見えた。頼りないほどの高い音と共に、天に昇った光の線はあと少し、星に届かぬところで爆ぜた。黒々とした空に、耀(ひかり)の大輪が開いた。今の私には眩し過ぎるその耀は、華やかで、大きくて、あっという間に消えてしまった。
 あの日から変わらない鮮やかな花火。私はそれを見詰めていた。何も出来ずに。

「花火大会?」
 聞き返した私に、拓哉(たくや)海斗(かいと)が得意気に頷き返した。
「そうそう。折角近くでやってるのに、行かない手はないだろ?」
 近所の花火大会は、私にとって夏の風物詩だった。
「良いじゃない。行きましょうよ」
 奈緒(なお)も賛成し、私達四人は花火大会に行く事になった。
 私達は中学、高校と仲良くしてきた。来年からは、皆ここを出て、其々の道に進もうとしている。この夏が、最後の四人で過ごせる夏だった。
 その日の太陽は、駆ける様に沈み、あっという間に夜が来た。集合場所に少し早く着いてしまった私は、盛りを過ぎた夏の気配を感じながら、蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いていた。
「お待たせ」
 そう言って、皆やって来た。一人加わる度に、場の空気は夏を取り戻すかのようだった。
「よし、じゃあ全員揃ったし行くか」

 ここで、拓哉がそう言ったのだ。最後に来た奈緒は、浴衣を着ていた。私は、私も着てくれば良かったと少し後悔した。そうして、この道を真っ直ぐに、河原の方まで歩いたのだ。そういえば、途中で海斗が転んでいた気もする。
 十年も前の記憶の殆んどは既に薄れつつある。でも、あの夜だけは、今も鮮明に思い出す事が出来るのだ。

 海斗はTシャツに着いた泥を払っている。まだ、花火が上がるには少し時間がある。町の灯りも、毎年この日ばかりは遠慮する様で、何時もより薄暗い町に、少し違和感を覚えるのも、毎年恒例だった。
「あと五分ってとこかな」
 拓哉が腕時計を覗き込んで、呑気に呟いた。奈緒は、冷たい石のベンチに静かに腰掛けて、川面を見詰めている。
「お前らさぁ、この先どうする、とか決めた?」
 不意に海斗が発した言葉は、辺りを深い静寂に落とし込んだ。
「……この先って?」
 私の声は、少し震えていたように思う。
 〝先の事〟、それは現実と向き合う事だった。あと、数年もすれば、自分の人生を自分一人で生きていかねばならなくなる。そんな事は当たり前だと、頭で分かっていても、実感など湧くはずもない。出来れば、ずっとこうしていたかった。
「高校卒業したら、どうするのかって事。俺らも、もう高三だもんなぁ」
「私は、実感湧かないな。どうしたいって言われても」
 奈緒が、川面から視線を外さずに言った。
「そうだよな」
 この話はこれで終わった。しかし、私達の心にゆっくりと変化を及ぼしていったのだ。突如として夢から醒めてしまった様な。

 あの時、海斗が〝先の事〟を訊ねなければ、どうなっていただろう。私達は、ただ純粋に花火大会を楽しみ、青春の一(ページ)として、ありふれた思い出になっていたのだろうか。
 過去に対しての疑問が、晴れることはない。
 あの日の奈緒の様に、苔の生えたベンチに腰掛けて、川面を見詰めながら思い出した。花火を、三人の横顔を、終わりゆく夏の匂いを。

威勢の良い、高い音が響いて夜空に光の花が咲いた。鮮やかな白い光は、私達を包み込み、消えた。消えたと思ったら、次の光がまた、包み込む。言葉は、そこに必要なかった。
 何故だろう、胸が苦しいような、満たされた様な。自分でも分からない想いは涙となって溢れ出た。どうして、泣いているのだろう。慌てて手の甲で目許を拭った。
 美しく、切ない時間だった。
 帰り道に、奈緒が言った。
「さっきさ、私、実感湧かないって言ったじゃない?それは、一緒なんだけど、一個〝先の事〟でやりたい事ができた」
「何?」
「十年後、またここで花火、見ない?」
 私達は思わず笑ってしまった。もっと、凄いことを言うのかと思っていたのに、予想よりずっと簡単な事だった。
「そんなのお安い御用だ。よし、じゃあ約束な、十年後のこの日に、また四人で花火見ようぜ」

誰からともなく、重ねた掌の熱は、私の血の中にゆっくりと溶け込んでいった。私が、この十年、原動力としてきたものは、あの熱だった。約束は、確かに現在と過去を繋いでいた。
 今日は、あの日から数えて十年後だった。皆、其々の事情で来られなかった。私は、一人で来た。すっかり冷えた熱は、静かな余韻を残している。
 また一輪、夜空に華が咲いた。