道ばたに黄色いぽわぽわの花が咲いていた。
 むんずと掴んで千切り取る。母が気がついて声をあげた。
「何してるのっ。お花がかわいそうでしょっ。」
 もう一つ、掴もうとした手を取られて、引っ張られる。
 今取った花も、手離さなきゃいけないんだろうか。母を見上げると、眉を八の字にして笑った。
「もう取っちゃったのは、しかたないわね。」
 良かった。
 あの子にあげるんだ。
 いつも、お花が描いてある服を着ているから、きっと喜んでくれる。

 ***

 校庭の端にあるチェーンジャングルジム、左右に立ったポールの間にジャラジャラと網状に張られたチェーンに、輪っかや三角形の形に曲げられた鉄パイプが取り付けられたその遊具で、三人の少女が遊んでいる。
 一人は一番低い位置にある輪っか状のパイプに掴まり、一人はその斜め上にある三角形に腰掛け、一人は二人のすぐ後ろにあるもう一枚のチェーンをガシャガシャと登っていた。
 グランドの方でサッカーをしているらしい、はしゃいだ声が遠い。
 輪っかに掴まった少女が、暗い顔で口を開いた。
「ぜーったいっ、わたしの家、なんかいる。」
 三角形に腰掛けている少女が不安そうに見下ろしてきた。
「なんかって、なによ?」
「……たぶん、オバケ?」
「まじか。見に行きたい。」
 最初に口を開いた少女、ヒマリが答えると、遊具の一番上に到達した少女、ハヅキが嬉しそうに声をあげた。最後の一人、フミカがぶんぶんと首を横に振る。
「イヤよ。わたしはイヤ。」
「それが、見えないオバケなんだよねー。」
「なんだ、つまんねー。」
 ハヅキは唇を尖らせたが、フミカはほっと息をついた。それから首をかしげる。
「見えないなら、どうしてオバケがいるって分かるのよ?」
「だってね、へんなことばっかおきるんだよ。まずね、」
 ヒマリはぎゅっと眉を寄せて、パイプを掴む手に力を込めた。
「うっかり、フトンじゃないとこでねるとね、目をあけたとき、タオルケットがかかってるんだよっ。」
 言い終えてからたっぷり十秒、三人の間に沈黙が流れる。
「え? それはお母さんが、かけてるんじゃないの?」
「ちがうって言ってた。」
「じゃあ、お父さんじゃね?」
「お父さんがいないときにもなるんだよ。それにね、わたしだけじゃないんだよ。ヒナタがねてるなーと思ってへやを出てね、お茶のんでかえってくると、タオルケットがかかってるの。」
「自分でかけたんじゃね?」
「あんなに小さいんだよっ? できないよっ。」
「知らんけども。」
 フミカが、よいしょっと三角形から降りて、ヒマリと同じ高さまで来る。
「へんなことって、タオルケットだけ?」
「ううんっ。ほかにもね、ヒナタがオモチャをどっかやっちゃうでしょ? さがしても、さがしても、見つからなかったのに、あきらめて、ほかのへやに行ったりするとね、いつのまにかつくえの上にあるの。」
「つくえの上?」
「つくえの上。どまんなか。」
「それは、見つけられなかっただけ、にしてはへんね。」
「でしょう?」
 共感を得られたことが嬉しくて、ヒマリが身を乗り出す。しかし、二人の頭の高さまで降りて来ていたハヅキが口を開く。
「でも、べんりじゃん。なんか、こまることあんの?」
「見えないんだよ? なにがやってるのか分かんないんだよ? こわいじゃんっ。」
「そっかー?」
 ハヅキはピンと来ないようで、難しい顔をしながらガッチャンガッチャンとチェーンを揺する。
「それでね、ヒナタもへんなんだよっ。なんにもないとこにむかって、ばたばた手をふったり、なんか話したりするの。」
「ふーん。へんっちゃ、へんだな。」
 ようやくこちらも納得してくれたようだが、どうも反応が薄い。しかも、今度はフミカが首をかしげた。
「お正月に会ったイトコもよく一人で、にへーってわらってたわよ。赤ちゃんってそういうものなんじゃないの?」
「そう、なのかなぁ?」
 ヒマリも首をかしげる。ヒマリには身近な赤ちゃんが妹くらいしかいない。一般的な赤ちゃんの行動である、と結論を出すには情報が不足している。
 ガチャンっと一際大きくチェーンが揺れる。上の方にある四角いパイプをくぐって、ハヅキがこちらのチェーンに移って来たのだ。
「つーか、いたとしてなんなの?」
「え?」
 ハヅキは掴んでいるパイプを鉄棒のように支えにして、ぐるっと体を上下逆さにした。髪が全部地面を向いて、彼女の形の良いおでこがあらわになる。
「ヒマリの話じゃ、べつに、こわいオバケじゃねーみたいじゃん。いて、こまるの?」
 その言葉にヒマリはうつむいて口をもごもごさせる。
「こまるっていうか、なんかヤじゃん。」
「そうよね。オバケってだけでこわいわよ。」
 隣に立つフミカがうんうんと頷いてくれる。
 見えないけどいる。いるけれど見えない。何だか胸の中がモヤモヤするのだ。

 ***

 帰宅後、手洗いうがいを済ませると、ヒマリはランドセルを置きに自室に行くため階段へ向かった。いつもならリビングに放り出し、さっさと遊びに出るのだが、フミカは習い事がある日だし、ハヅキは父親と出かけるらしいので、今日は何の約束もない。公園に出てクラスメイトがいれば、遊びに混ぜてもらおうか。そんなのんびりした気持ちでリビングの前を横切る。
 ドアの向こうから妹のはしゃぐ声が聞こえた。
 ヒマリは、立ち止まってしまう。そろりとドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと捻る。カチャリと軽い音をたてて僅かに開いた隙間から、中を覗き込んだ。
 テレビからいくらか離された位置に、クッションが積まれていて、そこにチョコンと妹が座っていた。流れてくる、オノマトペの多い歌に合わせて、フリフリと体を揺らしている。テンポが少々ずれているが、本人は気がつかずにご機嫌だ。
 時々、誰もいない壁に向かって「あー」だとか「ちー」だとか話しかけている。
 ヒマリは妹の意識がこちらに向かないよう願いながら、そぉーっとドアを閉めた。ランドセルの肩ベルトをぎゅっと握りしめる。
「どうしたの?」
 廊下の奥、階段の向こうから母が呼び掛けた。棒つきお掃除シートを手にしているのは、ヒマリを出迎えるため一度中断した掃除を、再開させたからだ。シートを廊下に滑らせながら、ドアの前で立ち尽くしているヒマリの下まで来る。
「お母さんは……。」
 これを大人に聞いて良いのか分からなくて、ヒマリはうつむいて顔を反らす。
「お母さんは、こわくないの?」
「何が?」
「ヒナタが、だれと話してるのか、気にならないの?」
「ああ。」
 母が頷いて、苦笑をこぼす。
「もう気にならないわよ。あんたで慣れたもん。」
「え?」
 ヒマリがぱっと顔を上げる。母はまた掃除に戻っていた。シートの甘いような香料の匂いが漂っている。
「覚えてないかなぁ。あんたもあれくらいの頃、よく壁とお話してたわよ。」
 知らない。まったく分からない。
 一瞬、頭が真っ白になったヒマリは、ハッとして母の背へ声を投げた。
「ウソっ。そんなのっ。」
「当時はお母さんもびっくりしてね、おばあちゃんに相談したんだけどね、叔父さんと叔母さんもしてたから気にしなくて良いって、そう言われたわ。」
 ヒマリの脳裏に、冬や夏に帰ってくる度に遊んでくれる二人がよぎる。そして、あれ、と気がついた。
「お父さんは?」
 父はあの二人の兄なのに、何もなかったのだろうか。
「さあ。特にはなかったって言ってたけど。」
 二階へと階段を上がる母を、ヒマリは追いかける。
「じゃあ、あれはふつうのことなの? 赤ちゃんはみんなするの?」
「どうかしらねー。少なくとも、うちはする子が多いみたいねー。」
「じゃあ、これは? なくしたものが、つくえの上に出てくるのも、ふつうなの?」
「あー、それねー。不思議な話よねー。」
 ヒマリは一度ぴたりと足を止めた。離れて行く母へと声を張り上げる。
「お母さんっ、お母さんっ!」
「何々? あんまりおっきい声出すと、ヒナタもおばあちゃんもびっくりしちゃうわよ。」
 母が立ち止まって振り返ってくれた。ヒマリはばたばたと両手を振る。
「あれお母さんもおきるの? あれ、ぜったいへんだよねっ?」
「お母さんはやったことないわよ。でも、いつだったかお父さんが教えてくれたのよ。子供の頃よくやってた、おまじない。」
「おまじない?」
 母がついに二階に上がる。ヒマリも続く。ランドセルを置いて来ようかと、自室を振り返るが、今はそんなことより、おまじないの話の方が大事だ。母は廊下を磨き始める。
「そう。例えば、ハサミをなくしたとするでしょう。それでね、ハサミはどこかなー? って言いながら部屋中を見て回るの。それで見つからなかったら、一度部屋を出るの。しばらくしてから部屋に戻ると、棚とか机の上に探していたハサミが出てるんですって。」
「……お母さん、それしたことあるの?」
「ないってば。でも、お父さんは小さい頃よくやったらしいわよ。」
 母は何でもないことのように笑う。ヒマリは眉をひそめる。
「こわくないの?」
「不思議だなー、とは思うけどね。でも、小さい頃のことだし、お父さんの勘違いだったんじゃないかしら。自分で置いた場所を忘れてたとかね。」
 母は話しながら廊下の奥へと進んでしまう。ヒマリはもう追いかけなかった。手をぎゅっと握りしめてうつむく。
 勘違いのはずがない。ヒマリも何度も体験しているのだ。
 やはり、この家には何かいるのだ。

 ***