「よっ、朝帰りたぁ姉サンもスミにおけねえなぁ」

 北斎はシシシ…と笑った。うず高く積み上げられた本の山の中で。

「ちょっホクサン!? 新しく本を取るときは読んだのを棚に戻してって言ってるじゃん!!」

 慌ててハンドバックを置いて、床に散乱している本を拾う。

「面倒くせえな、そのへんにうっちゃっときゃ良いじゃねえか。どうせまた読むんだしよ」

 同居一日目で気がついたが、ホクサンは片付けというものが全く出来ない。興味のある漫画や雑誌を取り出してひとしきり読んだら、その場にポイだから、またたく間に床が表紙で埋まる。

 ウィキペディアによると、北斎の長屋のゴミ屋敷っぷりは相当なものだったらしい。同居している娘、葛飾応為も父親と同じタイプで、ゴミの山の中で二人で平然と絵を描いていたそうだ。

 もっとも漫画を読ませていれば全く手がかからないので、帰宅後の掃除さえ我慢すれば安心して仕事に出かけられるのは良かった。……良かったのだけど、さすがに朝帰りはまずかったか。覚悟していた以上の惨状だ。

「言っとくけど、アタシは娘さんとは違うから! そこん所キッチリしてもらうよ!?」
「ちぇー、つまんねえ事でプリプリしやがる……どした? いい人に袖にされたのかい?」
「…………」

 なんつー言いぐさだ。わなわなと肩が震える。

「そんなことより姉サンさ、やっぱこの時代の絵草紙は面白ェなぁ。これこれ! この本にオレぁやられたね!」

 北斎は本の山から一冊を取り出す。こんだけ散らかしといて、何処に何を置いたかは正確に把握してるらしい。

「この女体のふっくらとした感じ、()ェした仕事だ。もちっとした肌触りが、見てるだけで手のひらに宿るようでよ」
「え?」

 彼が取り出したのは、藍佳も好きな作家の同人誌だった。北斎の言う通り、女の子の身体のラインがものすごく上手い。まさしく見てるだけで感触が手に再現される、そんな思いを藍佳も味わっていた。こんな女の子が描けるようになりたい。そんな思いから何枚も練習したのが、あのクロッキーの紙束だ。

 でもそれだけじゃない。この作家が本当にすごいのは……。

「けど、真髄はそこじゃあねえ。表情だ、表情の描き方がすげえ」
「!?」

 北斎は藍佳の考えていることを代弁するように言った。

「なるほどなぁ、枕絵は顔か。いい所に目をつけやがる」
「そうそう! 顔がイイの、この人の絵は!」
「おう、姉サンが見てんな!」

 そうだ!この人の真骨頂はセックスシーンでの女の子の表情。時に切なげに、時に淫乱に、時に儚げに……、行為中の一瞬の表情を切り取るのが凄まじく上手い。

「この時代の絵師は目ン玉をでっかく描くよな? 最初はオレもぎょっとしたが、慣れると悪かねえ。俺ら江戸の絵師どもも、マラはでっかく描くが目ン玉をでっかくしようなんざ思いもよらなかった」

 北斎は手にしていた同人誌を閉じると、今度は別の所から商業誌の単行本を取ってくる。

「が、こうしてみるとどうよ。眼でつけた表情が一層艶めかしい。柔らかい女体の表現や勝手きままな体位もすげぇけど、何よりそれらを引き立たせるのが、この顔ときた」
「あー、なるほど……」

 言われてみれば確かに。アタシも無表情の女の子をえっちとは感じないなと、藍佳はそう思った(そういうシュミの人も世の中にはいるだろうけど……)
 目を大きくキラキラに描くのは日本の漫画の特徴だ。何故そんな方向に進化していったのか。そのキーワードは「感情」かもしれない。