それどころか、前世の繋がりが多少あるだけで、風間凰理という人間を、紫音はまったくといっていいほど知らない。

 どんな人生を歩いてきたのか、好きなもの、嫌いなもの。間違いなく詩音よりも彼のことをなにもわかっていない。

「しおん」

 突然、第三者の声が割って入り、ふたりの意識はそちらに持っていかれる。

「凰理、どうしたの?」

 反応し、動いたのは詩音が先だった。不思議そうな面持ちをしている凰理のそばに寄るが、紫音は動けない。

「どうしてお前らが一緒に?」

「就職課に用事があって、その後、偶然紫音ちゃんに会ったからお茶に誘ったの。凰理にも声をかけたほうがよかった?」

 からかい混じりに尋ねる詩音に、凰理は眉をひそめつつ「必要ない」とぶっきらぼうに答える。

 その反応も予想通りだったのか、詩音はくすくすとおかしそうに小さく笑った。

 ふたりの様子を黙って眺めていた紫音の心はどんどん黒い雲に覆われていく。一歩も動けず、今にも雨が降り出しそうだ。

 次の瞬間、凰理の視線が紫音に向けられた。バチリと音を立てそうなほどの勢いではっきりと目が合う。

「あの、詩音さん。今日はありがとうございました。明日も講義なのでここで失礼します。風間先生もさようなら」

 一方的に捲し立て、素早く紫音は踵を返す。

 こんな逃げ出すみたいな態度、私らしくない。そもそも逃げるってなにから?

 自分の中で戸惑いが起こるも答えは見つからない。ただひとつ、凰理と再会してから紫音はずっと彼に振り回されてばかりだ。

『会いたかったんだ、紫音』

 あのときは、理由まで聞きそびれていた。凰理がなにかと自分にちょっかいを出すのは、どうしてなのだろうか。

 先ほど彼が呼んだ『しおん』はどちらを指していたのか。