生まれ変わったのは少し離れた国の、といっても生活や文化ではそう大差ないほどの距離のとある王国で自分の身分は生まれながらの貴族籍であった。うすぼんやり開いた目からは太陽や反射するシャンデリアの光が見えて、水が残っているようなぼんやりした音で「旦那様!旦那様!」と駆け回る使用人の声が聞こえる。
産湯に浸かりながら深く呼吸をし、生きているのだと実感が沸くと泣かずにはいられなかった。ひんひんと赤子特有の泣き声を上げるとメイドや産婆たちがあらあらまあまあと機嫌を取るために動き始める。
「奥様、愛らしい女の子でございます」
「そう、さあ、母に顔を見せてごらんなさい」
ふうふうと息を整えている女性は若く美しくエメラルドの瞳を持っていた。陶器のような肌に濃い濡れ羽色の髪で、その髪も少しばかり乱れて汗で額に張り付いている。
この人が私の母なのだとまじまじと見つめると、やはり母親は違うのねというメイドたちの会話が聞こえた。ああ今世の母、命がけで私を産み落としてくださりありがとう、この母に巡り合わせてくれた神々を思い出し母親の言葉に耳を傾ける。
「目の色と、眉の形……くちびるもきっと私と同じね。髪の色と鼻はあの人にそっくりだわ」
「ええ、ええ、まことにお二人によく似ていらっしゃいますね」
自分の髪は濡れ羽色ではないのかと少しだけがっかりする。こんな綺麗な髪は見たことがなかったのでどうせならおそろいがよかったのだがこればかりは運である。代わりにこの透き通るようなエメラルドが自分の瞳なのだと思うとはやく鏡をのぞきたくて仕方がなかった。
「エミューリア!」
「まあ、あなた」
鼻息荒く部屋に駆け込んできたのもまた見たこともないほどの美男子であった。年若い夫婦なのに貴族ということは代替わりした当主なのだろうと一人考える。エミューリアと呼ばれた母の手をとり体はどうだ、水は飲めるかと声をかけるさまは正に仲睦まじい夫婦のそれであった。
父、そしておそらく主人である男はすらりとした体躯に、妻に負けず劣らず美しいビスクドールのような造形の顔と波のような輝く銀色の長髪をしており、それを彼女の目と同じグリーンの髪紐で結っていた。目はこちらもアクアマリンのように綺麗な色をしている。自身の前世の享年もまあまあ若かったが、この夫婦はそれよりも若いだろう。まだ二十くらいではないのか。
嫁いだ後、円満な夫婦となり早いうちに子供を産んでいるというのは十二分に貴族の義務を果たしており、使用人たちの様子を見るに嫌な貴族のそれではないらしい。とりあえず家族で苦労することはあまりなさそうだ。
「ああ、君と同じ目だ。そして私の髪だね」
「ええ、ほら鼻もあなたと同じよ」
「ううん、自分ではわからないな。君に似ているように見えるよ」
「あなたにも似ていますよ」
夫婦どちらも美形だがこの分ならきっと良いとこどりの顔だろうと父たる人物に手を伸ばす。
うれしそうに指を差し出し、私の娘だと心底嬉しそうにほほ笑んでくれた。
名前はどうしましょうね、と二人が話し始める。今世の私はなんという名で呼ばれるのだろう。アリスタでなければなんでもいいか。あの名前には思うところがありすぎる。呼ばれたらすぐ返事はしやすいかもしれないが呼ばれて嬉しい名ではなくなってしまった。
前世の母よ、親不孝な私をお許しください、とアリスタは内心祈った。
泣いたせいか、そして体力もないからかうとうとと睡魔に襲われる。寝てもいいだろうか。いいか。なんせ自分は生まれたばかり、赤ん坊は泣き、寝て、食べることが仕事なのだと意識をそっと手放した。
◇◇◇
「クロエ」
それが新しい自分の名前だと認識するまですこし時間がかかったものの新しい人生に切り替わったのだと思うとそれがたまらなく嬉しかった。
神々との謁見が夢だったのではないかと思うたび、大人の目を避けては頬をつねってみた。痛い。生きている。意識があるうちに乳を飲むことや下の世話をされるのはまあまあ応えたが人間である以上は仕方がない。新生児はいきなりフルコースなど食べられないのだから。
この家の家名はエンディアといい、爵位はなんと大公であった。つまりこの家は王族の分家なのだ。生まれが保証されるとは言ってたがまさかまたこんな裕福で王族に近いところに生まれるとは、とクロエは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
自身が女王だったころ、この国とは貿易関係にあったものの王に会ったのは四、五回ほどでしかなく正直あまりおぼえていない。円満で平和な貿易だっただけになんとも残念な気持ちでいっぱいである。この国は男が王として政治を行う国なので王妃はよくある高位貴族の令嬢から娶られることが普通なようである。
この時代は、自分はみじめにも斬首されたあの日からそう時間がたっていない。おそらくあの日から十年程度先の世界だ。ゆえに各国の風習にも大きな変化はなく、この国居おいて自分の将来はどういう男に嫁ぐかでほとんど決まっているようなものだと察する。ここで婚約者が決まってもそれがルネの魂でなければどこかで破談になるのだ。
キズモノ令嬢というのは両親のためにも避けたいが、出会えるとわかっているだけまだ幸運だった。今日、登城に付き合わされているのはおそらく王子や王太子に会わされるためだろう。
遠からぬ血縁関係とはいえ、決して近すぎないし婚約者にはうってつけだというのも頷けるというものだ。
「さあ、クロエ。もう城に着く。教えた通り、国王陛下にご挨拶できるようにね」
「はい、おとうさま。がんばります」
わかりきったこと、体が覚えていることを改めて学べるのは面白かった。復習のようなものもあったし、この国ならではの作法もある。まだ五歳なのに優秀だと喜ぶ使用人や先生たちの顔を見るのは素直に嬉しかった。なんせ前世は最初からできて当然、褒められたことなど覚えている限りでは無い。
父の目を盗み、衛兵にも頭を下げれば驚いたように居住まいを正される。
邸でならともかく、貴族は挨拶をしないのが普通なようなのだ。私が王女であったならそんなこと許さなかったろうがあいにくただの大公令嬢である。勝手にやる分にはまあ、いいだろう。
この国の特産である漆喰はその変幻自在な色が売りであったなと思いながら城壁を見上げる。見る角度によって白っぽかったり、青みががったり、黄色く見えたりするのだ。この城も例外ではなく、とはいえ最後に見たときと比べてそんなに劣化していない。
もっと太いパイプで貿易をすべきだったかと思い悩むけれど、あの国はもはや死んだのだ。やめよう、と頭を振った。
「エンディア大公」
「ロラン王子殿下、ごきげんよう」
「その娘は?」
「私の娘のクロエでございます、クロエ、こちらはわが国のロラン第二王子殿下だよ」
「おうこくのほこり、ロランおうじでんか。クロエ・エンディアでございます」
「クロエか、ふーん」
この国の王室には正妃の子である王子が一人と姫が二人、側妃の子である王子が二人いると聞いている。
ロランはたしか、側妃の第一子で歳は九つだったなと思いながら挨拶をすればまんざらでもなさそうにほほ笑んでいた。ただ、なんとなくわかるのだがこの少年はルネではないなとクロエは内心がっかりしていた。