フォンは、自身の集中力が目に見えて落ちていたのを悔やんだ。
屋根の上で刺青について聞いたのは、アンジェラの家族を殺した張本人であるかを確かめたかったからだ。フォンですら気にかけたのだから、当の本人が気にしないはずがない。
普段の彼であれば、努めてアンジェラに何も言わせなかったはずだ。
「それ、さっきお兄ちゃんも聞いたよ? 騎士の家族を殺したかって」
アンジェラがじろりとこちらを睨んだのに、目を合わさなくても気づけた。
「で、こう答えたの。殺したって。もっと詳しく言うと、暗殺業を続けてきて、そんな殺しを依頼されたのはその一件だけ。王都に住むバルバロッサって家族を――」
刹那、姉妹の足元の石畳が削り飛ばされた。
周囲の騒めきが、一瞬にして悲鳴へと変わった。蛇腹剣の一撃は単に地面を抉っただけでなく、明らかに人間を二、三人ほどミンチに変えられるほどの威力だったからだ。
攻撃に正確性がなく、破壊力に全てを意識させている。まさかと思い、フォンがアンジェラの顔を見ると、彼女は今まで一度だって見たことがないほど激情に顔を歪ませていた。
「……ようやく会えたわね、暗殺者。自己紹介しておくわ、私はアンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ。貴女が殺した家族の、生き残りよ」
軋む怒りと憎悪を堪えて口を開くアンジェラに対し、リヴォルは少しだけ思い出すような仕草をしてから、レヴォルをカタカタと動かして――にやりと口角を上げた。
「ああ、思い出したわ、あの家族ね! 最初は三人だけだと思ってたけど、子供の方が言ってたのよ! お姉ちゃん、助けて、助けてーって! それが貴女なのね!」
「よせ、それ以上言うな、リヴォル!」
「なるべく苦しませて殺せって言われたから子供は最後に殺すつもりだったのに、あんまりうるさいからイラっときちゃったの、よく覚えてるよ! だから眼球を――」
死の間際を饒舌に語るリヴォルだったが、口は無理矢理に閉ざされた。
「――その口で、ベンのことを語るなあァッ!」
弟の死を嘲笑われたアンジェラが、蛇腹剣でリヴォルへと斬りかかったからだ。
同時にリヴォルからも、笑顔が消え去った。これまで暗殺してきた人間とは違い、へらへらと笑ったまま相手ができるほど、敵は生易しくないと直感したのだ。
野次馬達の騒ぎ声は、今度こそ悲鳴に代わった。アンジェラの攻撃はどう見ても、辺りを巻き込んでも構わないようだったからだ。フォンもそれを察し、咄嗟に叫んだ。
「皆、離れろ! 巻き込まれるぞ!」
フォンの一言で、巣を潰された蟻のように人々が散り散りになった。露店の店主も、冒険者も、案内所の外から出てきたスタッフ達も逃げ出した。扉を閉め、家に逃げ込み、たちまちその場には姉妹とアンジェラ、フォンしかいなくなった。
良かった、とフォンは内心落ち着いた。なぜなら、既に復讐鬼と化したアンジェラは、建物や石畳、露店が吹き飛ぶのも構わずに攻撃を繰り出しているからだ。
「へえ、復讐ってわけ!? 家族を殺されたから、私に!?」
「そうよ! 貴女のような忍者に奪われた命全てに詫びながら死になさい!」
「忍者を知ってるんだ、調べ物が上手なんだね!」
片や軽口、片や狂気に片足を踏み込んだ激昂。言葉をぶつけあうのと同じくらいの勢いでアンジェラはとてつもない速度の斬撃を叩き込もうとするが、リヴォルの間に挟まったレヴォルが防ぐ。刃二本だけだが、連なる蛇のような剣の攻撃を全て弾いている。
「はあああぁぁッ!」
ここにきてようやく、フォンはアンジェラが『双頭竜のアンジェラ』と呼ばれている理由を理解した。彼女の振るう二振りの蛇腹剣の軌道は、まるで二又首の竜が首をもたげ、激情のままに目に見えるもの全てを撃砕しているように見えるのだ。
辺りの家屋は壁が砕け、道には隕石が落ちた痕跡のようなクレーターができてゆく。このまま戦いを続けていれば、案内所どころかギルディア全体に被害が出かねない。
誰も介入できない猛攻に見えたが、戦いを楽しんでいる様子のリヴォルからすればそうでもないようだ。レヴォルを操りながら敵を観察し、感情を増長させる。
「怒りに身を任せて、みっともない戦い方だね! 忍者はもっとスマートに、っと!」
忍者の常套手段――今回操るのは、怒の感情だ。
レヴォルとアンジェラがぶつかり合っている隙を突いて、リヴォルは彼女の脚に蹴りを入れた。決して強い威力ではないが、前のめりになった彼女の姿勢を崩すには十分だ。
「何を、ぐ、うぁッ!?」
がくりとつんのめったアンジェラの首目掛けて、レヴォルは刃を突き刺そうとした。
「これでお終い……おっと!」
しかし、フォンの苦無が寸でのところで刃を止めた。キレた彼女と違ってこちらは出し抜けないと思ったのか、三度ほど鍔迫り合ってから、姉妹は距離を取った。
体勢を整えたアンジェラとフォンが並び立ち、リヴォルを見据える。未だに復讐者の感情が爆発しているのを悟り、フォンは敵と味方を交互に見ながら、少しだけ足を先に出した。
「フォン、助けてくれたのには感謝するけど、手を出さないでちょうだい」
「手を出すつもりはない。でも、アンジーを殺させるつもりもない」
双方の顔を見ずに話し合う二人を前にして、リヴォルはため息をついた。
「へえ、お兄ちゃん、その人と仲がいいんだね。なんだか妬けちゃうなあ」
「お兄ちゃん?」
「後で話すよ、彼女とはそんな関係じゃないとだけ言っておく。そしてリヴォル、状況は不利だと分かっているはずだ。まだ戦闘を継続するか?」
「フォン、勝手なことを言わないで! ここで殺さないと、彼女だけは!」
「……そうだね、お兄ちゃんの言う通りだよ」
じとりと冷たい目を向けて怒鳴るアンジェラと、こちらから一瞬たりとも視線を逸らさないフォンを交互に見たリヴォルは、少し破損して汚れたレヴォルを手元に引き寄せた。
「ちょっとだけこっちの方が不利だね、これ以上戦うと良くないかも。今回は引き下がるけど、また会いに来るね……お兄ちゃんっ!」
言うが早いか、レヴォルの袖からころりと、丸い球が転がった。
「目を閉じろ、アンジー!」
フォン達が反射的に目を瞑ったのと同時に球が炸裂して、一帯を、目を潰すほど眩い光が覆った。フォンも使う忍法・雷遁『閃光玉』の目晦ましだ。
これを使う時は、忍者共通の理由がある。フォンとアンジェラが目を開いた時には、既にリヴォルもレヴォルも、影も形もいなくなっていた。つまり、二人が目を閉じている間に逃げ去ってしまったのだ。
ここまで派手な襲撃を仕掛けておきながら、撤退に躊躇いがなく、また諦めた様子も見せない。愉快犯とするには、やはりリヴォルは危険すぎる相手である。
「……逃げられたわね。それとも、貴方が逃がしたの、『お兄ちゃん』?」
ついでに言うならば、隣のアンジェラも、今は危険な相手だ。復讐するべき相手と密接な関係があったフォンを、今の彼女は怪しんでいる。
「アンジー、また来ると彼女は言っていた。僕が逃がすなら、そんなことは言わせない」
「さっき殺しておけば、もう一度会う必要もなかったわ。フォン、説明して」
ようやく、フォンはアンジェラと目を合わせた。
「その前に、自警団の集会所に行く。仲間と一緒に怪我人の治療を手伝って、状況を把握してから、それから全てを話す……僕の知っている限りであれば、なんでも話すよ」
「……約束よ、フォン」
フォンは頷いた。
戦争が起きた後のような惨害の中に立つ二人だけの世界に、人々が再び集まってきた。
屋根の上で刺青について聞いたのは、アンジェラの家族を殺した張本人であるかを確かめたかったからだ。フォンですら気にかけたのだから、当の本人が気にしないはずがない。
普段の彼であれば、努めてアンジェラに何も言わせなかったはずだ。
「それ、さっきお兄ちゃんも聞いたよ? 騎士の家族を殺したかって」
アンジェラがじろりとこちらを睨んだのに、目を合わさなくても気づけた。
「で、こう答えたの。殺したって。もっと詳しく言うと、暗殺業を続けてきて、そんな殺しを依頼されたのはその一件だけ。王都に住むバルバロッサって家族を――」
刹那、姉妹の足元の石畳が削り飛ばされた。
周囲の騒めきが、一瞬にして悲鳴へと変わった。蛇腹剣の一撃は単に地面を抉っただけでなく、明らかに人間を二、三人ほどミンチに変えられるほどの威力だったからだ。
攻撃に正確性がなく、破壊力に全てを意識させている。まさかと思い、フォンがアンジェラの顔を見ると、彼女は今まで一度だって見たことがないほど激情に顔を歪ませていた。
「……ようやく会えたわね、暗殺者。自己紹介しておくわ、私はアンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ。貴女が殺した家族の、生き残りよ」
軋む怒りと憎悪を堪えて口を開くアンジェラに対し、リヴォルは少しだけ思い出すような仕草をしてから、レヴォルをカタカタと動かして――にやりと口角を上げた。
「ああ、思い出したわ、あの家族ね! 最初は三人だけだと思ってたけど、子供の方が言ってたのよ! お姉ちゃん、助けて、助けてーって! それが貴女なのね!」
「よせ、それ以上言うな、リヴォル!」
「なるべく苦しませて殺せって言われたから子供は最後に殺すつもりだったのに、あんまりうるさいからイラっときちゃったの、よく覚えてるよ! だから眼球を――」
死の間際を饒舌に語るリヴォルだったが、口は無理矢理に閉ざされた。
「――その口で、ベンのことを語るなあァッ!」
弟の死を嘲笑われたアンジェラが、蛇腹剣でリヴォルへと斬りかかったからだ。
同時にリヴォルからも、笑顔が消え去った。これまで暗殺してきた人間とは違い、へらへらと笑ったまま相手ができるほど、敵は生易しくないと直感したのだ。
野次馬達の騒ぎ声は、今度こそ悲鳴に代わった。アンジェラの攻撃はどう見ても、辺りを巻き込んでも構わないようだったからだ。フォンもそれを察し、咄嗟に叫んだ。
「皆、離れろ! 巻き込まれるぞ!」
フォンの一言で、巣を潰された蟻のように人々が散り散りになった。露店の店主も、冒険者も、案内所の外から出てきたスタッフ達も逃げ出した。扉を閉め、家に逃げ込み、たちまちその場には姉妹とアンジェラ、フォンしかいなくなった。
良かった、とフォンは内心落ち着いた。なぜなら、既に復讐鬼と化したアンジェラは、建物や石畳、露店が吹き飛ぶのも構わずに攻撃を繰り出しているからだ。
「へえ、復讐ってわけ!? 家族を殺されたから、私に!?」
「そうよ! 貴女のような忍者に奪われた命全てに詫びながら死になさい!」
「忍者を知ってるんだ、調べ物が上手なんだね!」
片や軽口、片や狂気に片足を踏み込んだ激昂。言葉をぶつけあうのと同じくらいの勢いでアンジェラはとてつもない速度の斬撃を叩き込もうとするが、リヴォルの間に挟まったレヴォルが防ぐ。刃二本だけだが、連なる蛇のような剣の攻撃を全て弾いている。
「はあああぁぁッ!」
ここにきてようやく、フォンはアンジェラが『双頭竜のアンジェラ』と呼ばれている理由を理解した。彼女の振るう二振りの蛇腹剣の軌道は、まるで二又首の竜が首をもたげ、激情のままに目に見えるもの全てを撃砕しているように見えるのだ。
辺りの家屋は壁が砕け、道には隕石が落ちた痕跡のようなクレーターができてゆく。このまま戦いを続けていれば、案内所どころかギルディア全体に被害が出かねない。
誰も介入できない猛攻に見えたが、戦いを楽しんでいる様子のリヴォルからすればそうでもないようだ。レヴォルを操りながら敵を観察し、感情を増長させる。
「怒りに身を任せて、みっともない戦い方だね! 忍者はもっとスマートに、っと!」
忍者の常套手段――今回操るのは、怒の感情だ。
レヴォルとアンジェラがぶつかり合っている隙を突いて、リヴォルは彼女の脚に蹴りを入れた。決して強い威力ではないが、前のめりになった彼女の姿勢を崩すには十分だ。
「何を、ぐ、うぁッ!?」
がくりとつんのめったアンジェラの首目掛けて、レヴォルは刃を突き刺そうとした。
「これでお終い……おっと!」
しかし、フォンの苦無が寸でのところで刃を止めた。キレた彼女と違ってこちらは出し抜けないと思ったのか、三度ほど鍔迫り合ってから、姉妹は距離を取った。
体勢を整えたアンジェラとフォンが並び立ち、リヴォルを見据える。未だに復讐者の感情が爆発しているのを悟り、フォンは敵と味方を交互に見ながら、少しだけ足を先に出した。
「フォン、助けてくれたのには感謝するけど、手を出さないでちょうだい」
「手を出すつもりはない。でも、アンジーを殺させるつもりもない」
双方の顔を見ずに話し合う二人を前にして、リヴォルはため息をついた。
「へえ、お兄ちゃん、その人と仲がいいんだね。なんだか妬けちゃうなあ」
「お兄ちゃん?」
「後で話すよ、彼女とはそんな関係じゃないとだけ言っておく。そしてリヴォル、状況は不利だと分かっているはずだ。まだ戦闘を継続するか?」
「フォン、勝手なことを言わないで! ここで殺さないと、彼女だけは!」
「……そうだね、お兄ちゃんの言う通りだよ」
じとりと冷たい目を向けて怒鳴るアンジェラと、こちらから一瞬たりとも視線を逸らさないフォンを交互に見たリヴォルは、少し破損して汚れたレヴォルを手元に引き寄せた。
「ちょっとだけこっちの方が不利だね、これ以上戦うと良くないかも。今回は引き下がるけど、また会いに来るね……お兄ちゃんっ!」
言うが早いか、レヴォルの袖からころりと、丸い球が転がった。
「目を閉じろ、アンジー!」
フォン達が反射的に目を瞑ったのと同時に球が炸裂して、一帯を、目を潰すほど眩い光が覆った。フォンも使う忍法・雷遁『閃光玉』の目晦ましだ。
これを使う時は、忍者共通の理由がある。フォンとアンジェラが目を開いた時には、既にリヴォルもレヴォルも、影も形もいなくなっていた。つまり、二人が目を閉じている間に逃げ去ってしまったのだ。
ここまで派手な襲撃を仕掛けておきながら、撤退に躊躇いがなく、また諦めた様子も見せない。愉快犯とするには、やはりリヴォルは危険すぎる相手である。
「……逃げられたわね。それとも、貴方が逃がしたの、『お兄ちゃん』?」
ついでに言うならば、隣のアンジェラも、今は危険な相手だ。復讐するべき相手と密接な関係があったフォンを、今の彼女は怪しんでいる。
「アンジー、また来ると彼女は言っていた。僕が逃がすなら、そんなことは言わせない」
「さっき殺しておけば、もう一度会う必要もなかったわ。フォン、説明して」
ようやく、フォンはアンジェラと目を合わせた。
「その前に、自警団の集会所に行く。仲間と一緒に怪我人の治療を手伝って、状況を把握してから、それから全てを話す……僕の知っている限りであれば、なんでも話すよ」
「……約束よ、フォン」
フォンは頷いた。
戦争が起きた後のような惨害の中に立つ二人だけの世界に、人々が再び集まってきた。