男は紙束を何度も何度も見返しながらつぶやく。

「柔肌を描くこの繊細な線……こっちに飛び散ってきそうな飛沫(しぶき)……奥行きのある構図……それに……なるほどな、野郎を透かして描くことで女の見せたい部分を見せるってぇ寸法か……」
「えっと、あの~?」
「アゴの奴も女を描かせたら上々だったが、こういう趣向も悪かねぇ。なるほど。あの兄サンがここに連れてきたのは、そういうワケかい」
「も、もしもし~?」

 藍佳の呼びかけに応えず、食い入るように習作を見つめている。そして……

「けど、そうだな……ちっとばかり残念なのは、この腰の線だな」
「え……?」

 ゾクリときた。昨夜、このクロッキーを描いている時に納得がいかなかったのが、まさに女の子の腰つきだったのだ。細すぎず、太すぎず、なおかつ柔らかく描こうと何度も挑戦した。けど、どうしても上手くいかなかった。

「ええっと、これで描いたのかい?」

 男は、テーブルの上に転がっている鉛筆を手にとった。

「なるほどエンピツかい。画材屋の親父が長崎から取り寄せたのを一度使ったことがあらぁ」

 無造作にシャッシャッとエンピツを走らせる、そして紙の端の方に何かを描くと……

「ホラよ、こんな感じでどうでぇ?」

 藍佳は紙を受け取り、ゴクリと唾を飲み込んだ。これだ。昨夜何度も描き直して、結局描けなかった理想的な腰のライン。それ描かれていた。紙の端に目を走らせると、そこには中央の男女と同じ体位で、ネズミがまぐわっている。それを見て、藍佳は思わずぷっと吹き出す。

「やだ、何これ」
「枕絵ってのは艶だけじゃ駄目だ。どっかひょうきんな所がなきゃいけねえ」

 そういうものなのかと思いながら、改めて女の子の腰つきに目を戻す。惚れ惚れするような曲線だ。これだ、こういう女の子をアタシは描きたいんだ。この人、もしかして……

「とはいえ、ここまで描けるたぁお見それしやした。姉サン、オレの事を弟子にしてくんねぇか?」
「へ?」

 もしかして本当に葛飾北斎なのでは? そう思うのとほぼ同時に、藍佳は江戸のビッグネームから思いがけない申し出を受けた。