「…………」

 しばらく起きそうにない聖矢をそのまま床に転がして、藍佳は暇つぶしになるものはないか探す。壁際にはスライド式の本棚がひとつ置いてある。藍佳の部屋の蔵書ほどではないけど文庫本や漫画が並んでいた。何気なく手前の棚をスライドさせて奥の蔵書を見る。

「あれ?」

 端の方に薄く版の大きい本が何冊か並んでいた。同人誌だ。その中一冊に目が止まる。

 ああ、なんだかんだ言って大事にしてくれているんだな。気合を入れて作った箔押しの背表紙は忘れようもない。 藍佳の、[からすみうるて]の最高傑作、『トンネル坂の転校生』だ。
 その他の同人誌も少ない数だけど、版の大きさを合わせてきれいに並べられている。読んだ片っ端から床に放り投げる誰かさんとは大違い……

 いや、待って。

 そこで気がつく。なんで複数冊あるんだ? これまでの気のない返事で分かっている。聖矢は出会った頃に話していたほど、同人誌に興味があるわけじゃない。せいぜい仕事で扱ってるもの、という程度の認識だろう。
 自分で買って本棚に並べる趣味なんかあったのか? いや、あっても別におかしくないでしょ。そう自分に言い聞かせながら、自分の本以外を手に取る。

「なに……これ?」

 奇妙な取り合わせだった。ジャンルにも作家にも共通点がない。二次創作とオリジナル。全年齢本と18禁本。ギャグとシリアス。全てバラバラだ。作家もSNSでよく見る有名所から、無名作家まで幅が広い。

 いや……

 違う。共通点がある。これ、アタシ含めて全員……女性だ。

 嫌な予感がして、後ろの表紙を開き奥付を確認する。もう一つ共通点があった。みんな聖矢の務めている印刷所だ。

 顧客の中から食えそうな女を探してただけなんじゃ……?

 あの邪推が鎌首をもたげる。けど今日の藍佳は、それを打ち消すことはしなかった。それよりも素早く、藍佳の喉笛に食らいついてきたのだ。

「は?」

 奥付の上にラベルが貼り付けてあった。そこには日付だけが書かれている。他の本も確認する。やはり奥付の上に同じラベルが貼られている。
 何の日だ? 本を購入したイベントの日ではない。それなら大抵は奥付の発行日と同じになるはずだ。大体が、発行日の1~2ヶ月後の日付。アタシの場合は……。藍佳はもう一度、自分の本のラベルを確認し……そして目の前が真っ暗になった。

「何よコレ……」

 自分でも戸惑うほど声が震えていた。それは藍佳が初めてこの部屋に来た日、つまり初めて聖矢と夜を共にした日だった。

 頭の中に鹿の頭の剥製が並んでいる姿が浮かびあがった。そのうちの一つが自分だ。

 彼女? 違う。都合のいい女? そんなもんじゃない……、トロフィーだ。こいつは女性を……というより女性同人作家を、野生の鹿くらいにしか考えていない。
 怒りと恥ずかしさに震える指を落ち着けながら服を着て、荷物をまとめる。そして問題の奥付とラベルをスマホで撮影する。その間、聖矢は物音に目を覚ます様子もなく、高いびきをかいて寝ていた。

 準備が整うと、最後に藍佳はハンドバッグからサインペンを取り出し、自分の本の最後のページに書きなぐった。

 [アタシたちの好きを馬鹿にすんなカス!!]

 パンプスにつま先をつっかけながら、スチール製のドアを開けて外に出る。ここに来ることはもう二度とない。藍佳の両目からはとめどなく涙が溢れていた。