない。

(孝彰さんといい高倉さんといい、執念深さでいうのならお似合いなんじゃないの……)