ゆったりと歩を進めてくる涼し気な顔を、"念"の合間から睨みつける。
 が、壱袈は「そう怖い顔をするな」と肩を竦め、

「これもすべて、彩愛の為を思ってのこと」

「はい!? どこが……っ!」

「雅弥は怖くない。むしろ共にあるのは楽だと言っていたが、近ければ近いほど、こうした事態に巻き込まれるのは明白。これまでは運よく切り抜けてきたようだが……こうして雅弥のいない場ではどうする? いくらその目で見えようと、所詮は無力」

「!」

「ならば雅弥が現れるまで耐え忍んでみせるか? それはなんとも、健気というよりお荷物ではないか。見ろ、その式を。苦しそうになあ。今の彩愛では、その小さきモノすら救えん。どころか次にそうしてもがき苦しむは、彩愛自身よ」

 ――言い返せない。
 だって、壱袈の言う通り。私は結局、無力。
 お葉都ちゃんも、高倉さんも、郭君も。この子狐ちゃんだって。
 雅弥という防護壁に囲われた安全圏の中から手を差し伸べることはできても、私がたったひとりで守れたことは、一度も。

「その身が傷つき、苦しむのは怖いだろう? そうして愛いモノが巻き込まれ、目の前で朽ち行く様を見届けるのは、なんとも辛かろう」

 私の周囲はうごめく"念"に囲われているというのに、いたわるような柔い囁きが、妙にはっきりと響いている。

「彩愛。関係を断てとは言わん。だがこれ以上、深入りするべきではない。こうして俺の我儘に付き合ってくれた美しく心優しいその方が、涙にぬれ傷つく姿を見たくはない」

 ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返していた子狐ちゃんの息が、すっと引いていく気配。

「やっ……」

 原因は私を取り巻くこの"念"だと言っていた。
 なら、この子をここに横たえて私が離れれば。

(――だめ)

 私が離れたところで、この子はきっと力の限りついて来ようとする。
 だってこの子は雅弥が"私"につけた、式だから。
 悔しさに奥歯を噛む。
 守れない。守りたいのに、何もできない。
 ……何もできない?

(――本当に?)

「……っ!」

 衝動に、私は駆け出した。
 子狐ちゃんを落とさないよう胸に抱きかかえ、力の限り、必死に走る。

「何をしている? 気でも触れたか?」

 投げかけられた失礼な問いに、私は顔も向けずに全力で駆けながら、

「ちがう! "念"を薄めるの!」

 この"念"はもともと私に憑いているわけじゃない。
 壱袈が風を起こして寄りまとめ、私に飛ばしてきたモノ。

(ならこうして走れば、その風で少しは剥がれるんじゃ……!)