天界での裁判の中で禁忌とされているのは、決して地上にいる人間に影響を与えてはいけないということと、天界の人間に地上の人間の情報を与えないこと。1つ目はもちろんのこと、2つ目は地上に戻りたいという意識が芽生えて、万が一天界の警備をくくり抜けて地上に逃げた時に近しい親族にあってしまい、天界のことを知られた場合、その一族などその周辺地域の人間を一掃しなければ行けなくなるからだ。幸助くんの場合、もうすでに生命力は消えかけ、もうすでに存在を保つのがギリギリで展開から抜け出すことは不可能だ。それでも禁忌に触れることには変わらないがここは閉鎖された世界、しおりが言わない限り、どこにも漏れない。

「いいか?お前の自殺でお前の周りの人間の人生は大きく傾くことになった。まずは、お前の両親だ。お前の自殺以降、母親は無気力になり、体重は落ち、免疫が弱くなり病気がちになった。父親との衝突が増え、離婚。お前がいた頃の家族はバラバラ。お前を虐めていた奴も裁判の後、殺人者と言われ家族全員で心中。担任の先生は責任を取って辞職して職を失っている。まだ新婚で子供が生まれたばかりだった。」

幸助くんの顔に覇気がなくなっていく。

「お前は確かに生きていれば被害者かも知れない。でも自殺した時点でお前は多くの人間の人生に悪い影響を与えてる。これが自殺がこの天界で罪になる理由だ。」

自分は幸助くんの手を離した。そろそろ時間だ。だんだん当たりはどんどん殺風景になっていく。幸助くんの部屋の窓からはきれいな夜の街並みが見えていたが、各家家の存在が確認できなくなっていた。おそらくもうこの世界に残っているのはこの部屋だけだろう。もって後、2分くらいだ。

「もう時間だ。君の存在は消えて、君の力で作られたこの世界も消える。顔を上げて周りを見てみろ。」

自分の言葉に反応して顔をあげる幸助くん。その時ちょうど、部屋にある本棚がチリになって消えていった。

「最後に聞きたいことでもあるか?」

最後の自分の呼びかけ。幸助くんの反応は薄い。

「本当の夏帆は僕のことどう思ってたんですか?」

「君が作った世界は君の中の想いを中心に作られてる。でも、それだとあまりリアリティがないから人の気持ちとかは地上にいる人間の感情を反映したものになってる。夏帆ちゃんは君のこと好きだったと思うよ。」

幸助くんは最後の自分の言葉に涙を流していた。

「そうなんだ。ならよか・・・。」

言葉の途中で幸助くんの生命力が切れた。もともとあった世界は虚無感の強い何もない空間になっていた。

自分は幸助くんのことを握っていた掌を見つめた。

「本当に何も残らないのですね。」

「そうだな。」

会話は少ない。会話をするような雰囲気ではない。何度も経験してきたこととはいえ、何の感情もないわけではない。この虚無感にはいくら経験してもなれる気がしない。何もない。何も感じない。存在が消えるということがどれだけ怖いことか。ここに来るたびに実感させられる。振り返るとしおりの顔は悲しさで溢れていた。

「大丈夫か?こんなことが毎日続く。嫌ならやめてもいい。上に俺から言っておく。」

この光景が耐えられないものだということを知っているからこそ、自分もあえて簡単にやめられることができるようにしている。逃げ道を作っておかないと、悲惨なことになることを俺は知っている。自分はもう腹を括っているから大丈夫だ。自分がやらないといけない使命感でなんとかここまで繋いできた。

虚無の中に2つだけひかるものがあった。自分はそれを拾い上げる。

「なんですかそれ?」

「幸助くんが生きていたという最後の証だよ。」

しおりに見せる。

「これまで消えてしまうと俺たちも幸助くんのことを忘れてしまうからね。そろそろ、帰ろうか。」

自分たちは幸助くんの世界があった場所からもとの世界に戻った。証だけを手に持ち、完全に消えた存在を思いながら。

元の見慣れた風景に戻る。虚無の空間とはかけ離れた、物が溢れた部屋。この風景をみると、すこしだけ落ち着く。自分が一つため息をつく。安堵から来るものか、もしくは他の何かの影響で自分の頬には伝うものがあった。しおりに気づかれまいと急いで袖を目に当てる。

「それどうするんですか?」

タイミング悪く、しおりはこっちを見ていた。隠す必要がなくなったので袖で乱暴に吹いていたが、人差し指で目尻を拭く。

「保管するんだよ。ついてきてくれるかい?」

裁判所から出て、隣に併設されている建物に入る。そこには自分がこの担当についてから関わってきた人が存在していた証があった。大きなものから小さなもの、名前が彫られたものや写真でいっぱいだった。溢れ開けるものの中に幸助くんの証を大切に自分は保管する。

「これだけの人を1人で裁いてきたんですよね?」

「そういうことになるな。」

ここに来ると考えさせられることがある。これでよかったのかなって。これだけ多くの人間の存在を自分は消してきた。例え罪人とはいえ、罪悪感が消えることはない。

「私、決めました。これからもここでお世話になります。」

突然の発言に証を見ているしおりの背中を見た。

「いいのか?これから毎日のように人間がこの世界から消えていく様子を見ることになるんだぞ。」

「あんな顔見せられたら今さらやめるなんて言い出せませんよ。そんなことをもう何百年1人でやってきたと思うとゾッとします。だから、すこしでも力になれればと思って。」

「そうか。わかった。これからもよろしくな。」

しおりに近づき、手を出す。しおりは自分の手を握った。

「これからよろしくお願いします。えっと・・・。」

「伯斗だ。」

「はい。伯斗さん。」

自分は初めて部下を得ることができた。消えていく存在を認知してもらえる人ができて嬉しかった。その時、少しだけ幸助くんが残した証、指輪とネックレスが反応した気がした。