「そのお顔は数多(あまた)のお相手を魅了するのでしょう? そのお顔があれば、もう、悲しむことなんてない」

 まるで、金縛り。
 直感が危険信号をこれでもかと鳴らすのに、硬直する身体は動かない。

(まずいまずいまずいってこれ……っ!)

 逃げなきゃ、逃げないと――!

「……私のお願い、きいてはくださいませんか」

 気付けば眼前まで迫っていた女が、妙に白い指で私の頬をするりと撫でた。
 伏せられていた顔が上がる。

「――貴女様のお顔を、私に貸してくださいな」

「きっ……!」

 ぬっと向けられた"顔"のない(おもて)に、悲鳴が洩れる。はずだった。
 私の声がご近所の平和な夜を一変しなかったのは、音をせき止めるようにして"なにか"が私の口を塞いだから。

 手、だ。どうして、誰の?
 パニックに陥りながらも本能で引き剥がそうとすると、

「……だから、"知ろうとするな"と言っただろう。その頭は空っぽの飾りか?」

「!」

 聞き覚えのある声に、顔をひねる。

「あんた、昨日の……!」

「うるさい騒ぐな。人が来たら厄介だ」

 解放された掌。押しのけるようにして私の前に歩を進めた男は、私を一瞥もせずに顔のない女を睨み続ける。

 ――間違いない。昨日のあの男だ。

 どうしてここに、とか、あの女の人見えてるの、とか。
 言いたいことは色々あったけど、どれも言葉にならない私の眼前で、男は着物の合わせ目から万年筆のようなものを取り出した。
 深い、黒とも少し違う色をしたそれは、精密な金の装飾が施されている。

(綺麗な万年筆……って、そうじゃなくて)

 それ、なに? と私が尋ねるよりも早く、

「――"薄紫"」

 男がそう呟いた次の瞬間、その手元で閃光が弾けた。
 眩しさに目がくらむ。瞬きをしたその刹那、男の手にあったはずの万年筆が、美しい刀へと姿を変えた。

「う、そ……」

 なに? なにが起こっているの?
 夢だと言われれば信じてしまいそうな出来事が、紛れもなく現実で、目の前で起こっている。

 へたりこんでしまいそうな膝にぐっと力をこめて、自分の置かれた状況を理解すべく必死に脳をフル回転させていると、男は静かに刀を鞘から抜き出した。
 躊躇うことなく、やけに艶やかなその切っ先を、顔のない女に向ける。

(――え、こ、これってヤバいんじゃ……っ)