十一月も後半になると木枯らしが吹いてぐっと気温が落ちてきた。通勤の時もマフラーが欠かせなくなって、暖房の入った電車に乗ると混雑にはうんざりするが、体が温まることにほっとしたりしていた。
「あ~、そろそろお鍋の時期だよね~」
十五時のコーヒー休憩の時に織畑がそんなことを言った。確かにこれだけ冷えてくるとあたたかいものが食べたくなる。佳亮は今まで一人鍋もしてきたけど、薫子と食べたら凄く楽しそうだ。
(…せやけど、薫子さんち、カセットコンロってないねんなあ…)
薫子の家の調理器具は必要最低限なので、ガスコンロで作る食事以外を作ったことが無い。これから何度薫子と使うか分からないので、買うという選択肢も考えてしまう。
(別れるつもりはないけど、薫子さんがどう思てるかは分からへんし…)
佳亮の両親の食事を振舞わなければと思っていたあたりを考えると、将来の事を考えてくれているのかなとは思っているが、まだ明確に約束したわけではないし、付き合い始めて浅いから、まだ将来を決める実感もない。
(う~ん、薫子さんだけの時に使うとは思えへんねんなあ…。でも、一緒に食べる時は活用できそうやし…。あっ、そうか、災害時も使えるやん)
もうひとつ、買おうかなあ。薫子の家に置いておく分を。
今日帰りがけにホームセンターを見に行ってみよう。そう思って、佳亮はコーヒーをひと口飲んだ。
*
「佳亮くん、いらっしゃ…、えっ、何その荷物?」
次の出張料理の日。段ボール箱を抱えて薫子の部屋を訪れると、薫子がその箱に驚いた。箱に描かれている絵を見て二度びっくりしている。
「えっ? …コンロ?」
「薫子さん、もうお鍋の時期やと思いませんか?」
佳亮が言うと、合点がいったというように、薫子が驚きの表情を浮かべた。
「えっ、家でお鍋が出来るの?」
その反応で、薫子が実家で鍋を食べたことが無かったことに気付いた。まあ、あんな大きなお屋敷に住んでたら、シェフは鍋なんてやらないだろうな。鍋料理の存在を知っていたという事は、会社の付き合いで知ったとかだろう。冬場は忘年会などでよく鍋のコースを使う。それが家で出来るとは、思わなかったんだろう。
「そうです。お家でお鍋、やりましょう」
「わー、是非! 楽しみだわ」
それならば話は早い。早速食材を買いにスーパーへ出向いた。
「鍋料理って会社の忘年会で食べたのが初めてだったけど、すごく体があったまったのを覚えてるわ」
薫子がうきうきした様子で売り場を見ている。
「何鍋を食べたんですか?」
「えっとね、キムチチゲ鍋? キムチが美味しかったの」
それはあたたまっただろうな。今日は何にしようか。売り場を物色していると、野菜売り場で薫子が青い実を手に取って、佳亮を呼んだ。
「佳亮くん、青いみかんよ。珍しいね」
薫子が手に持っていたのは、小ぶりのすだちだった。確かに見た目がみかんと似ている。
「薫子さん、それはすだちです。すだち、食べたことないですか?」
「これすだちだったの! すだちは家で肉料理に載ってきたりしたわね。そういえば、あの時もみかんだと思ってて、平田に『すだちですよ』って後で教えてもらったんだったわ」
成程、ステーキか。確かにそう言う使い方もある。
「鍋にも使いますよ。今日、使いましょうか」
佳亮の提案に、薫子は良いわね! と笑みを浮かべた。
「じゃあ、肉っ気も欲しいですから、すだち鶏団子にしましょうか。すだちで香りを出して、鶏団子とあとは白菜とか春菊とかキノコ類で繊維質を取りましょう」
そう決めて籠に材料を入れていく。すだち、鶏ひき肉、ネギ、白菜、春菊、マイタケ、シメジ、エノキ、豆腐、昆布。
「お鍋だったら日本酒かしら」
薫子の部屋にはビールしかない。佳亮は飲まないから、薫子が消費するなら買って行っても良い。
「……ひとりだけ楽しんじゃってもいい…?」
「是非是非!」
売り場を探して小さめの日本酒を買った。ふふふ、と口許が緩む薫子を見ていると、飲めるって良いなあ、なんて思えてくるから不思議だ。今までの人生で、どれだけお酒を楽しんでいる人と食事をしても飲みたいなんて思わなかったのに。
「佳亮くんも飲めたら良いのにね。そしたら二人で酔っぱらえるのに…」
「でも僕が酔っぱらったら、後片付け困りますよ? あんまり遅い時間までお邪魔するのもどうかと思いますし」
正論で応えると、うう~ん、と薫子が思案顔をした。
「あっ、じゃあ、私が酔いがさめてから片付けるとか」
「お皿が勿体ないので、是非しないで下さい」
なにそれ、と笑うが、薫子の不器用加減は相当なので、本当にお皿が割れてしまったら困るし、割れた破片で怪我でもされたらもっと困る。そういう訳で、佳亮が片づけをした方が何倍も良いのだ。
「まあ、僕の事は気にせず、薫子さんは美味しいご飯を食べてくれたらいいですから」
「なんだか申し訳ないわ」
「最初っから、そう言う約束やないですか」
笑うと、そうなんだけど、と苦笑気味だ。
今は共働きの家庭も増えて、男女の間で家事の負担も昔とは変わってきている時代だ。そんな中、男が片づけをしたって良いじゃないか。人には向き不向きがあるし、佳亮はそう捉えている。薫子はまだ悩んでいたが、まあまあ、と宥めて家に帰った。
*
土鍋がないので、佳亮の家から土鍋を持ってきた。雰囲気が出る、と薫子は大喜びだ。
野菜をそれぞれ切った後で鶏団子を作る。出し汁を作って鶏団子を先に、それから野菜を入れると、部屋の中は暖房も点けないのにあたたかくなった。
「暖房の代わりにもなるのね。凄い、エコだわ」
「換気はしましょうね」
狭い部屋だから気をつけないと。鶏団子が煮えて出来上がりだ。団子と野菜を取り分けていただく。
「ん、わ~、さっぱりしてる! これ、幾らでも食べられそうよ! 日本酒、合うわあ」
「それは良かったです。沢山作ったので、沢山食べて下さいね」
取り分け皿が空になったのを受け取って、お替わりをよそう。すだちの香りが食欲をそそるようで、薫子の食が進んでいて嬉しい。
「あ~、やっぱり佳亮くんと一緒に飲みたい! 飲めたら良いのにね~」
きゅっとお猪口を空けて薫子が言う。酒飲みは皆言うんだよな。でも、飲むと気持ち悪いだけなので、その辺は気にしないで欲しい。
「アレルギーやと思て、諦めて下さい。気持ち悪くなるだけなんで」
「うう~ん…。一緒にご飯食べてるのに、一緒に飲めないのは寂しいわ…」
「すみません、そればっかりは勘弁してください。あ、鶏団子、お替わりどうですか?」
貰うわ、とお皿を受け取る。さっぱりとした味に食時とお酒が進むようで、鍋と日本酒はあっという間に空になった。後片付けまで終えて、佳亮は土鍋を抱えて家に帰った。