思わず零れた声に、眼鏡がふはっと吹き出す。
 跳ねるようにして振り返ると、ソイツは「あーあ、騙されちゃったんだね」と小馬鹿にした笑みを浮かべて、

「でも大丈夫。すぐに来てよかったって思えるから、ね?」

 さ、行こうと。腰に回された手に鳥肌が立つ。
 あ、本気で無理。身体中の細胞が大声で拒絶を訴えるけれど、相手はまがりなりにも部長の息子。下手なことは出来ない。

(うーん……ひとまず適当に付き合って、さっさと断ればいっか)

 こうして私は、望んでもいない"お見合い"をさせられてしまった。
 眼鏡の彼は孝彰(たかあき)さんというらしい。大学在籍中にVRの活用をメインとするベンチャー企業を立ち上げ、今も社長として国内と海外を飛び回る日々を送ってるという。

 VRとはなにかから始まり、市場がどうとか、自身の発想力の豊さがどうとか、しまいには社交パーティーの裏事情まで二時間たっぷりと聞かされ、せっかくのフレンチもどれ一つ味なんて覚えていない。

 口直しに駅でケーキでも買って帰ろうかな……。あ、あのドラマ見なきゃ。配信来てるはず。
 表面だけは笑みを崩さず適当に相槌を打って、耳に入る雑音を右から左に捨てていく。

「どうだい? この後は二人で、場所を変えてもう少し話しをしたら」

 空気の読めない部長と同じく「いいね」と乗り気な孝彰さんに、「食べ過ぎてしまったので」と断りをいれ、計画通りそそくさと帰宅した私は、その休み明けに早速とお断りの返事を告げた。
 それが、三日前。
 その翌日、部長は私の顔をみるなり朝の挨拶もすっ飛ばして、

「いやあ、息子が残念がっていてね。何が気に入らなかったんだい?」

 いや、何がって全部ですよ。

 そんな本音はもちろんきっちりと心に秘めて、当たり障りのない言葉でかわした翌日。
 同じように朝一番から私のデスクにやってきた部長は、

「それがね、ずっとキミの事ばかり考えてしまって、仕事が手につかないそうなんだ」

 私はまったく浮かびませんけどね。……って、だめだめ。
 そう自分を宥めて、これまた冗談めかして笑って凌いだ。

 ……からの、今日はこれ。
 三回目。しかもデスクではなく、会議室へのお呼び出し。
 こんなに拒否しているのに、よくもまあ、もう一度会えだなんて。

(ほんと、空気読めないっていうか、自己中心的というか……)

 うん、やっぱり無理。
 本音を言えたら一番なのだけど、今後のことを考えると当然そんな愚策はとれない。
 私はまだまだ、この会社でお世話になる予定なのだから。