清正井に戻ると昼過ぎのもっとも暑い時間だったが、やはり数名が並んでいた。しばらくして真名たちの順番になると、警備員が「またか」と言わんばかりの顔をしていた。覚えているようだ。

(先ほどはどうもありがとうございました)
 と真名が心の中で声をかけると、清正井を護っている武士の霊が笑った。

『おう。おぬしらか。また来たのか』

(この井戸をお護りくださり、ありがとうございます。せめてものお礼です)
 と真名が熊本県のアンテナショップで買ってきた食べ物を袋から出す。
 警備員が真名を止めようとするが、泰明が睨んで動けなくさせていた。この食べ物を清正井に放り込もうというのではない。ただ、お供えとしたいだけだった。持ってきた食べ物を見て武士が目を丸くし、次いで涙を堪えるような表情になる。

『何と――。黒米ではないか』

 真名が手にしていたのは、ほんの一合程度だが熊本県で収穫された黒米だった。

(加藤清正さまが遺した『掟書』には『食は黒米たるべし』とあったとか。清正さまを偲びつつ、あなたさまにも元気になっていただこうと供養の品として、持ってきました)

 真名がスマホで調べていたのは、加藤清正の好物だった。
「よく見つけたのう。スマホというのは便利じゃな」とスクナが感心していた。

『おうおう。うれしいことよ』と武士の目尻に涙が浮かんでいる。
『おぬしらの感謝の心、確かに受け取った。もう少しこの場所を護るためにがんばってみようか。――おぬしらの幸福をわしも陰ながら祈っているぞ』

 黒米をそのまま撒くわけにはいかない。一端、清正井の前を去り、少し離れたところで袋に入ったまま縁石の上に置き、手を合わせて感謝の念いを手向けた。背後で泰明が口の中で何かを唱える。

「――急急如律令」

 泰明の呪に黒米がほんのり光った。その光がボールのように飛び出し、先ほどの武士の霊の胸に吸い込まれる。武士の霊が明らかに元気そうになり、真名たちに手を振った。

 清正井の水が一瞬、ぼこりと音を立てて勢いよく吹き出す。ちょうど清正井の写真を撮っていた女性ふたりが歓声を上げていた。