三年後、テオは体調不良で入院することとなったが梅毒による麻痺性痴呆と診断され、精神病院に移ることになった。それから、一ヶ月後にオランダのユトレヒト近郊にある診療所へ移り、療養を続けていたが、身体が弱く体力のないテオは、三ヶ月が経過した頃に亡くなり、三十五年という命を終えた。テオは埋葬されて、ユトレヒトの市営墓地に眠ることとなった。
テオが死んだ今、亡霊の画家としてテオを支える意味はなくなったが、僕といえば絵を描くことをやめられないので、亡霊の画家として稼いだお金でキャンパスや絵具を買っては絵を描く日々だ。
アーサーとはいまも繋がりがあり、度々手紙が家に届く。眼の研究を頑張っていたものの、眼科医資格は取得できなかったそうだ。無資格ではあったが、研究してきた分の知識はあったので眼科診療所を開業したものの、患者はほとんど来ず、小説家一本で活動することになり、引っ越しをしてイギリス=ロンドン=サウス=ノーウッドに住んでいるらしい。小説を書くようになったのは、医者として活動していても患者がほとんど来なかったため、副業として執筆するようになったからだという。
結果、シャーロック・ホームズシリーズが大ヒットしたわけだが、複雑な心境だったそうだ。彼は、ミステリー作家としてではなく歴史小説家として有名になりたかったようなのだ。提案として、僕たちの歴史を書いてみてはどうだろうかと半分冗談で伝えてみれば、"前向きに検討してみよう"と返ってきたので、思わず目を丸くした。彼はよっぽど歴史小説家になりたいようだ。
ハンスとも文通をしていたのだが、とっくに彼からの手紙は届かなくなってしまった。彼から届いた最後の手紙には、こんなことが書かれていた。
"セントに出会えて本当によかった。これから先ずっとわたしが貴方のファンであることに変わりない。わたしはやりたいことができたので、セントとの楽しい文通はこれで最後になるだろう。すまない。良い思い出を有難う"
一体、なにをするのだろうかと、とても気にはなったし、寂しくもあるが、彼のやりたいことを精一杯応援しようと思う。
僕は今、フランス共和国ヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズにあるオーベルジュ・ラブーの三階をまた間借りしていた。
最近までは、テオの墓地を離れられずにいたが、時間をかけてようやく立ち直りつつあったので、またフランスへと戻ってきたのだ。ここへ来たのは、オーベルジュ・ラブー近くで描いていた『木の根と幹』を完成させるためだ。もちろん、死ぬつもりで描いているのではない。中途半端な作品を放ってはおけないのだ。
テオが死んだ今、亡霊の画家としてテオを支える意味はなくなったが、僕といえば絵を描くことをやめられないので、亡霊の画家として稼いだお金でキャンパスや絵具を買っては絵を描く日々だ。
アーサーとはいまも繋がりがあり、度々手紙が家に届く。眼の研究を頑張っていたものの、眼科医資格は取得できなかったそうだ。無資格ではあったが、研究してきた分の知識はあったので眼科診療所を開業したものの、患者はほとんど来ず、小説家一本で活動することになり、引っ越しをしてイギリス=ロンドン=サウス=ノーウッドに住んでいるらしい。小説を書くようになったのは、医者として活動していても患者がほとんど来なかったため、副業として執筆するようになったからだという。
結果、シャーロック・ホームズシリーズが大ヒットしたわけだが、複雑な心境だったそうだ。彼は、ミステリー作家としてではなく歴史小説家として有名になりたかったようなのだ。提案として、僕たちの歴史を書いてみてはどうだろうかと半分冗談で伝えてみれば、"前向きに検討してみよう"と返ってきたので、思わず目を丸くした。彼はよっぽど歴史小説家になりたいようだ。
ハンスとも文通をしていたのだが、とっくに彼からの手紙は届かなくなってしまった。彼から届いた最後の手紙には、こんなことが書かれていた。
"セントに出会えて本当によかった。これから先ずっとわたしが貴方のファンであることに変わりない。わたしはやりたいことができたので、セントとの楽しい文通はこれで最後になるだろう。すまない。良い思い出を有難う"
一体、なにをするのだろうかと、とても気にはなったし、寂しくもあるが、彼のやりたいことを精一杯応援しようと思う。
僕は今、フランス共和国ヴァル=ドワーズ県オーヴェル=シュル=オワーズにあるオーベルジュ・ラブーの三階をまた間借りしていた。
最近までは、テオの墓地を離れられずにいたが、時間をかけてようやく立ち直りつつあったので、またフランスへと戻ってきたのだ。ここへ来たのは、オーベルジュ・ラブー近くで描いていた『木の根と幹』を完成させるためだ。もちろん、死ぬつもりで描いているのではない。中途半端な作品を放ってはおけないのだ。