「ねぇ」
「なんですか?」


彼女は黙々と問題集をこなしている。
その隣で彼は、ごろりと横になってみたり音量を小さめにしてテレビをつけてみたりしていたが、やはりそれらにも飽きが来てしまったので邪魔になることは承知のうえで声を掛けた。

返事が返ってきても、鉛筆の動きが止まることも顔がこちらに向くこともなかった。
彼女の目は今、教科書に向いている。集中力、半端ないじゃないですか。

自分は勉強よりも位置づけが下なのだといわれているような気がして、舌打ちしそうになった。
学生の本分だから、と割り切ることも出来なくて「俺ってそのくらいなんですね」なんていいたくなったけれど、来週から始まる定期テストのことを思えば、自分が高校生だった頃を思い出す。
そういえば、自分も必死だったよな、テストの時だけ。とかなんとか思い出して、所詮一時期なんだと少しだけ思い込もうとした。

「なんでもない」

彼女が見ているわけもないのにぎこちなく微笑んでそう返し、ソファーまで這ってごろりと横になる。
ソファーの位置は彼女の左側で、さっきより近くなった距離が余計に苦渋ではあるけれどこのまま不貞寝の勢いをそのまま受け入れてしまえば何も問題はない。
カリカリとノートに書く音が、一瞬鈍る。
止まることこそなかったそれが、回答に行き詰ったのか音が止まった。

「朋樹さん」

呼ばれたので目を開けてみる。彼女は何故か悲しそうにこちらを見ていた。

「なーに」
「怒った?」
「どうして?」
「私が、勉強しかしてないから」
「ぷっ、何ソレ」

思わず笑うと、彼女の表情が一層曇る。
怒る、なんてそんな理不尽なことじゃないよ、コレはただ単に拗ねてるだけ。

「……」
「花羽、いいよ。だって来週からテストなんでしょ?」


そういわなきゃ、彼女が泣き出すと思った。もしくは、部屋に帰ってしまうかと。
今日ここに来た時もそうだった。
申し訳なさそうに彼女は呼び鈴を鳴らして立っていた。

『べ、勉強、教えてほしいところがあるかもしれないから、朋樹さんの部屋でしていい?』

抱きかかえられた問題集とノートとペンケース。
彼女がそうやって自ら、俺の部屋に来ることは初めてだった。

前に、帰りがどうも遅いので心配になって探し回ったら、ファーストフード店の隅で一人黙々と勉強を続けている彼女を見つけた。
店に入って、どうして、と声をかけたら、

「図書館の閉館時間が七時だったから、その後はいつもここで十時くらいまで粘ります」

と返ってきたので、そういうことじゃなくてどうして家でしないのか、と聞いた。
年頃の女の子が夜遅くまでこんな場所で勉強なんてするもんじゃない。
彼女は唇を軽く噛んで軽く目を逸らし、少し迷ってから答えた。

「勉強が大切な時期だけど、隣同士だから、物音とかすごく気になるから」

そういえば、あの時は別に今より親密じゃなくて“本当にお隣さん同士”だったけど、なんとなくその一言で俺のこと少しは意識してるのかな、なんて自惚れてましたね、ははは。

今ならそんな自惚れも許してくれるのかな。
そんな事を思い出しながらじっと彼女を見つめていると怪訝な顔で見られていた。

「あー、もう。分かったよ正直に言います! 花羽が勉強にばっかりお熱だからちょっと拗ねてたの」
「……えっ! ほ、本当、ですか?」

一瞬にして顔を真っ赤に染める彼女が可愛らしくて自惚れじゃないんだ、なんて一人で頷く。

「本当、本当。けど、勉強大切だから、サボるのは駄目ですよ」
「ハイ……」

シュンとされるとなあ、こっちだってつまらないと思ってるわけだし。
その罪悪感に付け込んでしまいたくなる。その心をぐっと抑える。

「花羽」
「は、はいっ」
「今日さ、一緒にご飯食べよう」
「え?」
「もしかしてもう食べてきた?」
「はい、その……」
「じゃあ、勉強頑張ってるご褒美にあとでスイーツ買いに行こう、コンビニの」

よかったと、笑って少しだけ居眠りする事にした。

「と、朋樹さん!?」
「分からない問題があったら容赦なく起こしてくれてかまわないから……花羽が一区切りつくまでとりあえず一眠り……」

もとよりウトウトしていたのだ、夢からのお誘いにのらないわけはない。
そして夢から醒めたら、甘い現実で過ごさせてよ。

君と二人で。



【夢よりも甘い現実を】
10'06'27
再:11'07'18