その日の夜、いつもだったら真っ先にベッドに入って寝ている時間。
仕事が長引いているのか、中々寝室に来ない夫をそわそわしながらシェリルは待った。

夕食のとき、ダニエルは至って普通だった。
先ほどまで家令と離縁がどうとか言っていたとは思えないくらい、普通にシェリルをエスコートして、そのこめかみにキスを落として、愛おしげに微笑みながら「いつもに増してぼんやりしてますが、どうせ貴女のことです、昼寝が長かったんですね」なんて面白くも無い嫌味を言う。
「ええ、そうかもしれない」なんて適当に相槌を打った時は、張り合いの無さに少し驚いた表情をしていたが。

……今更、彼に何を言えばいいのだろう。
素直になる、と言ったって、いきなり服を脱ぎ始めるなんてことは恥ずかしくてできようはずもない。
けれど言葉で彼に何を伝えればいいのだろう。
もう準備はできたから、どうぞ触れて下さい、とでも言うのが無難だろうか。
どうしよう、それすら、恥ずかしくて言ってる自分が想像できない。

どうすれば、と一人赤面しながら考えていると、ガチャっと音がして、唐突に扉が開いた。

「おや、珍しいですね。まだ寝てなかったんですか」

「う、あ……ええと」

だめだ、まだ、心の準備が出来てない。
いつもの高飛車自信満々な自分がどこかへ行ってしまったみたいに、シェリルはしなしなと心がおれていくのがわかった。
……別に、今日じゃ無くても良いのかもしれない。3日以内、ううん、1週間以内。いや1ヶ月以内に言えれば。そうそう簡単に離縁の話になどならないだろうし。

「なんだか今日の貴女は変ですね。どうしました、具合でも悪いですか」

ベッドの隣に腰を下ろして、そっと掌をシェリルの額にくっつける。
冷たくて気持ちいい手だった。

「……熱は無いようですが」

そう言って安堵したようにひとつ頷いて、そういえば、と彼は続ける。

「チェリーパイ、一切れ持ってきて下さったんでしょう。メイドが言っていました。ありがとうございます」

「あっ、あれは、お義母様が提案して下さったのよ。私は何も……、というか、元々貴方が買って来てくれたのだわ。何時間も並んだのではなくて?」

素直になろうと決めたはいいが、話はどんどん横道に逸れていく。
それ幸いと、シェリルは自分で気付きながらも全然話を違う方向に持っていこうとしていた。
素直になる勇気がまだ出ない自分を呪いながら、逃げ出したい気持ちにだけ素直になっていく。