JR総武線両国駅から錦糸町駅までのおよそ2km。線路から一本北側に「北斎通り」と呼ばれる道路が通っている。何の因果か、林田藍佳は毎朝この道を通る。錦糸町の駅前にある雑居ビルが、彼女の職場だからだ。

「ふわ……ぁ……」
「あれ~? 何、林田さん、寝不足~?」

 ランチタイム、つい気が緩んで藍佳は大あくびをしてしまった。それを同僚たちは見逃さない。

「あはは……つい、配信見てたら止まらなくなっちゃいまして……」

 推しキャラの誕生日絵を間に合わせるために、この2日徹夜していた。……などとは口が裂けても言えない。オタ活動は極秘事項だ。

「え~、林田さんってどんなの見てるの~? 気になるぅ~」

 やばい、そこ突っ込んでくるか。

「ええっと、アレですよ。韓流の……オーディションの……」

 とっさの綱渡り。作業用BGMとして流していたラジオで、パーソナリティが話題にしていた番組の情報を思い出しながら体裁をつくろう。
 ギャルゲーも乙女ゲーも漫画もアニメも、この人達とは縁がない。それどころか、藍佳が愛するそれらのコンテンツを、馬鹿にするような態度をとる事がある。だからその手の話題は絶対にできない。

「まぁ、仕事に支障が出ないよう、ほどほどにね」
「は~い」

 うん、上手くごまかすことが出来た。

 寝不足の本当の理由は他でもない、先週からうちにいる同居人のせいだ。藍佳に弟子入りを求めた葛飾北斎は、それ以来藍佳の作業をじっと見つめ続けている。これが気が散ってしょうがない。

『ホクサン……どういうつもり?』
『いいや、気にしねえでくれ姉サン。人の仕事を盗むには見るのが一番だからよ』

 かの江戸の巨匠に「師匠」だの「先生」だの呼ばれるのは流石に気が引けたので、彼の弟子入りは丁重にお断りしたのだが(そもそも中堅絵師が弟子を取るなんておこがましい……)、この奇人絵師は引き下がらない。なので妥協案として、藍佳は自分のことを「姉サン」と呼ぶことを認めた。
 その代わり、藍佳は北斎のことは「ホクサン」と呼んでいる。これは『フォーティチュード・ジーニアス・オンライン』劇中でのカツシカホクサイの呼称だ。