「早く――あ!」

 不意に、両手で操作していたスマホが滑り落ちた。
 心臓が跳ねる。
 が、幸いにも、スマホは開いていた鞄の中へ着地した。暗い布地を、液晶の光が照らしている。

「っ、せーふ」

 割れてなくてよかった。
 バクバクと胸を叩く心臓を宥める暇も惜しくて、私は即座に鞄に手を差しこみ――止まった。

 鈴の紐が、折り畳んだ手鏡に引っかかっている。
 その瞬間。脳裏のどこかで、リン、と軽やかな音が聞こえたような気がした。

(――鏡)

 見る度に悲しい現実を突きつけられ、苦悩していたと語ってくれた、お葉都ちゃんを思い出す。

(これだ……っ!)

 調和の取れていない、ちぐはぐな服装。癖がついたままの髪。ズレの多いメイク。
 どれも高倉さんの望む"美しさ"とはどう見ても真逆なのに、彼女は『自分は美しい』と繰り返していた。
 まるで、その姿を"見ていない"かのように。

「――雅弥っ!」

 叫んだ私に、雅弥が視線だけを寄こす。
 高倉さんの腕を鞘で防ぎながら「……やっとか」と呟いた。
 押し負けた草履がアスファルトをざりりと滑ったのは、雅弥の意識が私に向いたから。

 これ以上、我儘は言えない。
 私は一縷(いちる)の望みにかけて手鏡を掴み、二人めがけて駆け出した。
 途端、雅弥は鋭利な目じりを見開き、

「! 馬鹿が来るなっ! 俺に投げ寄こせ――」

「高倉さん!」

 静止の声を遮って、距離を詰めた私は高倉さんに向かって手鏡を開いた。
 彼女の"顔"が、鏡に映る。

「よく見て! これが今のあなたの"顔"よ!」

 刹那、雅弥が大きくよろめいた。その腕を押していた高倉さんの腕が、だらりと下がったからだ。
 彼女の暗く沈んだ双眸は、鏡の中の自分だけをじっと映している。
 私はすかさず、

「これが、あなたを取り込ませてまで欲しかった"美しさ"なの!? 冗談じゃない! これなら私を腹黒だなんだって好き勝手罵ってきた時のほうが、人間らしくて美しい"顔"だったわよ!」

「――かお。わたしの、かお」

 平坦な音で呟いた高倉さんが、垂れ下がっていた両腕をゆらりと上げた。

「っ、下がれ!」

 パシリと手を叩かれ、鏡が地に落ちる。
 あ、と思ったと同時に強い腕が私の肩に回され、力いっぱい引かれた。

 背に当たった感触と、体温。
 少し高い位置からは乱れた呼吸が落ちてきて、確認せずとも、雅弥に後ろから抱き留められているのだとわかった。
 だからこそ、視線は高倉さんを捉えたまま、雅弥に合わせて数歩を下がる。