「目が覚めたか、人の子よ」
「聖人たる女王よ」
「敬虔たる女王よ」
「こ、ここは……」
できればもう二度と断頭台など試したくはないなと思いながらアリスタは痛むような気がする首元をさすり顔を上げた。はっとして再度首に触れる。繋がっている。自分で見たわけではないけれど、意識が飛んだのだからおそらくあのあとすぐに自分は死んだのだ、断頭台によって、生まれてからずっと自分のものであった胴体と首が別れを告げて。
あたりは民衆が熱狂していたあの広場ではなく、大きく滑らかな石の地面と何もないどこまでも白い闇である。真四角の広場の中心に自分はいて、それを囲むように人ならざる姿のものたちが自分を囲んで見下ろしていた。
人ではないが、見知らぬ姿でもない。時に竜であったり鳥であったり花であったり水であったり、その姿こそさまざまあれど自国で語り継がれる神たちの姿である。神殿の壁画にも描かれたその姿を物心ついたときから朝昼晩と三回は目にしていた。
信じる者は救われる。ありきたりな教義かもしれないが、自分の生きた国ではこうして彼らを信仰したものだ。
「人の女王よ、まこと清き女王よ、この度のそなたの人生、大義であった」
「そうだ、あれだけの重圧をよく一人で生き抜いた」
「よく民草のために心を砕いてくれた」
「歓迎しよう、そなたは我々の領域へ足を踏み入れることが許された」
その場にいたすべての神が拍手をした。何が起きているのかさっぱりわからないがいつまでも座ってはいられないとアリスタは立ち上がる。深紅の竜に手を三角形に合わせ、向かって深く頭を下げると竜は喉を鳴らして笑い始めた。
「頭など下げずともよい、人の子……アリスタよ」
「我が国の神よ、最高神オルフェーシュチよ、お見苦しい姿をお見せいたしました」
宗教といっても絶対ではなく自由な信仰を推奨していたけれど生まれたときから王族だった彼女は普通の人間よりもはるかに信仰心の厚い敬虔な信徒であった。すべては神の思し召しだと、その神が与えたもう試練なのだと思い国の運営に努めてきたのだ。
彼女の教典は字などほとんど読めないほどであったし、ロザリオはとても古いものだったのに破損の一つもなく綺麗に彼女自身の手で手入れをされていた。思いだして悲しくなる。その二つは目の前で燃やされたのだったと。
「そなたの人生は大変清く、善い人生だった」
「お言葉ながら、なぜ、なぜ私はあのような最期と相成ったのでございましょう。私はなにが至らなかったのでしょう、私のせいで、私の騎士は、ルネは」
「おお、おお、そうだ、そうだ。まずその説明をせねばならない。面を上げよ」
女王たるもの、感情を見せてはいけない。
自身が人前で泣くことなど許さなかったはずだがどうにも今は無理そうだと唇を強く噛み締めた。瞬きなどしていないのにぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちていく。ああ、でも、そうか。私はもう女王でもなんでもないのだから、ルネを思って泣いても誰もなにも言わないのではないか。
女神マナナーンがそっと近づいてきて肩を抱いてくれた。
「アリスタ、そなたの行いが間違いであったことなど一つもない。そなたは人でありながら一度も失敗や間違いを犯してこなかったのだ」
確かに昔からやたらと「ツイている」と感じることが多くあった。怒られたこともなければ、失敗したこともない。それでも周囲はそうはいかない。幼馴染のルネは大器晩成型であったのでよく叱責されている場面に出くわしたものだ。自身は成功し続けていたにも関わらずアリスタは、今日は運が良かっただけ、明日は思わぬ失態があるかもしれないと思いながら生きていた。
結果としてその叩いた丈夫な石橋が彼女が聖人たる礎になったわけだが。
「間違ったのは民草のほうなのだ」
「彼らの人生のすべてが間違っていた」
「人間が狂わせた歯車を神が干渉し正すことはほとんどない」
「聖人の処刑とはつまり損失なのだ」
「そなたの国の民が間違い、犯し、これから先不幸になるためにそなたは死んだのだ」
つまり天罰などという自分を咎めた死ではないのだ。自分の行いは間違っていなかったのだと聞かされてほっと胸を撫でおろす。良かった。良かれと思って舵をとってきたがそれらはきちんと認められる行いだったのだ。
転じて他人の不幸のために自分は死んだのかと思うとどうにも解せない気持ちになる。自分が生き、ルネが生き、民草が死ぬのではないのかと喉に言葉がつかえたがそこは神のご意思だと言い聞かせる。人知の及ばぬ考え方や、世界の在り方というものがあるのだろう。神の理に自分が首を突っ込むべきではない。
ではルネは?
彼はどうして死んだのだろう。
「かの騎士は、そなたに近しい善人であったため死んだ」
「騎士の死もまた損失である」
「あの国にあれより優秀なものはこの先二度と生まれない」
「聖人にはなれなかったがかの騎士もまた善人であった」
ああ、良かった。彼の死もまた無駄ではなかったのだ。
自分のせいで巻き込まれたのだと思うと心が痛いが、それでも生き残ってその後の人生を不幸のどん底で生きるくらいなら死んでしまったほうが幸福なのかもしれないと思う。今までと、死の間際で彼が何を思っていたかは知るところではないけれど。
「アリスタ、我々から提案が二つある」
「は、ご随意に」
「ひとつ、このままここに留まり新たな神となる」
「神は絶対ではない、世界が変わっていく度に死に、再度生まれる存在だ」
「そなたにはリアンノンの名を授けよう」
まさか死んでから神になるとはだれが思うだろう。神というのは生まれたときから神なのだと思っていたがどうやら違うらしい。人間として生きていたころには知りえない話に興味深く耳を傾けてしまった。流転が万物の基本である以上、それは万物を作り上げた神とて同じであるということらしい。
隣にいるこのマナナーンは何代目のマナナーンなのだろう。
「ふたつ、新たな人生をまた人として歩む。そしてルネとまた出会う」
「で、出会う?そんなことが、できるのですか」
「できるとも。ただ、そなたはもうあの国の王族には生まれないし彼もまたあの国には生まれない。そなたは記憶を持ったまま生まれることができるがかの騎士はただ転生をするのだ。騎士であったこともそなたのことも覚えていない。ただし、そなたは必ずかの騎士と結ばれる運命を辿るであろう」
良い出会い方とも限らず、愛されるとも限らない。ルネの魂を持ったルネではない人物に必ず出会う人生。自分の人生は保証されるようだけど向こうがどういう人生を歩むのかは干渉できず、まったくの賭けになるのだという。
それでも必ず、必ず出会う。どんな形であれ、どんな思いであれ、必ず形の上では結ばれる。そういう人生を送るのだ。ためらうことなどあるだろうか。もう一度だけ、ルネに会えるのであれば。
「結局、もう一度人生をして死んだとしても女王としてのそなたにほころびがなかったのでまたこうして出会うことになる」
「飽きるまで人間をやり直しても、最後にはそなたは神になるだろう」
「だからすぐ神になるか、何度か人として生きてから神になるかというだけの話なのだが……斬首など、痛く辛かったであろう」
信じる者は、救われるのだ。
そして自分はいま、救われている。
「神よ、我が神々よ、どうかわたしを、もう一度、私の騎士に巡り合わせてくださいませ」
「そうか。では今度こそ、そなたが幸せになるように我らからの加護を与えよう」
「そなたの世界が豊かであるように」
「そなたの世界が彩られるように」
「そなたの世界が愛であふれているように」
「素晴らしい日々を生きるのだぞ、また会おうアリスタ」
神よ。今日以上にあなたがたに感謝する日はないでしょう。
私はきっと、ルネにまた出会い、幸福になってみせるのです。