黒く重なる"念"の向こう側から、上機嫌に手を打つ音がする。

「彩愛、俺はその方を少し見くびっていたようだ。それだけの"念"を抱え陰の気に染まらぬばかりか、"護り"を育て、その身に纏うとは」

 しかしな、と壱袈は諭すように囁き、

「そこまでしても、その方を追う"念"は変わらず仕舞いだ。その身体は、もはや支えるだけで精一杯であろう?」

 もう、諦めろ。
 その言葉と共に、"念"を突き破るようにして壱袈の腕が現れる。

「この手を取れ、彩愛。俺が救い出してやろう。ヒトにしては、実に良く奮闘した」

「…………」

 あやかしは簡単に嘘をつく。耳にタコができるほど繰り返された雅弥の忠告が、脳裏を過る。
 けれどきっと。私がその手をとったなら、壱袈は"念"を散らし、助けてくれる。
 そんな直感にも似た確信に、私は視線を自身の掌に落とした。
 上体を起こし、毛を逆立てて壱袈を威嚇する子狐ちゃん。鈴はその傍らで、淡い光を送り続けている。

(……この光だって、いつまで続くか)

 この鈴の"護り"が消えれば、子狐ちゃんは再び苦しむことになる。
 わかってる。ここで諦めて、壱袈に"助けて"もらうのが一番なんだって。
 ――けれど。
 その手を取ってしまったら。
 きっともう、雅弥の隣は許されない。

「……っ、悪いけど」

 ジンジンと熱く痺れる両足を叱咤して、ゆらりと立ち上がる。
 心配げに見上げてくる子狐ちゃんに、「ごめんね、もう少し付き合って」と苦笑を向け、私は決意に"念"の外を睨めつけた。

「助けてもらうのは、最後の最後にさせて!」

 傾けた上体と左脚でバランスを取り、右脚で勢いよく蹴り上げる。
 即座に退いた壱袈の手。"念"がざわざわと(せわ)しくうごめきはじめた。

「"念"が風で散らせるなら……っ!」

 もう一度、おろした右脚で蹴り上げる。
 と、光る足先の軌道を描くようにして、"念"の壁に白い跡が浮かんだ。
 向こう側が見える。

(やっぱり……っ!)

 今、私の身体は鈴の"護り"――つまり、陽の気が覆っている。
 なら、きっと。

「キックボクシング……っ、始めておいてよかった!」

(感謝するわよ、高倉さん!)

 手ごたえに口角を上げ、私は再び右、今度は左と周囲の"念"目がけて宙を蹴り上げていく。
 祓えているのか、散らしているのか。細かいことはよくわからない。
 けれども蹴り上げるたびに"念"は、薄く、少なくなっていく。

(――いけるっ!)