「……酷い状態だな」

「そう思うなら、ハンカチかティッシュちょうだい。手ぶらできちゃった」

「……今は持ち合わせていない」

「ボク、先にお店戻って用意しておくよ。落ち着いたら戻ってきてね」

「ありがとカグラちゃん……」

 閉まる扉の内側に消えた背を見送って、手の内側で簡易的に涙を拭う。
 これだけの水分とあっては、化粧も崩れているに違いない。
 けれど別に、隠す気は毛頭ない。
 だってここには雅弥しかいないし、この人は私の"顔"の良し悪しなんて、微塵も興味ないって分かってるから。
 私を前にして、品定めの目を向けてこない人の傍は、気楽で心地いい。

(私がここに居付く一番の理由が自分だなんて、雅弥は夢にも思わないだろうな)

 戻ったら、お手洗いを借りないと。ポーチの中身を思い浮かべながら、私は横目で背後を伺う。
 雅弥も中に戻るものだと思っていたけど、動く気配はない。
 たぶん、私を気にかけてくれているから。
 かといって、何を言うでもなくただ黙ってそこに居てくれるってのが、雅弥らしいというか。
 私はなんの違和もない祠へと視線を戻し、両腕を開いて伸びをする。

「郭くん、どれくらいしたら戻ってこれるかな」

「……さあな。あやかしとヒトでは、同じ年数でも価値が違う。アンタがその"約束"を覚えているうちに、戻ってこれればいいほうだ」

「そんなに……。まあ私はおばあちゃまになっても美しく! かっこよくいる予定だから、その辺の心配はいらないかな。問題は、それまで『忘れ傘』があるかどうかのほうが……」

「アンタ、老体になっても入り浸るつもりか」

「そういう『条件』をつけたのは雅弥でしょ? 針千本なんてのめないし、"約束"を果たすまで、ちゃーんと付き合ってもらうから」

 "夢"なんかで終わらせない。共にした楽しい時間も、胸を締める寂しさも、未来への期待だって。
 そんな決意を胸に雅弥を振り返った私は、視界に飛び込んできた光景に息をのんだ。
 薄く上がった口角。柔らかく形を変えた眉。
 呆れだけではない、淡く穏やかに緩んだ黒い瞳。

「――アンタは、相変わらず自由だな」

 染み入るような心地よい声に、うっすらと羨望の欠片。
 それを優しい彼の、"この先"への了承と受け取って、私は「ありがとう」と微笑んだ。

「戻るぞ」と背を向けた雅弥が自身の"この先"を思って、秘かに懐の"薄紫"へと触れていたことなど、微塵も気が付かなかった。