彼は魔術を使える。
 キラキラのシャラリラした魔法じゃない、魔術。
 自分でそういうのだから、そうなのだろう。
 聞けば、彼は懇切丁寧に説明してくれるが、そもそも魔法はシンデレラを舞踏会に行けるようにしてくれたアレで、魔術といえば暗い部屋で緑色の液体が入った大なべの側でヒッヒッヒッと高笑いが聞こえてくるアレ、という印象しかない。

 けれどどうしてか、彼は自分が魔法は使えないが魔術は使えるという。
 まあ、その変な魔術にかかっているのが、ここのところの私なのだ。


   *


 向かい合わせに座り、テスト勉強をしていた。

 有り難いのか残念なのか、私の学力は彼と出合ってからメキメキと上がっている。
 先生は勿論周囲、そして何より私自身がその右肩上がり気味な成績に驚いている。が、よくよく思い返せば私が今までより努力するようになったのだと思う。
 初めの頃にその事で彼にお礼を言うと、

「僕、魔術は少々使えますが、貴方の知識を増やすことはできませんよ」

 なんて冗談っぽく言われたがさりげなく凄い事を彼が言ったことに、後になって気づいたっけ。
 そんなことを思い出しながら、どうやら顔は正面を向き手は止まっていたらしい。

「わからない所でもありましたか?」

 声をかけられはっとなる。視界に入ってはいたものの意識していなかったからかぼやけていた視界がその一言で輪郭を帯びて整った彼の顔にピントがあった。
 つつつ、と顔をノートに向けると、解らないどころか全く手を付けていない問題が並んでいた。
 ほっそりとした小さめの、でも何かの手本のように見やすくまとまっている彼の文字が物いいたげにノートの線の上を歩いている。

「ううん、ぼーっとしてただけ……」

 ごめん、と謝ると、謝らなくていいですよ、といってさりげなく軽く微笑み彼は自分のノートに視線を落とした。
 たまに、みせるその笑みがみたくて勉強に付き合って貰っているなんて口が裂けても言えない。

 動作のひとつひとつ。止まることなく滑らかに問いを解いていく鉛筆の動きとか、少し考える為に顎に手を当てる仕草とか揺れるやわらかな髪とか。それらが総て私の感覚を刺激する。
 ありえはしないと思っていたけれど、どうやら私は彼に惚れてしまっているらしい。

「関係、ないけどさ」
「はい?」

 丁寧に答えてくれる彼。いつまで経っても敬語は敬語のままだ。

「魔法じゃなくて魔術、なの?」

 どうして、その魔術で。と危うく言いかけた言葉を飲み込んだ。

「僕には魔法の素質はなかったので。使える魔術の力を借りています」
「そ、そう……?」

 素質の問題なのか? と思ったけれど曖昧に返事をしておく。聞けそうな時に、聞けばいいや。

「まあ、可愛らしくいえば魔法の方が耳馴染みはありますよね? けど、魔術とは本質が異なるんですよ。どうですか? 使ってみません? ムギさんも練習すれば魔術なら使えると思いますよ」
「い、いや……いいや」

 残念です、と彼はさして残念がるでもなくいう。だって、少し笑ってみえるんだもの。

「素質はありそうですが、かかってますもんね」

 そっと腕を伸ばし、彼は少しだけ迷いながら私の前髪に触れた。ピクリ、と全身が怖がる。
 そんな事だけでも破裂寸前になりそうな心臓が、身体中に酸素混じりの血液を送り出す。
 けどダメだ、酸素が足りないよ。クラクラする。

「どうですか? 僕の魔術。なんて」

 私が逃げようとしなかったからなのか、少し嬉しそうに彼が笑った。
 そんな彼に私が出来たことと言えば、目を伏せることと小さく頷くことだけだった。