あ、と口が開きかけてすぐにふさいだ。階段ですれ違ってしまえば、目はそっちに流れそう。でも、ぐっと堪えなくちゃいけない。
「見るな」と言われれば、「話しかけるな」と言われればそうするしかないし二つも上の先輩には逆らえない。でないと、儚げな彼女がふっと目の前から消えてしまいそうだったから。
移動教室に向かう途中で見た初夏さんは伏し目がちで、いつだって無表情で、ツンと冷たい。それこそ冬のような人。初夏という名前のくせに冷たい。
でも、その冷ややかさが俺の熱を冷ましてくれるし、何より心地よく感じてしまう……
放課後だ。このくすぐったくもどかしい欲は放課後までおあずけだ。
そう言い聞かせて、彼女の後ろ姿さえ見送ることは出来なかった。
***
「――こんちはー」
部室のドアを開ければ、すでに彼女はいる。さらりとした黒髪が夕日に当たり、光っていた。その髪の毛を触ってみたくなる。
「あぁ、こんにちは。秋雪」
素っ気なく挨拶する初夏さんは、パソコンの画面に目を向けたまま。マウスをクリックし、画像の加工をしている。
もうすぐ六月。文化祭が迫っているので、我が写真部も展示品を製作中だった。
「新里先輩、何か手伝うことありますか」
初夏さんが「新里先輩と呼べ」って言うから、下の名前では呼べない。
「えーっと、そうだ。フレームが届いたから、出来上がった写真を入れて」
ツンとした堅い口調はもう慣れた。甘ったるいタレ目のくせに、言葉と態度がどうにもミスマッチで逆にかわいらしく思える。いや、俺が初夏さんに惚れてるからそう見えてしまうのかも。
「分かりましたー」
後ろ姿を見ながら、俺は自分の領土である机に座った。そして、大量の写真フレームに、初夏さんが番号を振った写真をはめ込んでいく。
写真部は他にも部員がいる、はずだ。でも、俺が入部した時は初夏さんだけしか部室に来なくて、彼女だけが唯一の部員なのだと数週間はそう思い込んでいた。
俺のことを「秋雪」と呼んでくれるようになってから彼女は少しずつ、嫌そうにも話をしてくれるようになった。と言うのも、この誰もいない部室を独占したい初夏さんは、最初こそ俺の存在を疎ましかったんだとか。
「秋雪」
部室の半分向こうが初夏さんのテリトリー。俺の場所はその反対側のみ。部室を半分こするというルールが下ったのは、俺が入部した四月も半ばの頃だった。
「お前、三時間目の前、私を見たよな」
初夏さんは抑揚のない冷たい声で訊いてきた。
「え、あぁ……はい、見ました」
「わざわざあの階段を使わないといけなかったの?」
「……別に使わなくても良かったけど……友達があそこを選んだからって言うか」
「ふーん」
いいや。本当はあの階段を使えば初夏さんに会えるかもしれないと思ったから。
でもこれを言えば、初夏さんは俺のことを追い出してしまいそうだから言えない。まぁ、友人が先を歩いてあの階段を選んだからというのは嘘ではないけれど。
初夏さんは、俺が撮った青い水色の写真を拡大したり、画質を上げたりと慣れた手付きで整えていく。旧型のマッキントッシュはどうやら写真部創設時からあるらしく、一台しかないから初夏さんだけしか使えない。
俺にも教えてくれたらいいのに、と思うけれどこれはもう少しあとになってからでもいいや。多分、今の彼女なら「なんで?」と言って教えてくれないだろうし。
俺の計画では夏までには初夏さんと仲良くなっている。そうなれば、夏休みが終わった後くらいから校舎ですれ違っても挨拶を交わせるはずだ。
「……まぁ、分かっているとは思うけど」
しばらくの沈黙後、彼女の背中が静かに話す。
「部活以外で私に話しかけたら、お前、退部だからな」
「はいはい、分かってますって」
こうも頑ななのは、日常生活で俺と一緒にいるのが恥ずかしいからだろう。嫌われているんなら、最初から入部させないだろうし……そうだと思いたい。
手を止めてじっと初夏さんを見る。セーラーの襟にかかる柔らかそうな髪の毛を見ていると、無意識に喉がかわいた。それでもかわいたままが心地よく思える。
どうしてこんな素っ気ない彼女を好きになってしまったんだろう。今はまだ我慢できるけど、このままでいたら俺はどうなってしまうんだろう。
そんな思いを抑えていると、初夏さんはもう俺の声を聞く気はないらしく、小さな耳にイヤホンを差し込んだ。
「見るな」と言われれば、「話しかけるな」と言われればそうするしかないし二つも上の先輩には逆らえない。でないと、儚げな彼女がふっと目の前から消えてしまいそうだったから。
移動教室に向かう途中で見た初夏さんは伏し目がちで、いつだって無表情で、ツンと冷たい。それこそ冬のような人。初夏という名前のくせに冷たい。
でも、その冷ややかさが俺の熱を冷ましてくれるし、何より心地よく感じてしまう……
放課後だ。このくすぐったくもどかしい欲は放課後までおあずけだ。
そう言い聞かせて、彼女の後ろ姿さえ見送ることは出来なかった。
***
「――こんちはー」
部室のドアを開ければ、すでに彼女はいる。さらりとした黒髪が夕日に当たり、光っていた。その髪の毛を触ってみたくなる。
「あぁ、こんにちは。秋雪」
素っ気なく挨拶する初夏さんは、パソコンの画面に目を向けたまま。マウスをクリックし、画像の加工をしている。
もうすぐ六月。文化祭が迫っているので、我が写真部も展示品を製作中だった。
「新里先輩、何か手伝うことありますか」
初夏さんが「新里先輩と呼べ」って言うから、下の名前では呼べない。
「えーっと、そうだ。フレームが届いたから、出来上がった写真を入れて」
ツンとした堅い口調はもう慣れた。甘ったるいタレ目のくせに、言葉と態度がどうにもミスマッチで逆にかわいらしく思える。いや、俺が初夏さんに惚れてるからそう見えてしまうのかも。
「分かりましたー」
後ろ姿を見ながら、俺は自分の領土である机に座った。そして、大量の写真フレームに、初夏さんが番号を振った写真をはめ込んでいく。
写真部は他にも部員がいる、はずだ。でも、俺が入部した時は初夏さんだけしか部室に来なくて、彼女だけが唯一の部員なのだと数週間はそう思い込んでいた。
俺のことを「秋雪」と呼んでくれるようになってから彼女は少しずつ、嫌そうにも話をしてくれるようになった。と言うのも、この誰もいない部室を独占したい初夏さんは、最初こそ俺の存在を疎ましかったんだとか。
「秋雪」
部室の半分向こうが初夏さんのテリトリー。俺の場所はその反対側のみ。部室を半分こするというルールが下ったのは、俺が入部した四月も半ばの頃だった。
「お前、三時間目の前、私を見たよな」
初夏さんは抑揚のない冷たい声で訊いてきた。
「え、あぁ……はい、見ました」
「わざわざあの階段を使わないといけなかったの?」
「……別に使わなくても良かったけど……友達があそこを選んだからって言うか」
「ふーん」
いいや。本当はあの階段を使えば初夏さんに会えるかもしれないと思ったから。
でもこれを言えば、初夏さんは俺のことを追い出してしまいそうだから言えない。まぁ、友人が先を歩いてあの階段を選んだからというのは嘘ではないけれど。
初夏さんは、俺が撮った青い水色の写真を拡大したり、画質を上げたりと慣れた手付きで整えていく。旧型のマッキントッシュはどうやら写真部創設時からあるらしく、一台しかないから初夏さんだけしか使えない。
俺にも教えてくれたらいいのに、と思うけれどこれはもう少しあとになってからでもいいや。多分、今の彼女なら「なんで?」と言って教えてくれないだろうし。
俺の計画では夏までには初夏さんと仲良くなっている。そうなれば、夏休みが終わった後くらいから校舎ですれ違っても挨拶を交わせるはずだ。
「……まぁ、分かっているとは思うけど」
しばらくの沈黙後、彼女の背中が静かに話す。
「部活以外で私に話しかけたら、お前、退部だからな」
「はいはい、分かってますって」
こうも頑ななのは、日常生活で俺と一緒にいるのが恥ずかしいからだろう。嫌われているんなら、最初から入部させないだろうし……そうだと思いたい。
手を止めてじっと初夏さんを見る。セーラーの襟にかかる柔らかそうな髪の毛を見ていると、無意識に喉がかわいた。それでもかわいたままが心地よく思える。
どうしてこんな素っ気ない彼女を好きになってしまったんだろう。今はまだ我慢できるけど、このままでいたら俺はどうなってしまうんだろう。
そんな思いを抑えていると、初夏さんはもう俺の声を聞く気はないらしく、小さな耳にイヤホンを差し込んだ。