(さすがにここまでは追ってこないでしょ……)

 パウダーコーナーの棚に手をついて、はあとため息ひとつ。
 あの人はもう、出て行ってくれただろうか。
 粘られていたら嫌だな……と戻り時間を思案すべく腕時計を確認する。刹那、

「――ちょっと! どういうつもりよ!」

「!」

 鬼の形相で飛び込んできたのは、高倉さんだ。
 走ってきたみたいで息があがっているけれど、本人はそんなの物ともせず、

「孝彰さんに向かってなんなのあの言い方! ちょっと顔がいいからって、調子乗ってるんじゃないわよ!」

「ちょっ、ちょっと落ち着いてください……! たしかに失礼な言い方しましたけど、そうでもしないと分かってもらえないからで……」

「なに? 今度は諦めてもらえないイイ女アピール? ふざけんじゃないわよ。アンタみたいな腹黒、その顔がなければ孝彰さんだって騙されずに……!」

 はあ? 騙す? どっちが!
 騙されたのは私なんですけど!

 けれども言い返したところで、火に油を注ぐだけになるのは目に見えている。
 私はぐっと拳を握って耐え、「あの、訊きたいんですけど」と続く罵倒に割り入り、

「高倉さんも、酷い言われようでしたよね? なのになんでまだ、そうして孝彰さんの肩を持つんですか?」

「好きだからよ!」

 間髪入れずに叫んだ高倉さんは、ぐっと苦痛に耐えるように顔を歪めて、

「好きなんだから、仕方ないでしょ。私に……私に、アンタの顔があれば良かったのに……!」

 涙の滲んだ恨みがましい目で私を睨み上げ、高倉さんはさっと踵を返して出て行ってしまった。
 絨毯を走るくぐもったヒール音が、遠ざかっていく。
 ふと、視線を上げると、鏡の中には取り残された私の姿。

「……私の顔があれば、ねえ」

 これまで何回、この言葉を聞いたっけ。
 数えるのも、めんどくさい。
 私はそっと鏡に手を伸ばして、こちらを見つめる頬に触れた。冷たい。

 他人は皆、いろいろな言葉でこの顔を称賛して羨むけれど、それはこの顔であるが故の苦労を知らないから、気軽に言えるんだと思う。

 この顔を世界で一番愛しているのは、私。
 でも同じだけ、憎んでもいる。
 きっとこの、相反する葛藤を、他の人は理解しない。

「……そんなに"顔"を変えたいのなら、整形でもすればいいのに」

 その覚悟すらないのなら、"もしも私の顔だったら"なんて絵空事、いくら唱えようが無駄ってものだ。

「……今日はローズアロマの入浴剤いれよっかな」

 疲れた顔。かわいくない。こんなんじゃテンション駄々下がり。
 うん、決めた。今日は美味しいご飯を食べてから帰ろう。

「……あと五分したら、戻ろっかな」

 どうか諦めて帰ってくれていますように。
 そう願いながら、私は鏡に映る"私"とディナーの相談を始めた。