遠くへ行こうと何度伝えても、拓磨は頷かなかった。
たぶん、それがすべて。たぶん、それがあの夜の意味。
拓磨が本当にあの家が嫌で嫌でたまらなくて、幽閉紛いの生活を町ぐるみで黙認しているのだったら、わたしは今度こそその手を取って逃げ出しただろう。
けれどもこの町は、わたしが思っていた以上にやさしかった。
秘することがやさしさか、明かすことがやさしさか。
そのどちらもが、その時々に、拓磨を守っていた。
あの日、拓磨を掴まれたこと。
やさしいと、他でもない拓磨がいってくれたこと。
確かなことはいくつも、褪せないまま心のなかにある。
それでも、やっぱり。
「拓磨あ!」
「うぎっ!」
「うきっ?」
「誰が猿だ……」
もう、町中を探し回った。
だって、まず家にいないんだもの。
縦も横も広くてがっしりしていて、強面も強面のお父さんが出てきたときはあまりの迫力に全身が粟立った。
朝早くに出かけたときいて、民家を一軒一軒虱潰しに訪ねるのも埒が明かないと、拓磨の名前を呼びながら町内を一周し、いよいよ途方に暮れて川沿いを歩いていたら、こちらの気も知らずにすよすよと川べりで寝息を立てる奴を見つけた。
「だからって、もう少しやさしく起こしてくれてもいいだろ」
「約束を破った人の要望なんてききません」
「悪かったって」
「一度地に落とした信用の回復は根気強くってご存知?」
「うちの教育ではそもそも落とすんじゃねえ、だったから知らないな」
軽口を叩き合いながら、手遊びに笹舟を編んだ。
拓磨の分には帆をつけて、なるべく遠くまで行けるように。
「懐かしいなあ。昔はおれも作れたのに」
「忘れるものだよ。わたしももう花かんむりは作れない」
「あ、それは作れるかも」
「なんでよ」
両手を合わせた真ん中に笹舟を置き、そうっと水に浸す。
どうか、拓磨の船を見守って、どこまでも流れますように、と。
「海まで行きますように!」
「海まではちょっと厳し……って、はあ!? 帆は?」
わたしの笹舟を追いかけて拓磨の手から放たれた船には帆がついていない。
見ると、拓磨の手に帆だけがぽつんと残っている。