何度目かの 終戦記念日。

旅人、ハジメは、
『ゲッセマネの園』の場所を
とうとう 知れたのだった。


第二次世界大戦終了あたりまで、
日本は長く 結核菌に
悩まされてきた。

結核は
『国民病・亡国病』とまで
今も 言われている。

飛沫や、空気中感染で、
長らくワクチンがなかった。

肺結核のイメージが 強いが
実は全身が 病床になる。
免疫細胞に 巣くうから
たまったもんじゃない。
骨の結核が、カリエスだ。

エジプトのミイラや、
弥生時代の骨からも 結核跡
カリエスが
発見され、
キリストの生きた時代も
貴族が 多くかかっている。

集団感染で、クラスターが
発生すると手が付けられない。
まさに 亡国の病だ。
人間だけでなく、
動物にも巣くう。
戦場での 厳しい徴兵にあって、
結核だけは、入念に検査
されていたほど。

そして、湿度を好むこの菌は、
日本の歴史に長く
疫災として
蹂躙してきた。

反対に
ペストは明治に開国と共に
港から広まった
外来菌病なのだ。

結核。
10世帯に1人は発病。
人口の1/3は 潜伏させている。
免疫がおちれば、
いつ、誰がなるか わからない。

それは、現代でも同じで。

ワクチンが
開発されてからは、
BCG接種を 国民は 幼少期に
受けるのだ。

ワクチン開発までの
手立ては、
サナトリウムでの静養しか
されなかった。

全国でも、海洋地域や、
高原地域に、サナトリウムは
戦前から作られてる。

湘南などは、
『サナトリウム銀座』と、
12もの私設サナトリウムが
あった。
潤沢な資金を持つ患者や、
そのようなパトロンが
いる患者が
多く 静養し、
その文学さえ生まれた。

サナトリウムが、その使命を
終わらせた 後に
リゾートホテルへ変容
しているのは、
いかに、『金食い病』
それらのサナトリウムが
豪奢か 想像できる。

そんな中に、異なる色、
公設サナトリウムが大阪に。

そして、
この島には、教会と併設して
あった。

もともと島に
患者を受け入れる
民宿が 昔からあった言うから
驚きだ。
隔離さえ、本土で行われるにも
関わらずの風評時に。

特攻警察に
監視され続けた
サナトリウム。

賢人と呼ばれた人が、
幽閉のごとくいた場所。

ハジメの目の前には、
もう 建物としては
機能していない
廃材の塊が あるだけだ。

考えれば
監視される この場所で
世界への平和や、
終戦の祈りを
捧げるのは
難しい。

ハジメは、さらに
雑木林へと 足を進める。

副女に注意された、
虫除けを たんまり
スプレーをする。
珍しく 強い臭いのする
虫除けに、

ふと、『センダン』の葉は
強い虫除けや、
漁毒としてモリに
付ける事を 思い出した。
ウイルスにもきくとかとも。

パタパタと、虫除けを
扇いで 乾かす。

そのまま、
獣道になる雑木林を
進む。

賢人は 密やか
朝早くに、
サナトリウムを 出て、
裏の稜線を 行っていた。

その先に
気持ち 開けているような
場所。

とわいえ、笹や木々が
鬱蒼としている。
時間の流れを感じるほどに。

その中に、
ひときわ、存在感を主張する
南国の巨木。

見つけた、、、

ハジメは、
その左右に大きく張り出した
針のような 葉っぱを
眺める。

この木が目印。

旅人ハジメは ようやく
『ゲッセマネの園』に着いた。

ここが、かの賢人が、
拓いた
グリーンチャペル。

それは、
建物のない、
ただ 青空の下、植物を整え、
丸太を椅子にするような
祈り場。

この場所に立つ。

不覚にも
沢山の人と、賢人の
祈りが染み込んでいると、
感じ
肌が 粟立つような、これは、

ふわり、
虫除けの センダンの 香り。

ああ、
どこだったか、
センダンは 獄門の首を
その木に指す木でも
あったはず。

どこか、
疫は人類の贖罪を 陰に
感じる。

旅人 ハジメは ぶるりと
足元から背中に抜けるような
感じを受けて、
ゾワゾワと 震えてしまった。

『すぐに、場所はわかるよ。
フェニックスが トーテムポール
みたいに 直下たってるから。』

どうして、彼女は
あんな原始的シンボルを
口にしたのか。

副女の声のままに、
『ゲッセマネの園』には

不死鳥から 名前をとられた
ナツメヤシ。

燃える火の中から
生まれ変わる 伝説の鳥に
なぞってつけられた名前。

キリスト教の復活の木。

フェニックスが
植えられていた。

「まるで、大きな存在が
ずっと、僕を 見つめている」

旅人ハジメは、

島の 青空の下
鬱蒼とした雑木林の
祈り場で
その手を組み、囁く。

「アーメン。」
「ハレルヤ。」

そして、
胸に手を当てて
感じてみる。

僕、旅人は、どうして
ここに来たのでしょうか?
わかるのかを
旅人、僕に問う。