けれどまあ、現実はそう上手くはいかないもので。

「……今日も駄目だった」

 時刻は二十一時。溜息交じりに錦糸町駅で降りた私は、自身の無力さに項垂れながらトボトボと帰路を歩く。
 時は無常に過ぎること、あれから三日。
 結局、店に行く機会を得られないまま、水曜日も終わろうとしている。

 高倉さんは相変わらず、ちぐはぐの服に跳ね放題の髪、ズレの目立つ化粧のまま。
 周囲の社員も初めは心配の声を次々にかけていたけれど、高倉さんの噛み合わない自信満々な受け応えと、ヒステリックな憤怒を恐れて触れなくなってしまった。
 代わりに本人の居ない場で、密めき合う。

 ――まるで何かに取り付かれているみたいだ、と。

(……やっぱり、あの黒い靄が関係しているとしか思えないんですけど)

 高倉さんに纏わりつくあの黒い靄は、日に日に大きく濃くなっている。
 お葉都ちゃんみたいに実体があるようではないみたいだし、となると、あやかしではない。
 だったら、何なのか。目的は。
 高倉さんは、これから一体どうなってしまうんだろう。

 私の記憶が正しければ、雅弥はお葉都ちゃんのことを誤解していたあの夜、"取り込む"という言葉を使っていた。
 なんだろう。嫌な予感がする。
 このままいくと、高倉さんはアレに"取り込まれて"しまうんじゃ――。

「――美しい顔は、ひとつあれば十分」

 え、と。
 声を上げるよりも早く、突き飛ばされるようにして背に衝撃を受けた。
 重力に引かれるまま鈍い音をたてて、路地に転がる。

「いっ――」

 事態を把握する間もなく、強い力が左肩を掴み、アスファルトに手をつく私を仰向けにして押さえつけた。
 刹那、馬乗りにして腹にまたがるその人の手が、首に伸びてくる。

「――っ!」

 見えたのは、夜道だというのに異様に白く浮かぶ、微笑む高倉さんの顔。
 明確な意図をもって締め上げる両手に必死に抵抗しながら、私は圧倒的な危機に混乱していた。

(――どうしてここに、高倉さんが。なんで、こんな……っ!)

 正気とは思えない、光のない瞳。
 彼女を覆う、あの黒い靄。

「っ、た……く、ら……さんっ!」

 全身で必死に抗って、名を呼ぶ。
 けれど彼女はまるで美しい花畑を愛でているかのように、うっとりと頬を和らげ、

「そう、そうよ。私だけがいればいいの。(まが)い物を消してしまえば、あの人も本当の美しさに目を覚ます」