そんな思惑を抱えながらDVD鑑賞を始めた。液晶テレビの画面に小説で読んだ大学キャンパスの映像が現れ、主人公とヒロインの出会いの場面が始まる。原作のファンが、嫌でも期待に胸を膨らませるシーンだ。テンドウも判で押したように、ソファの端で画面にくぎ付けになっている。

そこへ水を差すように、大きな肩をとんとんと叩いてお弁当を食べるよう促した。川越の町が誇る老舗料亭の味で、映画の世界から現実に引き戻そうという魂胆だ。この西京焼き、脂が乗っていてうまいなぁ…こっちのカニ肉もやばいよ…二人でお昼ご飯を突きながら何となく映画を見ている、というシチュエーションに持っていって、気が付いたらエンドロールになっていた、的な結末にしたい。

地下鉄の駅でヒロインから主人公にキスする、日帰り旅行の終わりに二人で品川のホテルに入って一晩過ごす、私が最も恐れている場面を平穏無事にやり過ごそうと、ソファの端で身構えた。

 ところが、何としたことか、始まって十分と経たないうちに、テンドウはおろか私までDVDが映し出す映画の世界にどっぷりとはまってしまった。腕利きの料理人が丹精込めてつくった特製松花堂弁当をテーブルの上に放って、幼馴染の二人が互いに魅かれながら付き合っていく展開にすっかり引き込まれたのだ。

 しまった…予想以上に映画の出来がいい。

 原作ものの映画化というと、作り手の力量や思惑で「誰もが称賛する傑作」と「チケット代返せと言いたくなる駄作」に分かれることが多い。元がどんな素晴らしい物語であっても、余計な場面を足したり監督の新しい解釈なんかを加えると大抵、ロクでもない代物に変わってしまう。そうして落胆させられた作品を私は何本も観てきた。

だから、この映画も失敗の方に傾いてほしい、そうすれば画面に集中しなくてすむ、と思ったのだが…。

 私の意に反して、この映画の監督は素晴らしい腕の持ち主だった。ヒロインの素性が終盤まで分からない、という物語の仕掛けを忠実に守り、原作の魅力を最大限に活かした作りに徹していた。余計な場面や登場人物を一切加えず、映像作品ならではのカットを駆使して、原作を読みつくした私たちの気持ちを掴んで離さなかった。

 そうして、二人ソファから身を乗り出してテレビ画面に見入っている最中に例の場面がやってきた。地下鉄の駅でヒロインが主人公にキスし、日帰り旅行の帰りに品川のホテルで一晩過ごす。懸案の場面に差し掛かっても、ソファの両端に座った二人がもぞもぞと動いたり相手の様子を窺うことはなかった。恥ずかしいとか、変なことを想像するとか、ありがちな反応をする暇なんてないくらい私もテンドウも、登場人物たちの気持ちに寄り添い、共感していた。

 これは、いい意味で期待が外れた。原作を読んだ時、ヒロインの突飛な行動に付いていけない所があったけれど、そんな感覚をこの映画はきれいに払拭してしまった。同じ女の子としてこの子の行く末を見守りたい、幸せになってほしい、と素直に応援していた。