寒風吹きすさぶ繁華街。
俺の眼前に立ちはだかっているのは、フロックコートを着た豹頭の男だった。
「グルゥゥ……下界のニンゲンがこの町にくるとはな」
喉を鳴らすこの巨躯ならば、俺のつむじまで悠々と見下ろせているに違いない。
黄金の獣毛の間に輝く瞳に全身を嘗め回されると、生きた心地がしない。
だが俺は勇敢な男だ、臆せずして豹頭の男にマイクを向けた。
「あ、あの……俺のこと知っています? 人気者ですけど? 動画配信者ですけど……?」
豹頭の男は無遠慮に顔を近づけてきた。
「ほう、動画配信者か……面白い……」
鼻先をクンクンと鳴らす。 肉とその下を流れる血の匂いを嗅いでいるのだ。
口端から覗く牙に突かれたら、容易く筋肉を貫かれ、骨まで砕かれそうだった。
緊張に耐えきれず、俺は言葉を続けた。
「“イマドキの若い連中”のリーダーでダンっていうんですけど、知りませんか? ファン数100万人の人気グループですよ? 知りませんか?」
恐怖と涙を溢れさせつつ尋ねたが返事は来ない。
獣の圧力に耐えられなくなってきた俺は切り札を繰り出した。
「実にけしからん! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
敬礼に似たポーズを作り、シルバーグレーに染めた髪の上でビシリと止める!
いつも動画の冒頭挨拶で使っているポーズである。
俺は人気者だから、何かしらの反応が返ってきて然るべきだった。 だが、豹頭の男の返事は非情だった。
「知らん」
周りで野次馬していた獣人たちまでが口々に無慈悲な答えを返してくる。
「知らんなぁ……」
「知らんね」
「知らん」
「知らねえなあ」
獣人たちの言葉は、絶望の闇へと誘う呪詛にも等しかった。
ここは俺の世界と似てはいるが異世界なのだ。
人気者だった俺を知るものはいない。
周囲から舌なめずりの音が聞こえる。
獣人の町において人間は餌なのだ。 圧倒的弱者であり、捕食対象なのだ。
どこにも逃げ場はない。
「詰んだ……」
両ひざが力を失い、アスファルトに引かれた白線上に崩れ落ちた。
「詰んだ~~~~っ!」
胸を染める絶望は、叫びとなって灰色の空を振るわせた。
「ダンくんお立ちになってください! インタビュー中に座ってはなりませんわ!」
灰色の空を眺めている俺に向かって、朝日色に波打つロングヘアの少女が叱咤を浴びせてきた。
メディ・ゴルゴーン。 俺の動画プロデューサーを名乗るジャリガキである。
幼いわりに上品な顔立ちをしているお嬢様だが、実際のところこの異世界に俺を勝手に召喚してコキ使っている許しがたき誘拐犯だ。
「お立ちになって! 周りにいる獣人さんばかりが映りこんでしまいますわ!」
メディの構える撮影用カメラの前には、獣人たちが群がっている。
カバ顔の獣人とネコ顔の獣人がマヌケな会話をしている。
「あの人たち、テレビ局の人かば~?」
「見たことがないタレントさんだにゃ~?」
豹頭の男に至っては、カメラに向かって ピースサインを連打している。
「いぇーい! 母ちゃん見てるぅ? ピスピスピスピス!」
散々にビビらせてくれたが、完全なる田舎者ムーヴだ。
ようやく恐怖から己を取り戻せた。
こいつらはTVカメラを珍しがるような田舎者なのだ。 委縮などすべき相手ではない!
「散れ! 散れ! カッペども邪魔だ!」
「もう終わりかば~? いつTVで放送されるかば~?」
「TVじゃねえ! 動画だ! 人気配信者たる俺様のためのカメラだぞ! 見るな! 映るな! 近寄るな!」
シッシッと掌を振ると、獣人どもはつまらなさそうにカメラの前から去っていった。
「ダンくん、失礼ですわ! これからわたくしたちのチャンネルのファンになってくれるかもしれない方たちに!」
「 都会派配信者たる俺様にカッペのファンはいらん!」
「ダンくんは性格が悪すぎますわ!」
「それが俺のいいところだ!」
胸を張ってはっきり言ってやった。
元の世界でもこのキャラで登録者100万人を集めた。
そんな人気者をこのメディが勝手に召喚し、誰も俺のことを知らない世界に勝手に連れてきた。
多くのファンが俺の動画を待っている元の世界へとっとと帰らねばならん!
俺が召喚されたこの世界は、パラレルワールドの日本である。
文明レベルは俺の知る日本と大差がない。
インターネットは生活の中に溶け込んでいるし、YouTubeもニコニコ動画も存在する。
決定的な違いは、俺たちの世界において伝説に過ぎなかった獣人やエルフ、果ては神々までもが実在することである。
俺のいた世界とどんな関係なのかは不明である。 メディに聞いても「今は教えられませんわ」と突っぱねられった。
いろいろ試したが分からなかったので、とりあえず考えないことにした。
ここは獣人の町。
オオカミ男などの半人半獣に変身できる人たちが集って住む町である。
俺の知る日本地図に当てはめると福岡県付近に該当する。
今、立っている場所は飲み屋や賭博店などが立ち並ぶ、いわゆる繁華街だ。
風俗関係らしき店が、昼間から悪趣味な電飾をギラつかせている。
電柱の陰ではハンチング帽をかぶったキリン男が、長い首をキョロキョロとさせている。
チケットの束を手に持っているところを見ると、たぶんダフ屋なのだろう。
通行人も肩で風を切って歩いているような荒くれものが多い。
「実に下品だ! 育ちの良い俺様にふさわしくない! 撮影は中止だ! 撤収する!」
「プロデューサーとして撮影中止は許可できません! せっかく魅力的な企画なのですから完成させましょう“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”を!」
メディは俺たちのデビュー作となる予定の動画タイトルをそのまま言葉にした。
“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”
変身前の獣人にインタビューをして、外見や性格からどんな動物に変身するかを予想するという動画である。
「獣人はその魂の姿の獣になる……この町に伝わる伝説ですわね」
魂の姿の獣になるというのは勇敢でカリスマ性のある奴はライオンの獣人に、おおらかでのんびりした奴は象の獣人に変身するということである。
俺がこの世界ならではのものとして考えた企画である。
「だがこの町にきて分かった! 実現不可能だ!」
獣人たちは最初から一人残らず獣に変身しているのである。
最初から変身されていては、企画が成り立たない。
「ちゃんと探してくださいまし、変身していない獣人さんがきっといますわ」
「お前が探せ! 俺はごめんだ!」
「自分が嫌なことをレディに押し付けるだなんて、殿方として恥ずかしくてよ?」
「お? 何だ、ビビッてんのか? お神様だろ? 獣人ごとき雑魚にビビるなよ」
「……今は神の座にありませんわ」
「そうだったなあ! スキャンダルで蹴落とされてから、何千年も無職なんだってなぁ!」
「くっ……必ず取り戻して見せますわ! 本来いるべき神の座を!」
悔しそうににらみ返してきた。 気の強いメスガキだ。
もう少し煽ってやりたいところだが、あまり怒らせると我が身が危うくなる。
メディに神様になってもらわないと、俺は元の世界に帰れないのだ。
神とは人類を含めた知的生命体全体の指導者のことである。
俺の世界にあてはめれば大臣に該当する地位だ。
強大な権限を持ち、禁止されている異世界への送還行為の許可を出すことさえできる。
つまり俺を元の世界に返せるということだ。
その座に座るものは選挙で選ばれるのだが、立候補をするには二つ条件を満たさねばならない。
一つはこの世界の特権階級である神族であること。
これに関してメディはクリアしている。 古よりの神の家系だ。
そしてもう一つの条件が、娯楽分野で何らかの指導者的実績をあげていること。
実績と認められるものは多岐に渡る。
映画監督としてのもの、漫画家としてのもの、TVプロデューサーとしてのもの、ゲーム開発者プロデューサーとしてのもの。
そして動画プロデューサーの場合、
「バズる動画を作ることですわ! 目指せ10億再生!」
新設したチャンネルで1年間に合計10億回の再生数を記録することだ。
大人気配信者ならともかく、新人がそれを実現するのは極めて困難だ。
メディは指導者どころか娯楽分野に関わったことすらない。
そこでメディが魔術で召喚したのが、人気者の俺様というわけである。
「最強の人気者である俺様を召喚できて、お前は運がいい!」
「頼もしいですわ! わたくしには、ダンくんのどこが人気なのかさっぱり分かりませんけど」
「分からんか? 有能さのにじみ出るイケメンフェイスを見ても!」
「見た瞬間に、顔パンしたくなるお顔立ちであることだけは分かりますわ」
「ちんちくりんめが! 顔パンしてみせろ! ジャンプしても届かんのだろぉ~?」
「うぅ~、わたくしちんちくりんじゃないもん!」
俺に抗議してくるメディ。 背伸びをして対抗してくるが俺は180センチ弱ある、140センチ弱のちんちくりんでは対抗できまい!
からかい続けていると、右肩に圧迫感。 ふと見れば黒い獣の手に肩を掴まれていた。
「よう、人気者の兄ちゃん」
「酒場でおごってくれよ、人気者!」
恐る恐る振り向く。
グラサンをかけた虎と、たてがみをリーゼントにしたライオンがそこにいた。
1960年代のアメリカ映画に出てくるような革ジャンのライダー姿で、いかにもワルそうである。
「そ、その……俺は人気者ですがお金はないんです……」
「本当か? ジャンプしてみろよ」
「こ、こうっすか?」
「小銭の音がするぜ、ウソをついちゃあいけねえなあ」
この町を一刻も早く離れたい真の理由がこれである。
俺様は極めてカツアゲされやすいタイプなのだ。
獣人たちに裏路地に連れ去られこまれて数分後、ようやく解放された。
「う、奪われた……何もかも……」
下着のシャツにパンツ一丁という情けない姿である。
「まあダンくんたら……。 女から見たら最低の性格でも、同性にはモテモテですのね」
いかがわしい誤解しているのは、赤らんだ頬をみれば丸わかりだ。
上品なお嬢様フェイスをしているが、メディは腐女子なのである。
「何もされていない!渡した金が足りないと言われて、身ぐるみ剥がされただけだ!」
「ウソおっしゃい! 裏路地で何をされてしまったか、お顔に書いてありますわ!」
そりゃそうであろう。 去り際に思い切り顔パンされた。 鼻血はダラダラ、皮膚は腫れている。 どんな顔になっているのか、鏡を見るのが怖い。
だが顔よりも、体の方がさらに深刻だった。
鳥肌が立ち、骨にまで冷気が凍み渡ってくる。
「さ、寒い……」
さきほど着ていたコートもセーターもない。 両方とも下界から着てきたもの、かなり値の張る代物だったのに……。
ここはパラレルワールドの日本。 気候も俺たちの世界同様である。 冬のこの時期、下着姿で外にいてはあまりにも危険だ。
歯の根がガタガタ言い始めた。
「ど、ど、どこか建物へ……」
四肢の関節もマヒし、歩くことすらおぼつかない。
「この辺りはまだ空いていないお店ばかりですわ」
辺りにある建物は、ヤバイ組織が営業していそうな風俗店や、昼間は開いていない飲み屋ばかり。
道行く獣人たちはさして驚きもせず、見て見ぬふりをしている。
治安の悪いこの町では、よくある光景なのかもしれない。
「でもこれはこれで撮れ高になりますわね! 極寒の中で死線をさまよう配信者! これは再生数を稼げます! さあ撮影再開ですわ!」
非人道的な命令が返ってきた。
メディには無駄に前向きだ。 そして前しか見てない。
「……む、無理だ……寒すぎる……」
「う~ん、困りましたわね……そうだ! 迎えの車を呼びましょう! 着替えを持ってこさせますわ!」
メディはスマホを取り出し、屋敷に電話をかけ始めた。
この町まで来るためにメディのリムジンを使ったのだが、撮影が長引くことを想定して館に返してしまった。 今すぐ呼び出しても、この町に戻ってくるまでに2時間以上はかかるだろう。
それまで体が持つのか?
堪えられない……今日ここで俺は……見知らぬこの世界で……。
死の予感が冷気の形をして全身を包み込み始める。
冷気が濃度を増し、意識がかすみ始めた時だった。
両肩からふわりとしたぬくもりが降り注いできた。
紳士もののロングコートだ。
「あのー、大丈夫でしょうか?」
「え……?」
男が俺の前に立っていた。
シマウマの顔をしている背広姿の男。 この男も獣人だった。
「その恰好ではお寒いでしょう? 良かったら着ていてください」
シマウマ男はサラリーマンらしき風体をしている。
スーツもネクタイもそう高級品ではないものの、実直な印象を受ける。
繁華街を往来しているチンピラまがいとは異質な雰囲気だ。
「お兄さん、温かい?」
シマウマ男の隣には、ボアつきの赤いコートを着た少女が立っている。
「娘があなたのことを見つけて心配しましてね。 もしかしてカツアゲにでも遭ったんでしょうか?」
「……そうです」
「やっぱり! 私もカツアゲによく遭うんですよ! それで、ついおせっかいしてしまって!」
情けない部分でシンパシーが発生した。
「ありがとうございます、助かります」
コートのぬくもりで血が体に巡りはじめ、ようやく立てるようになった。
この男は恩人である。
勝手に人を召喚して、勝手に仕事を押し付けるメディとは異なる。 敬語を使うに値する人物だ。
父親の善性は娘にも受け継がれていた。
そしてガチの善人は父親だけではなかった。
「お兄さん、手が冷たいね、ミオが暖めてあげる」
ミオは、自分の手袋を脱ぎ、小さな両掌で俺の右掌を握り、暖めてくれていた
「ありがとう……」
体温以上に感じる心の温もり……。
さきほどまで凍てついていた心が溶け、雪解け水が心の中に滴った。
「ご親切な方、わたくしたちこういうものです」
メディが名刺を渡すとシマウマ父は目を見開きつつ、娘にそれを見せた。
「おお! この人たちは動画配信者さんだぞ! すごいな、ミオ!」
ミオと呼ばれた娘も、名刺を見て色めき立つ。
「かっこいい! ミオのお兄ちゃんも動画配信者になりたいって言っていたよ!」
「私はこういうものです」
シマウマ父も名刺を出してきた。
メディだけではなく俺にも渡してくれる。
ビジネスマナーに則ったきちんとした社会人だ。
「株式会社ラスカンカンパニーの課長さんでいらっしゃいますのね」
「有名な会社なのか?」
尋ねると、メディからはちょっと困った表情が返ってきた。
慌てたようにシマウマ父が否定する。
「いえいえ!ご存知ないと思いますよ。 社員20人程度の小さな会社ですから!」
「課長さんなのか、パパは偉いんだな」
娘のミオにそう話しかけてみた。
俺的にはシマウマ父をフォローしたつもりだったのだが、シマウマ父本人からは恥ずかしそうな声が返ってきた。
「いえいえ、下っ端でして……」
「ご謙遜なさらずに」
「後輩たちに出世を追い抜かされて、アゴで使われている始末でして……」
「……大変ですね」
この男、人はいいがそれだけに出世は難しいかもしれない。
とはいえ、俺にとっては恩人。 軽くあしらうことはできない。
借りたコート姿で街を歩き、ブティックを見つけて冬着一式を買う。
店を出ると、シマウマ親子はそこで待っていてくれた。
「ありがとうございます、こちらお返しいたします! 助かりました!」
「では、私たちはこれで」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんバイバイ!」
コートを元通り着込むシマウマ父と、その横で右手をふるミオ。
幼く可愛らしい手を見て俺は気づいた。
「おいメディ! この子は……!」
「気づいておりました。 でもまずダンくんを撮影に耐えうる状態にしなければと思って黙っていましたのよ」
メディの気遣いを意外に思ったが、すでに俺の脳は配信者としてのそれに切り替わっていた。
「失礼ですが、お二人は実の親子ですか!?」
「もちろんです、それが何か?」
「けど、娘さんは普通の人間の顔をしているじゃないですか?」
「ええ、ミオはまだ獣化していませから」
「では、満月を見れば獣化するのですか?」
メディの目が爛々と輝いている。
散々探しても見つからなかった“獣化していない獣人”が眼前にいるのだ。
しかも画面映えも充分なとびきり可愛い女の子だ。
乗り気になれなかった俺も、配信者としての本能が刺激されていた。
だが、ミオが口を開くと生まれたばかりの希望は失望に変わった。
「なれるわけないよー。 ミオ、まだ8歳だもん!」
「はい、なれません、獣人は15歳になって初めて迎える十五夜に魂の姿の獣の姿になるんです」
「変身は7年後ですのね」
残念だがミオを主役にした動画作りは無理そうだ。
めげずに別の可能性を探ってみる。
「普段は獣化せずに生活している獣人さんはいないんですか?」
「いませんね、最初の変身をしたらその後、獣人が元の姿に戻ることはまずありません。 戻ることは可能なのですがメリットがないので……」
「メリット?」
「人間の姿と獣人の姿では身体能力がまるで違いますからね。 私もひ弱なシマウマではありますが、獣化しておけばいざというとき娘を担いで逃げることくらいはできます。 まあ、ボーっと歩いているときにたまにカツアゲされちゃいますがね」
確かにこの治安の悪い町では、獣化状態でいることが身を守る手段になるだろう。
「大人の獣人は常に変身した姿で、子供の獣人は変身できない、か」
「困りましたわね、この企画やはり成立しないのでしょうか」
メディにも、諦めムードが漂い始める。
「何をお困りですか?」
シマウマ父の問いかけに、今回の企画に関して説明する俺たち。
それを隣で聞いていたミオが頬を嬉しそうに紅潮させた。
「じゃあ、うちのお兄ちゃんがいいよ!」
「お兄さんですか?」
「ウチのお兄ちゃん、こないだ15歳になったんだよ! 初めての満月だから今夜は獣人化するんだ!」
俺とメディと顔を見合わせる。
「……そうか! 大人がダメで子供もダメでも!」
「大人が子供になる瞬間なら企画が成立しますわ!」
俺たち人間には、厳密に子供が大人になる瞬間というものがない。
成人年齢や成人式はあるがあくまで形だけだ。 人がいつ大人になるのかというのは永遠の謎である。
だが、獣人は違う。 “その時”があるのだ。
「ね! だからお家に来てよ! お兄ちゃんを動画に出してあげてよ!」
無邪気にはしゃぐ娘に対して、シマウマ父は言葉を濁していた。
「ミオ……それは……」
「いいでしょ、お兄ちゃん動画配信者になりたいって言ってたもん!」
シマウマ父は困惑していたが、やがてはっきりと反論の声をあげた。
「お断りしよう! 今のレイはこの人たちに何をするか分からない!」
ミオも食い下がる。
「ミオが話すよ! お兄ちゃん、“ああなっちゃってから”もミオには優しいもん!」
空気読みゲームガチ勢の俺様は確信した。
この親子に関わると、確実に面倒なことになる!
「メディ、帰るぞ」
だがメディは俺様の明察を無視し、シマウマ父に話しかけてしまった。
「お家にお邪魔するとご迷惑でしょうか?」
「迷惑だなんてとんでもない! ただ息子の方がご迷惑をかけてしまうことが心配なのです」
非常に腰が低く丁重な断り方である。
ところがメディときたら……!
「ご迷惑でないのですね、ではお邪魔いたします!」
「ええ……?」
シマウマ家での取材を決めてしまったのだ!
気が強いだけならいいが強引すぎる!
シマウマ父の息子のレイはどんな少年なのか……? シマウマ父の家に向かう道中、不安しか湧かなかった。
獣人の町の郊外にある団地。
そのA棟301号室がシマウマ一家の家だった。
そのドアをくぐったとたん、顔面に衝撃!
「お邪魔するぞ……グハッ!?」
いきなり、スリッパを投げつけられた。
「てめぇらどこ中のモンよ!?」
続いて飛んできたのは恫喝!
さらには雑誌、写真立てにハンガー、めちゃくちゃに物が飛んでくる。
「どこ中のもんよ!? どこ中のもんよ!?」
投げつけてくるのは、ジャージを着た中学生くらいの少年だった。 俺たちと同じ、人間の顔である。
野球部員を思わせる五分刈り頭。 だが、険のある表情とドスの効いた声が相まって爽やかさはゼロだった。 典型的な田舎ヤンキーである。
「オレは獣一中のレイやぞ!
やはりシマウマ父の息子で、取材対象者のレイだ。
この少年がどんな獣に変身するのかを当てるのが、今回撮影する動画の主旨なのだが……。
「やはり詰んでいる! 帰ろう!」
逃げようとすると、背中めがけてさらに物が投げつけられてくる。
「いてっ! いてっ!」
俺様ボコボコである。
「獣一中なめてんのか! お前、何中よ!?」
「評価基準が中学の校名しかないのか!?」
こちらとら19歳で大学生である。
「お兄ちゃんやめて、ミオ怖いよ……」
ミオが目を潤ませると物体の嵐が止まった。
さきほど“お兄ちゃんは今でも自分の言うことなら聞く”と言っていたミオだが、ハッタリではなかったようだ。
ヤンキー少年も狂騒を治める。
「すまなかった、ミオ……今夜、獣化すると思うと興奮しちまってな」
「落ち着いて! お兄ちゃんならきっと大丈夫!」
「ああ! 立派な肉食獣になってお前を守ってやるからな!」
幼い妹に優しい眼差しを向けるレイ。 元は優しい兄であること、その理性を取り戻しつつあることが見て取れた。
「あのね、今日は動画配信者さんを連れて来たんだよ!」
「何! カムヒアさんか!?」
レイの声が興味の色を帯びていた。
俺の世界の日本において、生けるレジェンドと呼ばれる動画配信者カムヒア。
この俺様すら一目置いている人物でもある。
なぜ彼の名がこの異世界で知られているのかは分からない。 だが、カムヒアがいけるのならこの俺も……?
期待を込めていつもの挨拶をしてみた。
「実にケシカラン! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
「誰だよ、知らねえよ!」
「痛い! 痛い!」
再び物をめちゃくちゃに投げつけられた。
完全なる藪蛇である。
そこに口を挟んだのがシマウマ父である。
「レイ、この人たちは変身の瞬間を動画にしたいそうだ。 お前が一人前の獣人になる門出には悪くないと思うぞ」
とたん、レイの顔に狂暴な怒りが蘇った。
「オレを見世物にする気か!」
「え、いや……この人たちが困っているから……」
「ふさげんな!」
逆上したレイは棚に置かれていた花瓶を手に取り、父親めがけ投げつけた。
今までレイが投げていたものは、当たっても怪我をせずにすむ範疇のものだった。
だが、花瓶は当たり所によっては、致命傷を与えうる殺傷能力を持っている。
「グッ!」
長い鼻先を撃たれたシマウマ父はよろめき、カーペットに膝をついた。
それでも少年の狂気は止まらない。
「何でシマウマになんかなったんだよ! オヤジがシマウマなせいで、オレたちがどんな思いをしているか分かってんのか!?」
今度はガラスの水差しが飛ぶ!
シマウマ父の右肩から鈍い音がした。 投げ付けられた水差しからこぼれた水でスーツが濡れ、無残な姿になる。
「お兄ちゃん、やめて!」
さきほどは効力を発した妹の声も、もはやレイの耳には届いてすらいなかった。
激情に我を失った表情で重厚な置時計を手にとる。
「オレはオヤジみたいな弱い草食獣にはならねえ! 獰猛な肉食獣になってやる!」
双眸を赤く濁らせる憎しみは、明らかに父親へ向いていた。 だが、投げ付けた置時計は視線とは異なる方向に飛んだ。
「ぁ……」
ミオの小さな体が、力なくうずくまる。
置時計の着弾地点は、幼い妹の額だった。
赤い筋が滴って白い額を染める。
「み、ミオ!」
レイの瞳から狂暴な光が消えた。 理性を取り戻したのだ。
時すでに晩く、ミオは動かなくなっていた。
「すまねえ! オレ……!」
声を震わせつつレイが駆け寄ろうとしたとき、シマウマ父が嘶いた。
「触るな!」
ミオの体を予備動作なしに抱き上げる。
「父さんが病院に連れて行く、お前は自分が何をすべきか考えなさい」
シマウマ父はミオを軽々と両腕で抱き抱えたまま玄関へと向かう。 まさに成人した獣人の膂力、いや父の強さだった。
「ダンさんとメディさんはすみませんが、息子を見てやっておいてください」
家を出ていく際に残した確固たる意志には逆らいがたいものあった。
「どうする? 情緒不安定な不良少年を押し付けられたぞ」
リビングのソファーに座らされている俺たち。
レイの監視を頼まれたわけだが、当の本人は奥に引っ込んだまま出てこない。
「ここまで来たのです、何とか撮影協力を取り付けましょう。 ただ、わたくしがイメージしていたのはほのぼの系の動画とは違うイメージになってしましそうですわ……」
メディはこの動画をほのぼの系に仕上げるつもりだったらしい。
否! 俺は今回の動画を炎上系にして稼ぐつもりである。
元の世界でも俺の動画で再生数を稼いでいるのは炎上系、つまり視聴者を怒らせることで注目を集めたものばかりなのだ。
ファンは俺が何をやらかすかを楽しみにしている。 俺に批判的な人間は叩くのが目的で動画を見てくれるし、酷い奴がいると話題になれば俺を知らない人も動画を見にきてくれる!
まさに勝利の炎!
こっちの世界でもその炎で熱く再生数を高めるつもりなのだが……。
「本人がアレじゃあなあ……」
引きこもったままでてこないのでは炎上どころか、撮影すらできない。
「わたくしとしたことが……絶好の撮れ高にカメラを回していなかったなんて……」
メディがしょげているのは、レイが荒れ狂っていた場面を撮れなかったことだろう。
確かにあれは炎上配信者としては理想の展開だった。
“撮れ高”と呼ばれる見せ場になる場面。
ハプニング動画として公開すれば話題になり再生数も稼げただろう。
だが、撮れていたとして動画化して公開したのかは別の話だ。
炎上させるにしても“質”というものがある。
「いいさ、兄が妹に怪我をさせる場面はさすがに動画にしたくない。 二人にとっても忌まわしい思い出となるだろう。 あれは撮らなくてよい場面だったんだ」
「ダン君……? 珍しくお優しいことをおっしゃいますのね?」
「優しい!?」
その言葉に俺は慌てた。
「い、いや優しくないぞ! 何故、とっさにカメラを回さなかった? このゴミプロデューサーめが!」
「急に態度が変わりすぎて不自然ですわ!?」
危なかった。 また弱い自分がでてしまうところだった。
特に今は元の世界に、家族の元に帰るのに数字が必要なのだ。
優しさは捨て、容赦なく炎上させねば!
「それにしてもレイ君、お部屋からでてきませんわね」
「首でも吊っているんじゃないか? ホトケさんを撮りにいくか?」
「悪趣味ですわ!」
そんなことを話しているうち、噂をすれば影、というべきか奥からレイが戻ってきた。
トレイを左手に乗せ、俺たちの前のテーブルに右手で配膳をする。
「食え、腹が減っているだろ?」
「レッドベリータルトか?」
「レイ君の手作りですか?」
メディの問いかけにレイは恥ずかしそうにうなずく。
「オヤジとリオと三人で食おうと思って昨日の夜中こっそり作っておいたんだ……でもこんなことになっちまった。 捨てるのももったいないし、食ってくれ」
今日のために作ったのに、今日が忌まわしい思い出になってしまった。
レッドベリーの鮮やかな赤すらも、妹を傷つけた事実を連想してしまうのだろう。
「仕方がない、食ってやるからありがたく思え」
昼間は獣人に脅されたり、カツアゲされたりして飯どころではなかったので腹ペコなのは事実だ。
食ってケチョンケチョンに味をけなして、新たな炎上の種火としよう!
罪のない幼女が怪我をするシーンよりは、遥かに炎の質がよい。
「うまっ!」
口に入れたとたん褒めてしまった。
甘さと酸味のバランス、それを支える土台の歯ごたえが絶妙だ。
「美味しい! レイ君器用ですのね!」
「くそ! 美味い! 悔しいが美味いぞ!」
どれだけ食べても新たなタルトに手が伸びてゆく。
小食な俺の胃袋がここまで活性化するのは稀だ。
「調理実習で作ったのを仲間に食わせたら喜んでくれたからな、それから時々、自分で作って差し入れしているんだ」
恥ずかしそうに言うレイだが、本人はタルトに手を出そうとしない。
「レイくんは食べないのですか?」
「食欲がなくてな……」
レイは思いつめた顔をしていた。
「オレの分はいい、あんたたち全部食べてくれ」
一口も食べずに席を立つと、レイはハンガーにかけてあったスカジャンを着こみ始めた。
「お出かけですか?」
メディの問いにレイは、乾いた声で答えた。
「家を出るんだ、オヤジとミオにはあんたたちから伝えておいてくれ」
「家でだと? 勝手なことをするな、俺たちはお前をネタにするために撮影に来たんだぞ」
「勝手なのはお前らだろ! アプリ実況でも撮っていろ!」
「勝手に企画変更しないでください」
「男の責任を取るぜ、あばよ」
ポケットに手を突っ込み、背中を煤けさせて歩き出す。
まだ薄い少年の背中からは本心が透けて見えた。
「逃げるのか?」
俺が背中に声をぶつけると、レイは立ち止まった。
振り向いたレイの不愉快そうな顔面にさらに声をぶつける。
「逃げるとウサギになるぞ」
「な!?」
「俺の故郷には脱兎のごとくという言葉があるくらいだからな! 家出したらウサギ確定だ!」
繰り返し挑発をすると、レイはやけくそ気味にその場に腰を下ろした。
「逃げねえよ! 家出するつもりなんか最初からねえよ!」
カバンを放り捨て、ジャンパーも脱ぎ捨てる。
リビングのカーペットの上にどっかと座り込んだまま、威勢よく啖呵を切った。
たった今、家出すると宣言したばかりなのに言っていることがめちゃくちゃである。
「すげえ狂暴な肉食獣に変身してやるからな! そのカメラでよく撮っておけ! 自分たちが怯える顔もついでにな!」
「肉食獣といってもいろいろいますが、どんな獣人さんになりたいんです? ワーライオンさんですか? ワータイガーさんですか?」
獣人の種類は様々であり、その呼称として一般的には冠にワーを付ける。 ライオン獣人ならワーライオンと呼ぶのだ。
「なりたいとかじゃねえ! オレはなるんだよ! 今夜ワーウルフに!」
「ワーウルフ……? 狼男か?」
ワーウルフは獣人の代表だ。
下界の創作物でもときにヒーローとなり、ときにヴィラン(悪役)となる、スタイリッシュ、ワイルド、ダーティーの三拍子を兼ね備えた人気クリーチャーとして扱われている。
「何で自分がワーウルフになると予想しましたの?」
メディの問いにレイは自信満々に答えた。
「ワーウルフはさ、トップアスリートや世界的アーティストにたくさんいるだろ?」
「いますわね、謎上ハテナとか庵リンクスとか」
「ベルリック・ヒロもだ!」
「ディミトリ・コリアスのことはご存知ですか?」
「白狼のディミトリを知らないわけがない! ディミトリこそワーウルフの中のワーウルフ! 日本に移民してきてこの町を作った英雄だ!」
「何を言っているのか分からん……」
召喚されたばかりの俺にはまったく付いていけないが、この世界におけるスターの名前なのだろう。
「シンパシー感じるんだよね、あいつらに……! 同族の匂いっていうかさ……。 だからオレ……ワーウルフになると思うんだよね!」
一緒に盛り上がっていたメディすら、とたんそっけなく反応した。
「あ、そうなんですか」
「こいつ凄いイキリ虫だな」
「ダン君とどっこいですわ」
メディの言うことはスルーだ! せっかく面白い玩具が目の前にいるのだ! もてあそんでやらねば!
「で? そういうスターになるために、お前は何か努力してんの?」
「いや、していないよ。 必要ない。 だって分かるからさ、本質的にあいつらと同じだって! オレ、才能あるからさ、何やっても余裕だと思うんだよね! 学校の勉強とかはできないけど、そういうのはスターに関係ないからさ!」
「レイ君、すごい早口になってますわ!」
「はいはい、お前がワーウルフになるっていうのは予想じゃなく、単なる願望ってことだな」
「そうじゃねえよ! オレの本質が分かんねえか? 大胆不敵かつ冷酷、獰猛にして凶悪な孤高の存在だろ! まさにオオカミのソウル!」
ソウルのところだけ、すごい巻き舌だった。
「オレのダチに聞いてみろよ! みんな絶対、そう言うから!」
「よし聞いてやるから電話番号を教えろ」
「え……? だ、誰がいいかな……。 夜遅いし、電話したら迷惑かも……」
ハッタリのメッキが剥げた。 あまりにも脆い自信である。
「やっぱり言わないかも……オレは奥の深い男だから、ダチにも本質は見抜かれていないかも……」
そろそろ限界だろう。 見るに堪えない無惨な表情になっている。
「無理だろ? 根はヘタレだもん、お前」
「うっ……」
「本来は優しくて気遣いができる方ですわね、手作りタルトからもそれが伝わってきますわ」
レイは頭を抱え、駄々をこねはじめた。
「いやだ、草食獣はいやだ! 俺は肉食獣になるんだ!」
「いいではありませんか草食獣さんでも! わたくしはレイくんがお父様と同じシマウマになると予想していますわ!」
獣人は親と同じ獣になるとは限らない。 反映されるのはあくまで魂の姿であって遺伝子は無関係らしい。
「俺はウサギ、メディはシマウマ、お前はオオカミ、これが変身前の予想だな」
変身前の獣人が、どんな動物になるのかを当てる。 その動画のコンセプト的においては大事なポイントである。
賞品がでるわけではないが、当たればマウントが取れる。
「草食獣は嫌だ! 絶対になるもんか!」
「何でそこまで嫌がる?」
「……ナメられるんだよ、草食獣は」
言葉に深刻な響きがあった。
「法律上はどの獣人も平等とされているけどそれが現実だよ。 草食獣は肉食獣の前にでると本能でビビっちまう。 獣人同士の人間関係で損をしがちだし、就職や結婚だって不利を背負わされる。 法律に何の意味もないことは子供だって知っているさ」
「差別社会というやつか」
「オヤジは毎日、会社のために馬車馬のように働いているし、周りへの気配りも欠かさない。 それでも草食獣だから昇進が遅れて、後輩の肉食獣にアゴで使われる」
そういえば、そんなことをシマウマ父自身も嘆いていた。
「ミオだって草食獣の子で気が優しいから学校じゃいじめられている。 グリズリーだった母さんが生きていたときはそんなことなかったんだけどな。 家族に肉食獣がいない家の子は、たいていイジメられちまうんだ」
「優しさや穏やかさのような美徳が、必ずしもプラスに働くとは限らない……おとなしくばかりしていると舐められる。 それはどの世界にも共通した現実だな」
それはかつて身を以て痛感したことだった。
俺の眼前に立ちはだかっているのは、フロックコートを着た豹頭の男だった。
「グルゥゥ……下界のニンゲンがこの町にくるとはな」
喉を鳴らすこの巨躯ならば、俺のつむじまで悠々と見下ろせているに違いない。
黄金の獣毛の間に輝く瞳に全身を嘗め回されると、生きた心地がしない。
だが俺は勇敢な男だ、臆せずして豹頭の男にマイクを向けた。
「あ、あの……俺のこと知っています? 人気者ですけど? 動画配信者ですけど……?」
豹頭の男は無遠慮に顔を近づけてきた。
「ほう、動画配信者か……面白い……」
鼻先をクンクンと鳴らす。 肉とその下を流れる血の匂いを嗅いでいるのだ。
口端から覗く牙に突かれたら、容易く筋肉を貫かれ、骨まで砕かれそうだった。
緊張に耐えきれず、俺は言葉を続けた。
「“イマドキの若い連中”のリーダーでダンっていうんですけど、知りませんか? ファン数100万人の人気グループですよ? 知りませんか?」
恐怖と涙を溢れさせつつ尋ねたが返事は来ない。
獣の圧力に耐えられなくなってきた俺は切り札を繰り出した。
「実にけしからん! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
敬礼に似たポーズを作り、シルバーグレーに染めた髪の上でビシリと止める!
いつも動画の冒頭挨拶で使っているポーズである。
俺は人気者だから、何かしらの反応が返ってきて然るべきだった。 だが、豹頭の男の返事は非情だった。
「知らん」
周りで野次馬していた獣人たちまでが口々に無慈悲な答えを返してくる。
「知らんなぁ……」
「知らんね」
「知らん」
「知らねえなあ」
獣人たちの言葉は、絶望の闇へと誘う呪詛にも等しかった。
ここは俺の世界と似てはいるが異世界なのだ。
人気者だった俺を知るものはいない。
周囲から舌なめずりの音が聞こえる。
獣人の町において人間は餌なのだ。 圧倒的弱者であり、捕食対象なのだ。
どこにも逃げ場はない。
「詰んだ……」
両ひざが力を失い、アスファルトに引かれた白線上に崩れ落ちた。
「詰んだ~~~~っ!」
胸を染める絶望は、叫びとなって灰色の空を振るわせた。
「ダンくんお立ちになってください! インタビュー中に座ってはなりませんわ!」
灰色の空を眺めている俺に向かって、朝日色に波打つロングヘアの少女が叱咤を浴びせてきた。
メディ・ゴルゴーン。 俺の動画プロデューサーを名乗るジャリガキである。
幼いわりに上品な顔立ちをしているお嬢様だが、実際のところこの異世界に俺を勝手に召喚してコキ使っている許しがたき誘拐犯だ。
「お立ちになって! 周りにいる獣人さんばかりが映りこんでしまいますわ!」
メディの構える撮影用カメラの前には、獣人たちが群がっている。
カバ顔の獣人とネコ顔の獣人がマヌケな会話をしている。
「あの人たち、テレビ局の人かば~?」
「見たことがないタレントさんだにゃ~?」
豹頭の男に至っては、カメラに向かって ピースサインを連打している。
「いぇーい! 母ちゃん見てるぅ? ピスピスピスピス!」
散々にビビらせてくれたが、完全なる田舎者ムーヴだ。
ようやく恐怖から己を取り戻せた。
こいつらはTVカメラを珍しがるような田舎者なのだ。 委縮などすべき相手ではない!
「散れ! 散れ! カッペども邪魔だ!」
「もう終わりかば~? いつTVで放送されるかば~?」
「TVじゃねえ! 動画だ! 人気配信者たる俺様のためのカメラだぞ! 見るな! 映るな! 近寄るな!」
シッシッと掌を振ると、獣人どもはつまらなさそうにカメラの前から去っていった。
「ダンくん、失礼ですわ! これからわたくしたちのチャンネルのファンになってくれるかもしれない方たちに!」
「 都会派配信者たる俺様にカッペのファンはいらん!」
「ダンくんは性格が悪すぎますわ!」
「それが俺のいいところだ!」
胸を張ってはっきり言ってやった。
元の世界でもこのキャラで登録者100万人を集めた。
そんな人気者をこのメディが勝手に召喚し、誰も俺のことを知らない世界に勝手に連れてきた。
多くのファンが俺の動画を待っている元の世界へとっとと帰らねばならん!
俺が召喚されたこの世界は、パラレルワールドの日本である。
文明レベルは俺の知る日本と大差がない。
インターネットは生活の中に溶け込んでいるし、YouTubeもニコニコ動画も存在する。
決定的な違いは、俺たちの世界において伝説に過ぎなかった獣人やエルフ、果ては神々までもが実在することである。
俺のいた世界とどんな関係なのかは不明である。 メディに聞いても「今は教えられませんわ」と突っぱねられった。
いろいろ試したが分からなかったので、とりあえず考えないことにした。
ここは獣人の町。
オオカミ男などの半人半獣に変身できる人たちが集って住む町である。
俺の知る日本地図に当てはめると福岡県付近に該当する。
今、立っている場所は飲み屋や賭博店などが立ち並ぶ、いわゆる繁華街だ。
風俗関係らしき店が、昼間から悪趣味な電飾をギラつかせている。
電柱の陰ではハンチング帽をかぶったキリン男が、長い首をキョロキョロとさせている。
チケットの束を手に持っているところを見ると、たぶんダフ屋なのだろう。
通行人も肩で風を切って歩いているような荒くれものが多い。
「実に下品だ! 育ちの良い俺様にふさわしくない! 撮影は中止だ! 撤収する!」
「プロデューサーとして撮影中止は許可できません! せっかく魅力的な企画なのですから完成させましょう“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”を!」
メディは俺たちのデビュー作となる予定の動画タイトルをそのまま言葉にした。
“【獣人の町】獣人さんの正体を変身前に当ててみた!”
変身前の獣人にインタビューをして、外見や性格からどんな動物に変身するかを予想するという動画である。
「獣人はその魂の姿の獣になる……この町に伝わる伝説ですわね」
魂の姿の獣になるというのは勇敢でカリスマ性のある奴はライオンの獣人に、おおらかでのんびりした奴は象の獣人に変身するということである。
俺がこの世界ならではのものとして考えた企画である。
「だがこの町にきて分かった! 実現不可能だ!」
獣人たちは最初から一人残らず獣に変身しているのである。
最初から変身されていては、企画が成り立たない。
「ちゃんと探してくださいまし、変身していない獣人さんがきっといますわ」
「お前が探せ! 俺はごめんだ!」
「自分が嫌なことをレディに押し付けるだなんて、殿方として恥ずかしくてよ?」
「お? 何だ、ビビッてんのか? お神様だろ? 獣人ごとき雑魚にビビるなよ」
「……今は神の座にありませんわ」
「そうだったなあ! スキャンダルで蹴落とされてから、何千年も無職なんだってなぁ!」
「くっ……必ず取り戻して見せますわ! 本来いるべき神の座を!」
悔しそうににらみ返してきた。 気の強いメスガキだ。
もう少し煽ってやりたいところだが、あまり怒らせると我が身が危うくなる。
メディに神様になってもらわないと、俺は元の世界に帰れないのだ。
神とは人類を含めた知的生命体全体の指導者のことである。
俺の世界にあてはめれば大臣に該当する地位だ。
強大な権限を持ち、禁止されている異世界への送還行為の許可を出すことさえできる。
つまり俺を元の世界に返せるということだ。
その座に座るものは選挙で選ばれるのだが、立候補をするには二つ条件を満たさねばならない。
一つはこの世界の特権階級である神族であること。
これに関してメディはクリアしている。 古よりの神の家系だ。
そしてもう一つの条件が、娯楽分野で何らかの指導者的実績をあげていること。
実績と認められるものは多岐に渡る。
映画監督としてのもの、漫画家としてのもの、TVプロデューサーとしてのもの、ゲーム開発者プロデューサーとしてのもの。
そして動画プロデューサーの場合、
「バズる動画を作ることですわ! 目指せ10億再生!」
新設したチャンネルで1年間に合計10億回の再生数を記録することだ。
大人気配信者ならともかく、新人がそれを実現するのは極めて困難だ。
メディは指導者どころか娯楽分野に関わったことすらない。
そこでメディが魔術で召喚したのが、人気者の俺様というわけである。
「最強の人気者である俺様を召喚できて、お前は運がいい!」
「頼もしいですわ! わたくしには、ダンくんのどこが人気なのかさっぱり分かりませんけど」
「分からんか? 有能さのにじみ出るイケメンフェイスを見ても!」
「見た瞬間に、顔パンしたくなるお顔立ちであることだけは分かりますわ」
「ちんちくりんめが! 顔パンしてみせろ! ジャンプしても届かんのだろぉ~?」
「うぅ~、わたくしちんちくりんじゃないもん!」
俺に抗議してくるメディ。 背伸びをして対抗してくるが俺は180センチ弱ある、140センチ弱のちんちくりんでは対抗できまい!
からかい続けていると、右肩に圧迫感。 ふと見れば黒い獣の手に肩を掴まれていた。
「よう、人気者の兄ちゃん」
「酒場でおごってくれよ、人気者!」
恐る恐る振り向く。
グラサンをかけた虎と、たてがみをリーゼントにしたライオンがそこにいた。
1960年代のアメリカ映画に出てくるような革ジャンのライダー姿で、いかにもワルそうである。
「そ、その……俺は人気者ですがお金はないんです……」
「本当か? ジャンプしてみろよ」
「こ、こうっすか?」
「小銭の音がするぜ、ウソをついちゃあいけねえなあ」
この町を一刻も早く離れたい真の理由がこれである。
俺様は極めてカツアゲされやすいタイプなのだ。
獣人たちに裏路地に連れ去られこまれて数分後、ようやく解放された。
「う、奪われた……何もかも……」
下着のシャツにパンツ一丁という情けない姿である。
「まあダンくんたら……。 女から見たら最低の性格でも、同性にはモテモテですのね」
いかがわしい誤解しているのは、赤らんだ頬をみれば丸わかりだ。
上品なお嬢様フェイスをしているが、メディは腐女子なのである。
「何もされていない!渡した金が足りないと言われて、身ぐるみ剥がされただけだ!」
「ウソおっしゃい! 裏路地で何をされてしまったか、お顔に書いてありますわ!」
そりゃそうであろう。 去り際に思い切り顔パンされた。 鼻血はダラダラ、皮膚は腫れている。 どんな顔になっているのか、鏡を見るのが怖い。
だが顔よりも、体の方がさらに深刻だった。
鳥肌が立ち、骨にまで冷気が凍み渡ってくる。
「さ、寒い……」
さきほど着ていたコートもセーターもない。 両方とも下界から着てきたもの、かなり値の張る代物だったのに……。
ここはパラレルワールドの日本。 気候も俺たちの世界同様である。 冬のこの時期、下着姿で外にいてはあまりにも危険だ。
歯の根がガタガタ言い始めた。
「ど、ど、どこか建物へ……」
四肢の関節もマヒし、歩くことすらおぼつかない。
「この辺りはまだ空いていないお店ばかりですわ」
辺りにある建物は、ヤバイ組織が営業していそうな風俗店や、昼間は開いていない飲み屋ばかり。
道行く獣人たちはさして驚きもせず、見て見ぬふりをしている。
治安の悪いこの町では、よくある光景なのかもしれない。
「でもこれはこれで撮れ高になりますわね! 極寒の中で死線をさまよう配信者! これは再生数を稼げます! さあ撮影再開ですわ!」
非人道的な命令が返ってきた。
メディには無駄に前向きだ。 そして前しか見てない。
「……む、無理だ……寒すぎる……」
「う~ん、困りましたわね……そうだ! 迎えの車を呼びましょう! 着替えを持ってこさせますわ!」
メディはスマホを取り出し、屋敷に電話をかけ始めた。
この町まで来るためにメディのリムジンを使ったのだが、撮影が長引くことを想定して館に返してしまった。 今すぐ呼び出しても、この町に戻ってくるまでに2時間以上はかかるだろう。
それまで体が持つのか?
堪えられない……今日ここで俺は……見知らぬこの世界で……。
死の予感が冷気の形をして全身を包み込み始める。
冷気が濃度を増し、意識がかすみ始めた時だった。
両肩からふわりとしたぬくもりが降り注いできた。
紳士もののロングコートだ。
「あのー、大丈夫でしょうか?」
「え……?」
男が俺の前に立っていた。
シマウマの顔をしている背広姿の男。 この男も獣人だった。
「その恰好ではお寒いでしょう? 良かったら着ていてください」
シマウマ男はサラリーマンらしき風体をしている。
スーツもネクタイもそう高級品ではないものの、実直な印象を受ける。
繁華街を往来しているチンピラまがいとは異質な雰囲気だ。
「お兄さん、温かい?」
シマウマ男の隣には、ボアつきの赤いコートを着た少女が立っている。
「娘があなたのことを見つけて心配しましてね。 もしかしてカツアゲにでも遭ったんでしょうか?」
「……そうです」
「やっぱり! 私もカツアゲによく遭うんですよ! それで、ついおせっかいしてしまって!」
情けない部分でシンパシーが発生した。
「ありがとうございます、助かります」
コートのぬくもりで血が体に巡りはじめ、ようやく立てるようになった。
この男は恩人である。
勝手に人を召喚して、勝手に仕事を押し付けるメディとは異なる。 敬語を使うに値する人物だ。
父親の善性は娘にも受け継がれていた。
そしてガチの善人は父親だけではなかった。
「お兄さん、手が冷たいね、ミオが暖めてあげる」
ミオは、自分の手袋を脱ぎ、小さな両掌で俺の右掌を握り、暖めてくれていた
「ありがとう……」
体温以上に感じる心の温もり……。
さきほどまで凍てついていた心が溶け、雪解け水が心の中に滴った。
「ご親切な方、わたくしたちこういうものです」
メディが名刺を渡すとシマウマ父は目を見開きつつ、娘にそれを見せた。
「おお! この人たちは動画配信者さんだぞ! すごいな、ミオ!」
ミオと呼ばれた娘も、名刺を見て色めき立つ。
「かっこいい! ミオのお兄ちゃんも動画配信者になりたいって言っていたよ!」
「私はこういうものです」
シマウマ父も名刺を出してきた。
メディだけではなく俺にも渡してくれる。
ビジネスマナーに則ったきちんとした社会人だ。
「株式会社ラスカンカンパニーの課長さんでいらっしゃいますのね」
「有名な会社なのか?」
尋ねると、メディからはちょっと困った表情が返ってきた。
慌てたようにシマウマ父が否定する。
「いえいえ!ご存知ないと思いますよ。 社員20人程度の小さな会社ですから!」
「課長さんなのか、パパは偉いんだな」
娘のミオにそう話しかけてみた。
俺的にはシマウマ父をフォローしたつもりだったのだが、シマウマ父本人からは恥ずかしそうな声が返ってきた。
「いえいえ、下っ端でして……」
「ご謙遜なさらずに」
「後輩たちに出世を追い抜かされて、アゴで使われている始末でして……」
「……大変ですね」
この男、人はいいがそれだけに出世は難しいかもしれない。
とはいえ、俺にとっては恩人。 軽くあしらうことはできない。
借りたコート姿で街を歩き、ブティックを見つけて冬着一式を買う。
店を出ると、シマウマ親子はそこで待っていてくれた。
「ありがとうございます、こちらお返しいたします! 助かりました!」
「では、私たちはこれで」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんバイバイ!」
コートを元通り着込むシマウマ父と、その横で右手をふるミオ。
幼く可愛らしい手を見て俺は気づいた。
「おいメディ! この子は……!」
「気づいておりました。 でもまずダンくんを撮影に耐えうる状態にしなければと思って黙っていましたのよ」
メディの気遣いを意外に思ったが、すでに俺の脳は配信者としてのそれに切り替わっていた。
「失礼ですが、お二人は実の親子ですか!?」
「もちろんです、それが何か?」
「けど、娘さんは普通の人間の顔をしているじゃないですか?」
「ええ、ミオはまだ獣化していませから」
「では、満月を見れば獣化するのですか?」
メディの目が爛々と輝いている。
散々探しても見つからなかった“獣化していない獣人”が眼前にいるのだ。
しかも画面映えも充分なとびきり可愛い女の子だ。
乗り気になれなかった俺も、配信者としての本能が刺激されていた。
だが、ミオが口を開くと生まれたばかりの希望は失望に変わった。
「なれるわけないよー。 ミオ、まだ8歳だもん!」
「はい、なれません、獣人は15歳になって初めて迎える十五夜に魂の姿の獣の姿になるんです」
「変身は7年後ですのね」
残念だがミオを主役にした動画作りは無理そうだ。
めげずに別の可能性を探ってみる。
「普段は獣化せずに生活している獣人さんはいないんですか?」
「いませんね、最初の変身をしたらその後、獣人が元の姿に戻ることはまずありません。 戻ることは可能なのですがメリットがないので……」
「メリット?」
「人間の姿と獣人の姿では身体能力がまるで違いますからね。 私もひ弱なシマウマではありますが、獣化しておけばいざというとき娘を担いで逃げることくらいはできます。 まあ、ボーっと歩いているときにたまにカツアゲされちゃいますがね」
確かにこの治安の悪い町では、獣化状態でいることが身を守る手段になるだろう。
「大人の獣人は常に変身した姿で、子供の獣人は変身できない、か」
「困りましたわね、この企画やはり成立しないのでしょうか」
メディにも、諦めムードが漂い始める。
「何をお困りですか?」
シマウマ父の問いかけに、今回の企画に関して説明する俺たち。
それを隣で聞いていたミオが頬を嬉しそうに紅潮させた。
「じゃあ、うちのお兄ちゃんがいいよ!」
「お兄さんですか?」
「ウチのお兄ちゃん、こないだ15歳になったんだよ! 初めての満月だから今夜は獣人化するんだ!」
俺とメディと顔を見合わせる。
「……そうか! 大人がダメで子供もダメでも!」
「大人が子供になる瞬間なら企画が成立しますわ!」
俺たち人間には、厳密に子供が大人になる瞬間というものがない。
成人年齢や成人式はあるがあくまで形だけだ。 人がいつ大人になるのかというのは永遠の謎である。
だが、獣人は違う。 “その時”があるのだ。
「ね! だからお家に来てよ! お兄ちゃんを動画に出してあげてよ!」
無邪気にはしゃぐ娘に対して、シマウマ父は言葉を濁していた。
「ミオ……それは……」
「いいでしょ、お兄ちゃん動画配信者になりたいって言ってたもん!」
シマウマ父は困惑していたが、やがてはっきりと反論の声をあげた。
「お断りしよう! 今のレイはこの人たちに何をするか分からない!」
ミオも食い下がる。
「ミオが話すよ! お兄ちゃん、“ああなっちゃってから”もミオには優しいもん!」
空気読みゲームガチ勢の俺様は確信した。
この親子に関わると、確実に面倒なことになる!
「メディ、帰るぞ」
だがメディは俺様の明察を無視し、シマウマ父に話しかけてしまった。
「お家にお邪魔するとご迷惑でしょうか?」
「迷惑だなんてとんでもない! ただ息子の方がご迷惑をかけてしまうことが心配なのです」
非常に腰が低く丁重な断り方である。
ところがメディときたら……!
「ご迷惑でないのですね、ではお邪魔いたします!」
「ええ……?」
シマウマ家での取材を決めてしまったのだ!
気が強いだけならいいが強引すぎる!
シマウマ父の息子のレイはどんな少年なのか……? シマウマ父の家に向かう道中、不安しか湧かなかった。
獣人の町の郊外にある団地。
そのA棟301号室がシマウマ一家の家だった。
そのドアをくぐったとたん、顔面に衝撃!
「お邪魔するぞ……グハッ!?」
いきなり、スリッパを投げつけられた。
「てめぇらどこ中のモンよ!?」
続いて飛んできたのは恫喝!
さらには雑誌、写真立てにハンガー、めちゃくちゃに物が飛んでくる。
「どこ中のもんよ!? どこ中のもんよ!?」
投げつけてくるのは、ジャージを着た中学生くらいの少年だった。 俺たちと同じ、人間の顔である。
野球部員を思わせる五分刈り頭。 だが、険のある表情とドスの効いた声が相まって爽やかさはゼロだった。 典型的な田舎ヤンキーである。
「オレは獣一中のレイやぞ!
やはりシマウマ父の息子で、取材対象者のレイだ。
この少年がどんな獣に変身するのかを当てるのが、今回撮影する動画の主旨なのだが……。
「やはり詰んでいる! 帰ろう!」
逃げようとすると、背中めがけてさらに物が投げつけられてくる。
「いてっ! いてっ!」
俺様ボコボコである。
「獣一中なめてんのか! お前、何中よ!?」
「評価基準が中学の校名しかないのか!?」
こちらとら19歳で大学生である。
「お兄ちゃんやめて、ミオ怖いよ……」
ミオが目を潤ませると物体の嵐が止まった。
さきほど“お兄ちゃんは今でも自分の言うことなら聞く”と言っていたミオだが、ハッタリではなかったようだ。
ヤンキー少年も狂騒を治める。
「すまなかった、ミオ……今夜、獣化すると思うと興奮しちまってな」
「落ち着いて! お兄ちゃんならきっと大丈夫!」
「ああ! 立派な肉食獣になってお前を守ってやるからな!」
幼い妹に優しい眼差しを向けるレイ。 元は優しい兄であること、その理性を取り戻しつつあることが見て取れた。
「あのね、今日は動画配信者さんを連れて来たんだよ!」
「何! カムヒアさんか!?」
レイの声が興味の色を帯びていた。
俺の世界の日本において、生けるレジェンドと呼ばれる動画配信者カムヒア。
この俺様すら一目置いている人物でもある。
なぜ彼の名がこの異世界で知られているのかは分からない。 だが、カムヒアがいけるのならこの俺も……?
期待を込めていつもの挨拶をしてみた。
「実にケシカラン! “イマドキの若い連中”のダンだ!」
「誰だよ、知らねえよ!」
「痛い! 痛い!」
再び物をめちゃくちゃに投げつけられた。
完全なる藪蛇である。
そこに口を挟んだのがシマウマ父である。
「レイ、この人たちは変身の瞬間を動画にしたいそうだ。 お前が一人前の獣人になる門出には悪くないと思うぞ」
とたん、レイの顔に狂暴な怒りが蘇った。
「オレを見世物にする気か!」
「え、いや……この人たちが困っているから……」
「ふさげんな!」
逆上したレイは棚に置かれていた花瓶を手に取り、父親めがけ投げつけた。
今までレイが投げていたものは、当たっても怪我をせずにすむ範疇のものだった。
だが、花瓶は当たり所によっては、致命傷を与えうる殺傷能力を持っている。
「グッ!」
長い鼻先を撃たれたシマウマ父はよろめき、カーペットに膝をついた。
それでも少年の狂気は止まらない。
「何でシマウマになんかなったんだよ! オヤジがシマウマなせいで、オレたちがどんな思いをしているか分かってんのか!?」
今度はガラスの水差しが飛ぶ!
シマウマ父の右肩から鈍い音がした。 投げ付けられた水差しからこぼれた水でスーツが濡れ、無残な姿になる。
「お兄ちゃん、やめて!」
さきほどは効力を発した妹の声も、もはやレイの耳には届いてすらいなかった。
激情に我を失った表情で重厚な置時計を手にとる。
「オレはオヤジみたいな弱い草食獣にはならねえ! 獰猛な肉食獣になってやる!」
双眸を赤く濁らせる憎しみは、明らかに父親へ向いていた。 だが、投げ付けた置時計は視線とは異なる方向に飛んだ。
「ぁ……」
ミオの小さな体が、力なくうずくまる。
置時計の着弾地点は、幼い妹の額だった。
赤い筋が滴って白い額を染める。
「み、ミオ!」
レイの瞳から狂暴な光が消えた。 理性を取り戻したのだ。
時すでに晩く、ミオは動かなくなっていた。
「すまねえ! オレ……!」
声を震わせつつレイが駆け寄ろうとしたとき、シマウマ父が嘶いた。
「触るな!」
ミオの体を予備動作なしに抱き上げる。
「父さんが病院に連れて行く、お前は自分が何をすべきか考えなさい」
シマウマ父はミオを軽々と両腕で抱き抱えたまま玄関へと向かう。 まさに成人した獣人の膂力、いや父の強さだった。
「ダンさんとメディさんはすみませんが、息子を見てやっておいてください」
家を出ていく際に残した確固たる意志には逆らいがたいものあった。
「どうする? 情緒不安定な不良少年を押し付けられたぞ」
リビングのソファーに座らされている俺たち。
レイの監視を頼まれたわけだが、当の本人は奥に引っ込んだまま出てこない。
「ここまで来たのです、何とか撮影協力を取り付けましょう。 ただ、わたくしがイメージしていたのはほのぼの系の動画とは違うイメージになってしましそうですわ……」
メディはこの動画をほのぼの系に仕上げるつもりだったらしい。
否! 俺は今回の動画を炎上系にして稼ぐつもりである。
元の世界でも俺の動画で再生数を稼いでいるのは炎上系、つまり視聴者を怒らせることで注目を集めたものばかりなのだ。
ファンは俺が何をやらかすかを楽しみにしている。 俺に批判的な人間は叩くのが目的で動画を見てくれるし、酷い奴がいると話題になれば俺を知らない人も動画を見にきてくれる!
まさに勝利の炎!
こっちの世界でもその炎で熱く再生数を高めるつもりなのだが……。
「本人がアレじゃあなあ……」
引きこもったままでてこないのでは炎上どころか、撮影すらできない。
「わたくしとしたことが……絶好の撮れ高にカメラを回していなかったなんて……」
メディがしょげているのは、レイが荒れ狂っていた場面を撮れなかったことだろう。
確かにあれは炎上配信者としては理想の展開だった。
“撮れ高”と呼ばれる見せ場になる場面。
ハプニング動画として公開すれば話題になり再生数も稼げただろう。
だが、撮れていたとして動画化して公開したのかは別の話だ。
炎上させるにしても“質”というものがある。
「いいさ、兄が妹に怪我をさせる場面はさすがに動画にしたくない。 二人にとっても忌まわしい思い出となるだろう。 あれは撮らなくてよい場面だったんだ」
「ダン君……? 珍しくお優しいことをおっしゃいますのね?」
「優しい!?」
その言葉に俺は慌てた。
「い、いや優しくないぞ! 何故、とっさにカメラを回さなかった? このゴミプロデューサーめが!」
「急に態度が変わりすぎて不自然ですわ!?」
危なかった。 また弱い自分がでてしまうところだった。
特に今は元の世界に、家族の元に帰るのに数字が必要なのだ。
優しさは捨て、容赦なく炎上させねば!
「それにしてもレイ君、お部屋からでてきませんわね」
「首でも吊っているんじゃないか? ホトケさんを撮りにいくか?」
「悪趣味ですわ!」
そんなことを話しているうち、噂をすれば影、というべきか奥からレイが戻ってきた。
トレイを左手に乗せ、俺たちの前のテーブルに右手で配膳をする。
「食え、腹が減っているだろ?」
「レッドベリータルトか?」
「レイ君の手作りですか?」
メディの問いかけにレイは恥ずかしそうにうなずく。
「オヤジとリオと三人で食おうと思って昨日の夜中こっそり作っておいたんだ……でもこんなことになっちまった。 捨てるのももったいないし、食ってくれ」
今日のために作ったのに、今日が忌まわしい思い出になってしまった。
レッドベリーの鮮やかな赤すらも、妹を傷つけた事実を連想してしまうのだろう。
「仕方がない、食ってやるからありがたく思え」
昼間は獣人に脅されたり、カツアゲされたりして飯どころではなかったので腹ペコなのは事実だ。
食ってケチョンケチョンに味をけなして、新たな炎上の種火としよう!
罪のない幼女が怪我をするシーンよりは、遥かに炎の質がよい。
「うまっ!」
口に入れたとたん褒めてしまった。
甘さと酸味のバランス、それを支える土台の歯ごたえが絶妙だ。
「美味しい! レイ君器用ですのね!」
「くそ! 美味い! 悔しいが美味いぞ!」
どれだけ食べても新たなタルトに手が伸びてゆく。
小食な俺の胃袋がここまで活性化するのは稀だ。
「調理実習で作ったのを仲間に食わせたら喜んでくれたからな、それから時々、自分で作って差し入れしているんだ」
恥ずかしそうに言うレイだが、本人はタルトに手を出そうとしない。
「レイくんは食べないのですか?」
「食欲がなくてな……」
レイは思いつめた顔をしていた。
「オレの分はいい、あんたたち全部食べてくれ」
一口も食べずに席を立つと、レイはハンガーにかけてあったスカジャンを着こみ始めた。
「お出かけですか?」
メディの問いにレイは、乾いた声で答えた。
「家を出るんだ、オヤジとミオにはあんたたちから伝えておいてくれ」
「家でだと? 勝手なことをするな、俺たちはお前をネタにするために撮影に来たんだぞ」
「勝手なのはお前らだろ! アプリ実況でも撮っていろ!」
「勝手に企画変更しないでください」
「男の責任を取るぜ、あばよ」
ポケットに手を突っ込み、背中を煤けさせて歩き出す。
まだ薄い少年の背中からは本心が透けて見えた。
「逃げるのか?」
俺が背中に声をぶつけると、レイは立ち止まった。
振り向いたレイの不愉快そうな顔面にさらに声をぶつける。
「逃げるとウサギになるぞ」
「な!?」
「俺の故郷には脱兎のごとくという言葉があるくらいだからな! 家出したらウサギ確定だ!」
繰り返し挑発をすると、レイはやけくそ気味にその場に腰を下ろした。
「逃げねえよ! 家出するつもりなんか最初からねえよ!」
カバンを放り捨て、ジャンパーも脱ぎ捨てる。
リビングのカーペットの上にどっかと座り込んだまま、威勢よく啖呵を切った。
たった今、家出すると宣言したばかりなのに言っていることがめちゃくちゃである。
「すげえ狂暴な肉食獣に変身してやるからな! そのカメラでよく撮っておけ! 自分たちが怯える顔もついでにな!」
「肉食獣といってもいろいろいますが、どんな獣人さんになりたいんです? ワーライオンさんですか? ワータイガーさんですか?」
獣人の種類は様々であり、その呼称として一般的には冠にワーを付ける。 ライオン獣人ならワーライオンと呼ぶのだ。
「なりたいとかじゃねえ! オレはなるんだよ! 今夜ワーウルフに!」
「ワーウルフ……? 狼男か?」
ワーウルフは獣人の代表だ。
下界の創作物でもときにヒーローとなり、ときにヴィラン(悪役)となる、スタイリッシュ、ワイルド、ダーティーの三拍子を兼ね備えた人気クリーチャーとして扱われている。
「何で自分がワーウルフになると予想しましたの?」
メディの問いにレイは自信満々に答えた。
「ワーウルフはさ、トップアスリートや世界的アーティストにたくさんいるだろ?」
「いますわね、謎上ハテナとか庵リンクスとか」
「ベルリック・ヒロもだ!」
「ディミトリ・コリアスのことはご存知ですか?」
「白狼のディミトリを知らないわけがない! ディミトリこそワーウルフの中のワーウルフ! 日本に移民してきてこの町を作った英雄だ!」
「何を言っているのか分からん……」
召喚されたばかりの俺にはまったく付いていけないが、この世界におけるスターの名前なのだろう。
「シンパシー感じるんだよね、あいつらに……! 同族の匂いっていうかさ……。 だからオレ……ワーウルフになると思うんだよね!」
一緒に盛り上がっていたメディすら、とたんそっけなく反応した。
「あ、そうなんですか」
「こいつ凄いイキリ虫だな」
「ダン君とどっこいですわ」
メディの言うことはスルーだ! せっかく面白い玩具が目の前にいるのだ! もてあそんでやらねば!
「で? そういうスターになるために、お前は何か努力してんの?」
「いや、していないよ。 必要ない。 だって分かるからさ、本質的にあいつらと同じだって! オレ、才能あるからさ、何やっても余裕だと思うんだよね! 学校の勉強とかはできないけど、そういうのはスターに関係ないからさ!」
「レイ君、すごい早口になってますわ!」
「はいはい、お前がワーウルフになるっていうのは予想じゃなく、単なる願望ってことだな」
「そうじゃねえよ! オレの本質が分かんねえか? 大胆不敵かつ冷酷、獰猛にして凶悪な孤高の存在だろ! まさにオオカミのソウル!」
ソウルのところだけ、すごい巻き舌だった。
「オレのダチに聞いてみろよ! みんな絶対、そう言うから!」
「よし聞いてやるから電話番号を教えろ」
「え……? だ、誰がいいかな……。 夜遅いし、電話したら迷惑かも……」
ハッタリのメッキが剥げた。 あまりにも脆い自信である。
「やっぱり言わないかも……オレは奥の深い男だから、ダチにも本質は見抜かれていないかも……」
そろそろ限界だろう。 見るに堪えない無惨な表情になっている。
「無理だろ? 根はヘタレだもん、お前」
「うっ……」
「本来は優しくて気遣いができる方ですわね、手作りタルトからもそれが伝わってきますわ」
レイは頭を抱え、駄々をこねはじめた。
「いやだ、草食獣はいやだ! 俺は肉食獣になるんだ!」
「いいではありませんか草食獣さんでも! わたくしはレイくんがお父様と同じシマウマになると予想していますわ!」
獣人は親と同じ獣になるとは限らない。 反映されるのはあくまで魂の姿であって遺伝子は無関係らしい。
「俺はウサギ、メディはシマウマ、お前はオオカミ、これが変身前の予想だな」
変身前の獣人が、どんな動物になるのかを当てる。 その動画のコンセプト的においては大事なポイントである。
賞品がでるわけではないが、当たればマウントが取れる。
「草食獣は嫌だ! 絶対になるもんか!」
「何でそこまで嫌がる?」
「……ナメられるんだよ、草食獣は」
言葉に深刻な響きがあった。
「法律上はどの獣人も平等とされているけどそれが現実だよ。 草食獣は肉食獣の前にでると本能でビビっちまう。 獣人同士の人間関係で損をしがちだし、就職や結婚だって不利を背負わされる。 法律に何の意味もないことは子供だって知っているさ」
「差別社会というやつか」
「オヤジは毎日、会社のために馬車馬のように働いているし、周りへの気配りも欠かさない。 それでも草食獣だから昇進が遅れて、後輩の肉食獣にアゴで使われる」
そういえば、そんなことをシマウマ父自身も嘆いていた。
「ミオだって草食獣の子で気が優しいから学校じゃいじめられている。 グリズリーだった母さんが生きていたときはそんなことなかったんだけどな。 家族に肉食獣がいない家の子は、たいていイジメられちまうんだ」
「優しさや穏やかさのような美徳が、必ずしもプラスに働くとは限らない……おとなしくばかりしていると舐められる。 それはどの世界にも共通した現実だな」
それはかつて身を以て痛感したことだった。