「その手には乗らない」

「……は?」

 唇が触れ合いそうになる瞬間、紫音が素早く右手を凰理の口に当てる。おかげで凰理の声はくぐもったものになった。

 紫音は得意げに微笑むと彼から手を離す。

「私は魔王に落とされる気も懐柔される気もない」

 紫音の言い回しに凰理は思い当たる節を浮かべ、苦虫をかみつぶしたような顔になる。前髪をくしゃりと搔き上げ、ため息をついた。

「前言撤回だ。やっぱり全部忘れろ」

 そう言われ『はい、わかりました』と頷く紫音ではない。もちろん凰理も本気ではなかったが、やはり気まずさが拭えない。

 昔、自分が放った言葉を彼女は律儀に覚えているようだ。改めて紫音を見つめて思う。

 前世とはお互いに見た目も立場もすっかり変わってしまった。けれど懐かしく、変わらないものもある。凰理は込み上げそうになる笑みを無理矢理押し殺した。

「お前は生まれ変わっても相変わらずだな」

「どういう意味?」

 案の定、紫音が突っかかってくる。しかし不自然に距離を置かれるよりよっぽどいい。凰理はいつもの調子で紫音の髪先に触れた。

「俺を意識して、わかりやすく髪や服装まで変える単純そのもののところとか」

 凰理の指摘は紫音の核心を突きすぎていた。あっさりと彼女は狼狽(ろうばい)の色を見せる。

「こ、これは……あなたを意識したわけじゃない!」

 凰理から離れた紫音は否定するが、あまり意味はない。呆れるほどにどこまでも素直でわかりやすく、まっすぐだ。

 今も昔も、自分とは正反対だと凰理は思う。だから惹かれるのかもしれないが。

「よく似合ってる」

 ストレートな褒め言葉に紫音が目を白黒させる。そして彼女の反応を待たずに帰るよう促す。もういい時間だ。近くで飲んでいる実乃梨たちに見つかっても面倒だ。

 紫音は拒否も抵抗もせず凰理の後に続く。彼の背中を見つめ、先ほど中途半端に思い出していた前世の記憶を再び辿りだす。