「悪かった」

「謝らないでよ。私ね、結婚するの。同じ職場の人」

 謝罪の謝罪に対し、詩音は苦笑しつつ重大な報告を混ぜて返す。

 あまりにもさらりと告げられた事実に凰理が目を瞬かせると、紫音はとびっきりの笑顔を彼に向けた。

「凰理と違って私をしっかり見てくれるとっても素敵な男性よ」

 強がりでも誇張でもない。詩音の目は幸せに満ちている。そんな彼女を見て凰理もぎこちなく笑った。

「……おめでとう、幸せにな」

「うん、ありがとう。だから凰理もいい加減、許してあげて」

 なにを?と凰理が尋ねる前に、詩音は人差し指を軽く立てて凰理を指した。

「自分をよ。あなたいつも自分を許せないって顔をしてる」

 凰理は常に自分自身になにかを課している気がした。ストイックとでもいうのか。

 付き合ってそばにいても、凰理が心の底から幸せそうな顔をしているのを詩音は見たことがない。

 いつもなにかを堪えている表情。それだけが心残りだ。

 彼女なら……自分より年下でまだ大学生ではあるが、紫音なら凰理を笑顔にできるんだろうか。いや、してほしい。

「私、幸せになるの。だから凰理も幸せにならないと。絶対に」

 力強く懇願するように告げる詩音に凰理はふっと笑みを浮かべる。

「ありがとう、詩音」

 なにそれ、そんな顔もできるんじゃない。あの子に会ったから?

 カフェで紫音といたとき、凰理がどちらの名前を呼んだのか紫音にはすぐにわかった。あのとき、自分を呼んだわけではないのも。

 同じ名前でも紫音を呼ぶときの凰理の声はどこか優しい。

 けれど今、最後の最後で詩音はやっと凰理から誰かの代わりではなく自分の名前を呼んでもらえた気がした。

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