「怖いものがない人間なんていない」

『怖いものがない人間はいないって内容だっただろ』

 きっぱりと言い切る凰理に、紫音は今日の講義を思い出す。その間に紫音の頭に置かれていた彼の手は緩やかに髪を滑り、紫音の頬に触れていた。

 徐々に暗闇に目が慣れ、凰理の顔がすぐそばにあるのがわかる。そして彼の口がおもむろに動いた。

「怖いものや苦手なものがあるなら無理する必要なんてない。素直に怖いって口にしてもかまわないんだ」

 以前もそうだ。凰理の言葉は今の紫音に対してだけではなく昔の自分にまで響く。凰理は慈しむように紫音の頬を撫で言い聞かせた。

「いいんだ、紫音。ひとりで抱え込まなくても」

 彼の言葉が胸の奥に()みてなにかを許されるような気持ちになる。紫音の目の奥がじんわりと熱くなった。

 魔王が勇者にかける内容とは思えないが、魔王だからと先入観で、勝手に凰理自身をどんな人間なのか決めつけていたのかもしれない。

 今はお互いに立ち位置も違う。その考えに至ると、この状況のせいもあり紫音は下手に反発しなかった。

「……手、痛い」

 紫音の訴えに凰理は思ったより力強く彼女の細い手首を掴んだままだったことを思い出す。名残惜しくも離すと、今度は逆に紫音が凰理の指先に触れた。

「だから、ちゃんと繋いでいて」

 不意を突かれ目を丸くする。ぼんやりとしか紫音の姿を捉えられないが、なんとなく彼女の表情は見当がついた。紫音は唇を尖らせ、ぎこちなく続ける。

「こういう状況だから言ってるの。停電さえしていなかったら」

「わかった、わかった」

 最後まで言い終わらないうちに凰理がおかしそうに遮る、そして改めて紫音の手を取りしっかりと握った。

 あまりにも躊躇(ためら)いがなかったので、思わず手を引っ込めそうになった紫音だが、伝わる温もりにホッと息を吐く。