途端、男は眉尻を下げて、

「酷いではないか藤狐。華がひとつ逃げてしまった」

「あの子はボクの弟子だ。不当に手を出そうってなら、ボクが黙ってないよ」

「藤狐が、弟子を? ……くっはは! なるほどなるほど、どうりであの術は……いや、よく心しておこう。ただ一つ、誤解があるようだ。俺は何も好き好んで"手を出している"わけではない。すべて正当な判断に基づく、正当な手出しだ」

「……よく言うよ」

 嘲笑するカグラちゃんにも、男は笑みを返すだけで「さて」とこちらを向いた。
 視線が合う。え、と戸惑う私へと歩を進め、

「まあ、良い。一番に望む華は残った」

「え……と?」

 戸惑う私の右手を、白い手袋に包まれた恭しい手がすくい取る。

「隠世警備隊が隊長、烏天狗(からすてんぐ)の壱袈という。藤狐と雅弥とは旧知の仲だ」

「隠世警備隊……たい、ちょう!?」

「いかにも。ああ、畏まる必要はないぞ。仰々しい肩書がついているが、所詮は隠世でのこと。現世の住人からすれば、あってないようなものだ。気軽に"壱袈"と呼んでくれ」

 そう言って壱袈は、私の指先に軽く口づけた。

「!?」

 反射的に手を引き――たかったけれど、これが隠世警備隊の挨拶なのかもしれない。
 先ほどの雅弥へのけん制といい、彼はお葉都ちゃんと私の事情を知っている。
 なら、"無礼を働いた"と印象を悪くしては、色々と不利になりそうだし……と手を預けたまま硬直していると、

「……おい」

 低い声と共に、右手が引き戻された。雅弥だ。
 助けてくれたのはありがたいのだけど、分かりやすくイライラしながら、

「何をしている」

「何って……これが隠世警備隊の挨拶なんじゃないの?」

「違う」

 雅弥はぎろりと壱袈を睨んで、

「コイツはただ見えるだけだ」

「ただ見えるだけ……か」

 だが、と。壱袈はくつくつ笑いながらベストの内側に手を遣り、指の先ほどの巻物を取り出した。
 見覚えがある。それは確か、郭くんのお供をした子狐ちゃんが持って行った雅弥の――。

「雅弥。おぬしがこんな嘆願書を持たせるなど、らしくないではないか。ましてや式の"護衛"まで付けてやるとは……にわかには信じられん。だが書面も式も、正しくおぬしのモノ。これは知らぬ間に窮地に陥り、何者かに強要されたのではないかと案じていたのだが……」

 なるほどなるほど、と壱袈は可笑しそうに顎先へ手の甲を寄せる。