「おう兄サン、準備できたぜ! ちょっくら来てくれよ!!」

 外から北斎が声をかけてきた。

 北斎は、細長い白木の板を組み合わせて作った看板を地面に置いていた。その中央に「Cafe & Dining 浮」と店名が入っている。「浮」は浮世絵から取っているのだろうか。
 看板の上には無造作に8本のスプレー缶が置かれていた。

「その缶、どかさなくていいの?」
「へへっ、ちょいとした趣向があってな。まぁ見ときなって」

 北斎はチャポンと筆にインクを浸すと、それでササッと看板に絵を描いていく。流れるような筆さばきで、女性の姿が描かれる。浮世絵と萌えイラストの中間のようなタッチ。北斎がそこまで考えてるかはわからないけど、カフェの看板としては丁度いい塩梅だ。
 さらに北斎は筆を動かす。置かれたスプレー缶や店名を避けるように蛇行した線を描く。そこに鱗をや手足を描き足すと、線はみるみるうちに命を吹き込まれ龍が誕生した。

「すご……」

 思わず声が漏れる。店主は黙ったままカメラを回している。

「さーて、ここからが本番でぃ」

 北斎は筆を置き、ついにスプレーを手にする。けどそれは手元に持っていたものだ。看板の上に置かれている8本はそのままだった。にもかかわらず、北斎は迷わず看板に向かってスプレーを吹き付けた。

「え?」

 女性と龍に色がつく。そして、8本のスプレー缶にも……。どういうつもりだ?

「そらよっ」

 そこでようやく北斎は看板の上からスプレー缶を取り除いた。案の定、看板にはくっきりと丸い跡がついてる。そこに北斎は……

「とっとっと……ほらよ、いっちょ上がり!」

 跡の真ん中に筆で文字を書き込でいく。「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」すると……8箇所の空白は実体化し、8つの宝玉となった。

「なるほど、ステンシルの応用か。」

 見事な雲龍と女の図。これが葛飾北斎の即興の筆……。ネットでこの人のことを調べたら、寺の境内などで、今で言うライブペイントのような事をしてたとあった。こういう事が好きで、新しい画材や技法を見つけてはその使い方を考えてるんだろう。
 藍佳は改めて、同居人が伝説的巨匠であることを実感した。