深く頷くと、お葉都ちゃんは明らかにソワソワとしながら、
「これまでなかなか、このお方にと思う"師"に出逢えずにいたのですか……」
そろり、と。遠慮がちに、お葉都ちゃんの面がカグラちゃんに向いた。
――あ、なるほどそういう。
ピンときた私は「確かに!」と手を鳴らして、
「私も、カグラちゃんならぴったりだと思う! ただ、カグラちゃんもここのお仕事あるし……」
「ボク? いいよ、教えてあげる!」
元気に挙手して、あっさりと快諾してくれたカグラちゃん。
思わず「え、いいの?」と素っ頓狂な声で訊き返してしまうと、お葉都ちゃんも不安気に、
「ご迷惑ではないでしょうか」
「うん! "化け術"はキツネの特異分野だしね。それにボク、カワイイ子って大好きなんだ」
にこりと笑むカグラちゃんに、お葉都ちゃんはためらったように面を伏せた。
「……また、彩愛様に助けられてしまいました」
「ん? お葉都ちゃん、勘違いしてるでしょ? 確かに私はカワイイも網羅しているけど、今カグラちゃんがカワイイって言ったのは、お葉都ちゃんのことよ」
ねえ、とカグラちゃんと見遣ると、カグラちゃんは「もちろん!」と胸を張った。
けれどもお葉都ちゃんはどこか申し訳なさそうにして、
「お気遣いいただき、ありがとうございます。でも私はこの通り、顔がないですし……」
「やだ、お葉都ちゃん。なにも"カワイイ"ってのは、"顔"だけで判断するものじゃないわよ」
だって、と私はお葉都ちゃんの面を覗き込んで、
「お葉都ちゃんのお肌がツヤツヤなのは、しっかりお手入れをしているからでしょう? こうして話していても姿勢が崩れないのだって、それが自然となるまで意識しているからだし、そのお着物も、お葉都ちゃんが大切に扱っているから、美しい状態を保っていられる。 カワイイってね、そういう努力のことを言うのよ」
「彩愛様……」
「そうそう! やっぱり彩愛ちゃん、わかってるね!」
嬉しそうに私の片手を掴んだカグラちゃんが、ぶんぶんと勢いよく振る。
「私も同士が見つかって、すっごく嬉しい!」と告げると、カグラちゃんは「ボクもだよー!」と満足したように私の手を解放した。
にこにこと笑みながら、お葉都ちゃんに視線を向ける。
「だからね、お葉都ちゃんの"化け術"は、ボクが責任もって面倒みてあげる。けどね、一つだけ条件があるんだ」
「条件?」
首を傾げた私に、カグラちゃんは「うん」と頷いて、
「ボクはこれでも神サマだからね。手助けするには、願いと対価がなくっちゃ」
「対価……。それって、かなり高いの?」
「ううん。お金は必要ないよ。そうだねえ……」
うーんと腕を組んで、悩みだしたカグラちゃん。
するとほんの数秒で、「うん、そうだ!」と手を打って、
「上手くヒトに化けれるようになったら、ウチの店を手伝ってほしいな。そろそろ人手が欲しかったんだよねえ」
どう? とカグラちゃんが指先に人差し指を添え、小首を傾げる。
お葉都ちゃんは戸惑ったような素振りで、
「そのような条件で、本当によろしいのでしょうか。私としましては、現世のことも学んでみたいと思っておりましたので、有難い限りでございますが……」
「よし、じゃあ決まりだね! お葉都ちゃんの"化け術"は、どーんとボクに任せて」
胸をたたくカグラちゃんは、なんとも頼もしい。
私は安堵交じりに「お願いね、カグラちゃん」と頭を下げてから、お葉都ちゃんに笑みを向けた。
「いいお師匠様も見つかったことだし、あとは"顔"を決めるだけね」
「はい。本当に、なんとお礼を申し上げたらよいか……。不束者ですが、せいいっぱい精進いたしますので、何卒よろしくお願いいたします」
正座をしたお葉都ちゃんが、指先を畳につき頭を下げる。
カグラちゃんはご満悦顔で、
「うん。頑張ろうね、お葉都ちゃん。弟子を持つのって初めてだけど、なんだかワクワクするー!」
それからカグラちゃんは、お葉都ちゃんの緑茶とおはぎの注文を受けて、渉さんがいるであろう厨房に戻っていった。
「さて、と……」
お葉都ちゃんの師匠問題はカグラちゃんが解決してくれたことだし、私は私の役目を果たさなきゃ。
私はさっそくと、持ってきた鞄から数冊の女性ファッション誌を取り出した。
それを順番に、不思議そうにしているお葉都ちゃんと私の間の畳に、並べ置いていく。
「これなら色んな顔が乗っているし、ひとまずこの中から好みの路線を探してみましょ」
何よりも、まずはお葉都ちゃんの好みを知らなくては。
自分の好きな顔じゃないと、テンション上がらないしね!
「このような便利な書物があったのですね」
感動した様子で一冊を手に取り、ページをめくっていくお葉都ちゃん。
その姿を微笑ましく思いながら、私も「どんな雰囲気が好き?」と手元を覗き込むと、
「……本当に、夢のようです」
お葉都ちゃんがふと指を止めて、とかみしめるように息を付く。
「お恥ずかしい話ですが、"顔"を得たいと願ったその時から、可能な限り鏡を避けておりました。それまでどんなに心が弾んでいても、自分には"顔"がないのだという事実と対面するたび、どうしても悲しみが勝ってしまっていたのです」
ですが、と。
お葉都ちゃんは自身の頬にそっと触れて、
「彩愛様に顔創りを手伝って頂けるとなってからは、この面にどんな"顔"が出来るのかと、その日を待ち遠しく思いながら鏡と向き合えるようになりました。今もこうして様々なお顔を見るたび、心悲しくなるどころか、喜びに満ち溢れていて……。本当に、彩愛様と雅弥様には、どう感謝をお伝えしたら良いか……」
「もう、お葉都ちゃんったら。本当に私達のことは気にしなくていいのよ。お葉都ちゃんがそうして嬉しそうにしてくれているだけで、充分ご褒美なんだから」
ね、と雅弥に同意を求める。
すると、雅弥は嫌そうに眉を顰めつつも、諦めたように嘆息して、
「俺は、"監視"以上の干渉はしないからな」
「……ありがとうございます。彩愛様、雅弥様」
頭を下げるお葉都ちゃんを「ほら! それよりも!」と制して、甘く香るほうじ茶で喉を潤した私は、別の雑誌を手にした。
「まだまだ沢山あるから、じっくり選んで最高の"顔"を見つけましょ! それこそ鏡を見た時、サイッコーにテンションが上がるようなやつ!」
「……はい!」
頷いたお葉都ちゃんが、再び雑誌をめくり始める。迷惑にならないのなら、このままプレゼントしてあげたいけれど……。
(……そういえば)
ふと抱いた疑問に、私はそろりと視線を前方に向けた。
雅弥は相変わらずこちらに興味なし。無言で本を読み、空気に徹している。
「……カグラちゃんのこと、文句言わないんだ?」
私が呟くと、雅弥は本から視線を上げることなく、
「アイツがやるというのなら、俺に止める権利はない。互いの決定は尊重するという、"約束"だからな」
約束。なんだかまた、引っかかる言葉が出てきた。
けれど、ただの"監視対象"でしかない私には、それこそ二人の過去にまで踏み込める権利はない。
(……私は私の出来ることに集中しよう)
そう思考を切り替えて、美味しいあんみつとほうじ茶を楽しみながら、お葉都ちゃんと共に"顔"探しに勤しんだ。
月曜日。落ち着かない気分で出社した私は、始業前から自席でPCにかぶりつき、一週間ぶんのスケジュールを必死に組み替えていた。
土日の二日間をたっぷり使って熟考し、最終的にお葉都ちゃんの"顔"は、私を含めた三人の女性のパーツを使うことに決まった。
カグラちゃんの指導はさっそくと昨日から始まっていて、私に手伝えることはないのだけど、どうしても気になって仕方がない。
せめて進捗だけでも聞けたら。
けれどもカグラちゃんは通信機器を持っていないし、お葉都ちゃんは言わずもがな。
雅弥には「俺のいない場で会ったら、即座に斬るからな」と釘をさされているし、かといって、雅弥が個人的に連絡してくれるはずもなく。
渉さんを介してカグラちゃんに教えてもらうって方法も考えはしたけど、厨房を一人で回している渉さんの手を煩わせるのは、なんとなく気が引けてしまった。
となると道はひとつ。
私が直接、『忘れ傘』に出向くしかない。
(ううーん、やっぱり厳しい……)
お店は十九時まで。
移動時間も考慮すると、定時上がりが必須になる。
(あ、そういえば)
脳をひねくり回した反動か、うっかり案件に気が付いた。
(雅弥に依頼料とか、訊くの忘れてた)
ま、今度会った時でいっか。向こうも忘れていたのだから、同罪でしょ。
そう納得して、再びスケジュール表と向かい合う。
と、自席から一番近い扉が開いた。
チームの誰かかな。
挨拶しようと視線を遣った私は、扉からぬるっと入ってきたその姿を見て、瞬時に凍り付いた。
(高倉さん――、だよね?)
うん、間違いない。けど、見るからに様子がおかしい。
櫛は入っているようなのに、好き勝手にうねる髪。
黒いワンピースに赤いカーディガンを羽織ったその耳元には、取り違えてしまったとしか思えない、左右デザインが異なるピアスがぶら下がっている。
なにより一番に異様なのは、その"顔"。
目下にうっすらと見える隈なんて、誰も気に留めないはず。
だって彼女の目元も眉も、チークから口紅まで、どのメイクもはみ出していたり濃さが不均等だったり……。
まるで、初めての化粧に四苦八苦し、失敗した少女のような。
「おはよう」
高倉さんは、フロアに広がる静かな動揺など気づいていないかのよう。
いつものように笑んで、自席に腰を落とした。
おかしい、を通り越して、なんだか寒気がしてきた。
だって高倉さんは私の知る限り、常に一定の拘りを持って、自身の外見を整えている。
なのにこんな姿で出社してくるなんて……あり得ない。
(……どうしたんですか、って私が聞くわけにはいかないし)
お葉都ちゃんの件ですっかり忘れていたけれど、そういえば金曜日の"襲撃"で、ひと悶着したのだった。
あれから一度も言葉を交わしていない。
チームが違うからそもそも機会もないってのもあるけど、もしかしたら、高倉さんは意図的に避けていたのかもしれない。
私に関わられることすら嫌悪していたのだとしたら、火に油を注ぐことになる。
(うーん、どうしたものか……。このまま黙っているにも、なんか、落ち着かないし……)
ひっそりと悩んでいた刹那、再びフロアの扉が開いた。
部長だ。数歩進めた途端、「んん!? 高倉くん、それは一体どうしたんだい!?」と肩を跳ね上げた。
(ナイス部長……!)
心の中で親指を立てながら、耳をそばだててモニター越しにこっそりと様子を伺う。
あんぐりと口を開けて、目を白黒させる部長。
けれども高倉さんは、「やだ部長、急に大声出してどうしたんです?」とおかしそうに噴き出した。
「どうかしたって、キミ、体調でも悪いのかい?」
「いいえ? 特に不調な所はありませんけど」
「なら、どうしたってそんな……」
「変な部長。さっきから何を心配されているんです?」
「なにって……その、キミの顔が」
おそるおそる告げた部長に、高倉さんは「かお」と右手を頬に添え、
「ええ、そう。部長も驚きましたよね。私、自分でも驚いてしまうくらい、美しいんです。なのに全然気づいてあげられなくて……。なのでこれからは、もっと活かしてあげようと決めたんです。頑張りすぎずに、自然体の私を愛してあげれば、きっと何もかも上手くいくはずだから」
初めて抱いた純真な夢を語るかのような、うっとりとした面持ち。
部長は強張った頬をひくつかせて、「そ、そうか。是非とも頑張ってくれ」と逃げるようにして、窓側の部長席に向かって行ってしまった。
(いやいや、明らかにおかしいんだからもっと突っ込んでよっ!)
そう思う反面、あの様子ではこれ以上ふれてはいけないという判断も、理解できてしまう。
ともかく今は部長より、高倉さんだ。
(頑張りすぎない自然体? それにしたって、そのメイクはないでしょうよ……!)
誰かに催眠術でもかけられたとか?
いっそ、そうであってほしい。
(鏡みましたか? って、ハンドミラー貸してあげようかな……)
ヤキモキした左手が、不意に鈴に触れた。瞬間――。
「いたっ――!?」
チッと走った鋭い痛みに、私は思わず手を跳ね上げた。
「え、静電気……?」
もう一度触れてみるも、今度は何も起きない。
なんだ、びっくりしたと息をついたのもつかの間。
「ちょっと、うるさいわよ」
「! すみませ……」
咄嗟に謝ろうと高倉さんを向いて、息を止めた。
溢れんばかりの嫌悪に目尻を吊り上げる高倉さんの、肩。
黒い霧のようなものが、ふよふよと漂っている。
(――なに、あれ)
衝撃に絶句する私を、どうとらえたのか。
高倉さんは髪をかき上げ、
「そんなに睨むなんて、私の美しさが、よほど妬ましいのかしら? まさかね。自分のほうが綺麗だって言いたいんでしょ?」
「な……っ、違います!」
「いいのよ。ホラ、言ってごらんなさい? 私は心も美しいから、ええそうでしょうねって、頷いてあげる」
高倉さんが挑発するように顎先を上げる。
正体不明の靄は、うようよと形を変え濃さを変えうごめき、まるで意思をもった生物のよう。
(――なんだか、嫌な感じがする)
お葉都ちゃんに追われていた時とは、また違う。
なんというか、あれは"良くないモノ"だと、本能が警告を発しているような。
「……すみません、驚かせてしまって。静電気にびっくりしただけです」
それだけを言って頭を下げた私は、蛇のような眼から自身のモニターへと視線を移した。
不満を乗せて横顔に突き刺さってくる、射るような視線。けど高倉さんは、沈黙を貫ている。
私は何でもない風を装って、再び自身のスケジュールを確認する素振りをしつつ、脳だけを必死に働かせた。
(見間違い、なんかじゃない)
でもおかしい。
だって私に"見える"のはお葉都ちゃんだけで、霊感も、雅弥のような特別な力もない。
けれども確かにあの"靄"は存在しているし、おそらく高倉さんも部長も、誰一人として気づいていない。
(どうしよう。ひとまず雅弥に連絡したほうが……って、連絡先きいてないんだった!)
あああああ、私のバカ!
無理やりにでも訊いておくんだった!
(――よし)
無いモノは無い。仕方ない。
ならばさっさと仕事を片付けて、『忘れ傘』に行く一択!
さくっと思考を切り替えた私は始業を待つことなく、ここ一番の集中力で仕事に取り掛かり始めた。
けれどまあ、現実はそう上手くはいかないもので。
「……今日も駄目だった」
時刻は二十一時。溜息交じりに錦糸町駅で降りた私は、自身の無力さに項垂れながらトボトボと帰路を歩く。
時は無常に過ぎること、あれから三日。
結局、店に行く機会を得られないまま、水曜日も終わろうとしている。
高倉さんは相変わらず、ちぐはぐの服に跳ね放題の髪、ズレの目立つ化粧のまま。
周囲の社員も初めは心配の声を次々にかけていたけれど、高倉さんの噛み合わない自信満々な受け応えと、ヒステリックな憤怒を恐れて触れなくなってしまった。
代わりに本人の居ない場で、密めき合う。
――まるで何かに取り付かれているみたいだ、と。
(……やっぱり、あの黒い靄が関係しているとしか思えないんですけど)
高倉さんに纏わりつくあの黒い靄は、日に日に大きく濃くなっている。
お葉都ちゃんみたいに実体があるようではないみたいだし、となると、あやかしではない。
だったら、何なのか。目的は。
高倉さんは、これから一体どうなってしまうんだろう。
私の記憶が正しければ、雅弥はお葉都ちゃんのことを誤解していたあの夜、"取り込む"という言葉を使っていた。
なんだろう。嫌な予感がする。
このままいくと、高倉さんはアレに"取り込まれて"しまうんじゃ――。
「――美しい顔は、ひとつあれば十分」
え、と。
声を上げるよりも早く、突き飛ばされるようにして背に衝撃を受けた。
重力に引かれるまま鈍い音をたてて、路地に転がる。
「いっ――」
事態を把握する間もなく、強い力が左肩を掴み、アスファルトに手をつく私を仰向けにして押さえつけた。
刹那、馬乗りにして腹にまたがるその人の手が、首に伸びてくる。
「――っ!」
見えたのは、夜道だというのに異様に白く浮かぶ、微笑む高倉さんの顔。
明確な意図をもって締め上げる両手に必死に抵抗しながら、私は圧倒的な危機に混乱していた。
(――どうしてここに、高倉さんが。なんで、こんな……っ!)
正気とは思えない、光のない瞳。
彼女を覆う、あの黒い靄。
「っ、た……く、ら……さんっ!」
全身で必死に抗って、名を呼ぶ。
けれど彼女はまるで美しい花畑を愛でているかのように、うっとりと頬を和らげ、
「そう、そうよ。私だけがいればいいの。紛い物を消してしまえば、あの人も本当の美しさに目を覚ます」
ぎりりと喉に食い込む、十の指。どんなに暴れても、彼女の身体は微動だにしない。
切れ切れの呼吸さえ阻まれ、意識が朦朧としていく。
(――あ、駄目かも)
本能的に限界を悟った、その瞬間。
「――"薄紫"」
低く圧を纏う声と共に、吹き飛んだ重み。
解放と同時に大きく息を吸いこんだ私は、それまでを取り返すようにして、繰り返し酸素を取り込んだ。
あまりに必死すぎたのか、今度はゲホゲホと激しくむせ込んでしまう。
身体がだるい。
アスファルトに手を付き、なんとか起こした上体の更に上から、苛立ち交じりの声が降ってきた。
「あの時、大人しくカグラに頼んでおけば良かったものを」
「っ、まさや」
うまく力の入らない首を動かし、顔を上げる。私を見下ろしていたのは、不機嫌をありありと浮かべた仏頂面。
ああ、うん。間違いない。雅弥だ。
私は吹き出た安堵に顔を歪めて、
「た、すかった……。ありがと……」
どうしてここにいるのかとか、いまはどうでもいい。
それよりも、この状況下において一番に頼れる存在が目の前に在ることが、何よりも心強かった。
雅弥は得意げに鼻でも鳴らすのかと思いきや、意外にも、うろたえたような顔をして、
「……説教は後だ。それにまだ、何も終わっていない」
鋭い視線が、促すようにして前方を向く。
つられて視線の先を追うと、数メートル先の街頭下には、うつ伏せに倒れこんだ高倉さんの姿。
「ちょ、ちょっと雅弥! 高倉さんは人間なんだけど! いくら私を助けるためとはいえ、あんなトコまで吹っ飛ばしたら大怪我もいいトコ――」
「アレはもう、ただの人間じゃない。見ろ」
途端、高倉さんがひたりと地に手をつき、鈍くも思える動きで立ち上がった。
が、痛みに呻くことも、傷ついているはずの身体を気にする素振りもない。
(わあー……なんか、ゾンビ映画みたい)
って、そうじゃない。
「ねえ、ただの人間じゃないって――」
刹那、直立不動で佇む高倉さんが、にたりと気味の悪い笑みを貼り付けた。
「駄目じゃない。邪魔したら」
「――っ!」
ぞくり、と。瞬時に悪寒が背をかけ上がる。
なに、これ。高倉さんなのに、高倉さんじゃない。
「っ、高倉さん」
「無駄だ。おそらく今のアレには、ヒトとしての理性も感情もない。あるのは"念"に増幅された、アンタを"排除"するという目的だけだ」
「"念"? それってもしかして、あの黒い靄のことだったり……?」
「……なんだと?」
驚愕に、黒い双眸が見開く。
「アンタ、見えているのか」
「え? うん、バリバリ見えるけども……やっぱりこれって、普通は見えない系のやつ?」
「なっ……。蓋が、開いたのか」
「蓋?」
「ものの例えだ。あやかしや霊と接触することによって、見えなかったモノが見えるようになることがある」
「ということは……私、これから普通にあやかしとか霊とか、見えちゃうってこと?」
「……程度にもよるが、可能性としては否定できない」
わあ、そんなことが。
私が感嘆の声を上げるよりも早く、雅弥が「その話は後だ」と話題を切った。
「ひとまず、アレを祓うぞ」
鞘に収められていた刀身を引き出し、抜く。
私は慌てて、
「まさか高倉さんを斬るだなんて――!?」
「人は斬らない。俺が斬るのは、あの"念"だ。ただ――、っ!」
雅弥が途中で言葉を飲み込んだのは、左手に持つ鞘で、咄嗟に受け身を取ったからだ。
風のような速さで飛び込んできた高倉さんの手には、どこからか取り出した鋭利なハサミ。
防ぐ雅弥の鞘に力一杯突き立て、憐れむように笑む。
「アナタも、偽りの美に惑われているの?」
「……っ、惑われているのは、お前だ!」
腹部を狙った容赦のない蹴りが、高倉さんの身体を吹き飛ばす。
思わず「高倉さん!」と声を上げてしまったが、やはり彼女は能面のような笑みのまま、むくりと身体を起こした。
傷の増えた身体を覆う、黒い靄。
まるでその靄が、高倉さんを人形のように動かしているような――。
「さっきの続きだが」
「!」
雅弥の声に、私は思考を引き戻す。
「アンタも感づいているだろうが、あの女はすでに随分と根深く"取り込まれて"いる。このまま"念"を斬れば、おそらく、本体も無事では済まないだろう」
「それって、高倉さんも死んじゃうってこと?」
「死にはしない。だが……地中深く根を張った大樹を、引き抜くようなものだ。精神も肉体も、相当の揺さぶりを受ける。早期に目覚めれば運がいいが、それでも心は回復出来ないままという可能性も……」
「だ、だめよ!」
私は咄嗟に首を振った。
「そんな……だって、高倉さんだって被害者なのよ? ただちょっと私にはドコがいいのかさっぱりわからない面倒な相手を好きになっちゃって、どうしてなのか一ミリも理解できないけれど、なんとか振り向いてほしいって思っちゃってて、おまけに迷惑極まりないけども、その恋心が若干間違った方向に爆発しちゃっただけなのに!」
「……呪文か?」
「違う! つまりその……こんなことで一生を棒を振るなんて、わりにあわないって言いたいの!」