「はぁ……」
「なーに林田さん、ため息なんかついちゃって~」
「カレシと喧嘩でもした~?」

 ランチタイム。つい気が沈み藍佳はため息をついた。やはり同僚たちはそれを見逃さない。

「あはは……カレではないんですけど、ちょっと人間関係で……」

 喧嘩したのは正しい。ただし相手は北斎だ。

『やいやい! 姉サンまたやりやがったな!?』

 今朝、寝不足で出来たクマをコンシーラーで隠している最中に、北斎が怒鳴りかけてきた。

『また、オレの絵に板海苔はっつけやがって!!』

 いつの間にかWebの使い方に慣れきった北斎だったが、作品のアップだけは藍佳がやる約束だった。それは、局部修正をやるためだ。
 陰部の黒塗りを北斎は頑として受け付けなかった。毎回、グロテスクなほどリアルに描き込んだイチモツをそのまま上げようとする。だから、藍佳が書き文字の打ち直しなどとともに、黒塗り処理を施している。北斎の意思を汲んで、ギリギリにはしているけど、それでも気に食わないようだ。

『仕方ないじゃん。この時代じゃご法度だって何度も言ってるでしょ。ああしなきゃ消されちゃう、最悪垢BANだよ?』
『へっ! お上が怖くて絵が描けるかってんだ。オレなんざ、しいぼるとっつう異人に頼まれて危ない橋渡ったもんよ』

 昔の話を持ち出す北斎にイラッとくる。ここ数日、ネーム作業が全く思うようにいかない焦りが、それを増幅させていた。

『もう! そんなコトしてたら、ホクサン仕事できないじゃん!?』

 思わず滑り出た言葉に北斎はキョトンとする。

『は、仕事? どういうことでぇ?』

 北斎に仕事してもらうという計画は、藍佳の頭の中だけのものだ。何も知らない北斎の顔。それを良いことにこの人を利用しようとしてた自分にハ
っとさせられる。

『もういい! 遅刻するから、ちょっと話しかけないで!!』
『なっ、おい!』

 何かを言いたげな北斎を突っぱね、藍佳は鏡に向き直った。そこから彼とは口を利いていない。

 いや、アタシは悪くないはずだ。北斎の時代に局部ぼかしの概念がないことはわかる。でも、現代の技法やテクノロジーを吸収しているのに、いけない事だけ受け付けないなんてフェアじゃない。それに一人暮らしのOLの家に、食客が転がり込んでるんだ。その食客に食い扶持を稼いでもらおうとして何が悪いんだ。
 ばつの悪さをかき消そうと、正当な怒りの理由を並べ立てる。それでも結局は、自分の作業がはかどらないから八つ当たりをしてしまったという事実は消えない。


「ねえねえミヤケさん。それで、どうなのよ例の彼氏は?」

 え?

 今日もまた、考え事をしているうちに話題が変わる。しかし、今日のは予想外の変わり方だった。