彼女はあれほど執着していた私になど目もくれず、落ちた鏡を追うようにして、へたり込んだ。
 その"顔"は、魂が抜けたよう。
 彼女はゆっくりと、ひびの入った鏡を覗き込んだ。
 感情の見えない"顔"が、水を垂らされた紙筒のように、じわじわと歪んでいく。

「あ……ああ……っ、うそ、嘘嘘嘘うそよおおおっ!!」

 地中に穴を掘る獣のごとく、高倉さんは狂ったように何度も鏡に爪を立てる。

「ウソよだってこんな"かお"ッ! こんなかお私のじゃないこんな醜いかおじゃ愛されないいいいい!!!」

 両手で隠すようにして、彼女が"顔"を覆った。
 その時だった。

「! "念"が……っ!」

 高倉さんを覆っていた黒い"念"が、弾かれるようにして宙に浮いた。
 繋がる糸が切れたように、高倉さんが地に倒れこむ。
 私が高倉さん! と叫ぶよりも早く、

「――本当に引き剥がすとはな」

「!」

 背にあった身体が、するりと横を抜け闇夜に駆けていく。
 出来事は、ほんの一瞬。

「…………"散れ"」

 端的な命令に、風を裂く音が重なる。
 薄明りを紫に反射した刀身が、刹那の曲線を描いた。
 その鮮やかな軌跡に目を奪われている間に、宙を漂っていた"念"が四散し、消滅する。

「……祓え、たの?」

 あまりに瞬時的な出来事に、頭の整理が追い付かないまま尋ねる。
 と、雅弥は刀身を鞘に納め、

「ああ、終いだ」

「……そ、ですか」

「……正確には、宿主の処理が残っているがな」

 元の小ささに戻った刀を帯に押し込み、雅弥が地面に突っ伏する高倉さんへと近づく。
 そうだ。高倉さん! 私も慌てて駆け寄る。
 急いでしゃがみ込み、横を向く顔を覗き込んだ。
 意識はないものの呼吸は穏やかで、心なしか先程よりも"人らしい"顔をしている。

「……救急車、呼んだらいいの?」

 中腰で高倉さんの様子を確認していた雅弥を見上げる。
 彼は「いや」と膝を伸ばし、

「俺が呼ぶと面倒なことになるからな。適任者に任せる」

 すると雅弥は、懐から小さな紙を取り出した。
 あ、それ。記憶をなぞるように目の前の雅弥が紙に息を吹きかけると、紙がひしゃげてポンッと手乗り白狐が姿を現す。

「……頼んだぞ」

 了承を示すようにして大きく頷いた白狐は、再びぽんと白煙を立てて姿を消した。

「……あの子って、雅弥の"式神"ってやつ? お葉都ちゃんを呼んでくれた時も、あの子にお願いしてたよね?」