「クラシックをかけてみたことがあるんですけど、どうもしっくりこなくて。ここにはジャズが沁みついているのかもしれないですね」

今かかっている曲は、切ないメロディのラブソング。

気が付くと彼のことを考えてしまう。手の届かない人なのに。
多分そんな歌詞の、恋する胸のうちを歌っている。

音楽のことを聞くってことはもしかして、と思って聞いてみた。
「お客さまはもしかしてアーチストさんとか?」
音楽関係の人なのかと思ったのである。

「アーチスト? そうですね、そうなるんでしょうか。小説を書いたり、時々頼まれて歌詞を書くことも」

そう言いながら、彼はバッグから名刺入れを取り出して名刺を二枚差し出した。
――小説家?

「僕のこと、ちゃんと言っていませんでしたね。小説家のほうの名刺はペンネームです。実は公にはしていないので、できれば秘密にしていただけると助かるのですが」

「わかりました……って、えっ!
 一条さんなんですかっ! ってあ、っつご、ごめんなさい声に出して言っちゃった」

「あはは、大丈夫ですよ。誰もいませんし。小説ご存じでしたか」

「も、もちろん! 全部読んでいます。大ファンなんです!」

「そうですか、ありがとう」

一条定(いちじょう さだむ)といえばファンタジーや恋愛小説を書く人気作家だ。